神楽坂|万長酒店(昔)

文学と神楽坂

万長酒店
弘化2年(1845年)に創業し、157年の歴史のある酒屋の万長も2002年消えました。第一勧業信用組合のところに「万長酒店」がありました。場所はここ

新宿歴史博物館が書いた『新宿区の民俗 牛込地区篇』では

L『万長酒店』の創業は弘化二年(一八四五)と伝えられる。創業者について史料がなく確かなことは不明だが、伝えられるところによると新潟出身の人という。店名の万長は、屋号の万屋と、当主が代々長兵衛を名乗ったことに由来する。
 昭和10年代の当店には、番頭、番頭に次ぐ職務の人、それに小僧が一〇人ほどいた。番頭とその下の番頭は家持ちであったが、その他の使用人は住み込みで働いた。店主の仕事は蔵元に出掛けて行って酒の質を定めることであった。
 蔵元に着いたらお茶などは飲まず、すぐ利き酒をしないと本当の酒の味はわからない、とされた。

「かぐらむら」の「記憶の中の神楽坂」では「よくみそを買いにいったけど、その場で赤みそと白みそをまぜて秤売りしてくれてた 」と書いています。

神楽坂の万長酒店

『牛込改代町とその周辺』は発行者と著者は伏目弘氏ですが、こう書いています。

先年、神楽坂の「万長酒店」の地下に数間にわたり間知石で構築されていた遺構を拝見した。牛込城の石垣ではないかといわれているが、中世城郭の地形的遺構としては、ここまで石垣が構築されたとは考えにくい。また、整いすぎた石組は技術的な点からみても、近世の跡は判然としていた。
 万長酒店地下の石垣は、行元寺参道と門前町との境を土留めに造成をした石垣であると推定される。

 09年、黒川鍾信氏の「神楽坂の親分猫」(講談社)では……(ボクは猫です)

ボクの家の近くでも古いお店が次々と店じまいしてゆきます。後継者がいなかったり、時代の変化についてゆけなかったりと事情はそれぞれ異なりますが、いずれにしてもご近所の閉店・閉館・廃業は寂しいです。
 友だちがいたのでボクがよく遊びにいった「万長酒店」の場合は、1種の“連鎖反応”でした。ここは料亭や料理屋に酒類を納めていた老舗の酒店でしたが、料亭に店じまいが続き、経営が大変になったのだと思います。

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