神楽坂|本多横丁 由来

文学と神楽坂

本多横丁の由来になった旗本「本多家」のことです。まず標柱では

江戸中期から明治初期まで、この通りの東側全域が旗本の本多家の邸地であった。

御府内沿革図の第11巻切絵図では、「本多修理屋敷脇横町通り」とあります。ここは西側にも武家屋敷の並ぶ道でした。昭和24年頃、商店会は「スズラン横丁」に変更しましたが、旧名の本多横丁の復活を望む声が多く、27年頃、本多横丁商店会に変えています。実際、明治20年も同じ本多横丁でした。

竹田真砂子氏の『ここは牛込、神楽坂』の「振り返れば明日が見える…銀杏は見ている」ではこう書いています。

本多横丁の由来になっている旗本の本多家は、幕末になって、大名の列に加えられた。知行地は三河国西端藩、現在の愛知県碧南市である。

 維新直後、本多家当主は藩知事になったが、廃藩置県にともなって免職となり、東京と改称した江戸に戻った。

ここには実際に本多家最後の当主を覚えている人の話もあります。「お目にかかったのは、多分、昭和の初め頃」で、

本多の屋敷跡は、明治十五、六年頃、一時、牛込区役所がおかれていたこともあったようだが(牛込町誌1大正十年十月)、まもなく分譲されて、ぎっしり家が建ち並ぶ、ほぼ現在のような形になった。

ここは牛込、神楽坂』で中井啓隆氏の『本多横丁の変遷について』では

神楽坂の本多家は、本家筋からは分家のそのまた分家の家筋に当たります。本家筋では、徳川四天王の一人、本多平八郎忠勝が知られていますが、系譜をさかのぼれば、藤原兼通(六代関白九二五~九七七)につながります。

 名家藤原の末裔の姓が本多に変わっていく経緯にまでは手が届きませんでしたが、いつの頃か、三河国宝飯郡伊奈郷に移り住んだという記録があります。分家の六代目本多康俊(元和九年一六二三没)が伊奈城主だったのも興味のあるところです。この康俊の二男忠相(修理 美作守 八千石 天和二年 一六八二没)が分家からまた分かれ、神楽坂の本多家の初代となります。

 本家も分家も代々城持大名ですが、分家の分家は上級旗本として幕府に仕えていくことになります。

 初代忠相は、慶長十年(1603)七才の時に三河國西尾より江戸に下向し、将軍秀忠に拝謁を許されます。元和元年(一六一五)父に従い大阪夏の陣で功をあげ小姓番となり碧海郡(現碧南市)に知行干石を給わり、八十四才で没する時には、ハ干石の旗本になっています。

 以下、少し系図を追ってみますと、初代忠相→二代忠将(修理 対馬守備前守 御書院番頭 九千石 元禄四年 1691没)→三代忠能(修理 因幡守 定火消 大番頭 延享元年 1744没)→四代忠敞(修理 播磨守 定火消 御書院番頭 延享2年 1745没)→五代忠栄(左京 対馬守 定火消 百人組頭 大番頭 伏見奉行 安永5年 1776没)→略→忠鵬(明治二年頃、三河國碧海郡西端藩 1万5百石 子爵)…となります。

6代は本多忠直、7代は本多忠盈、8代は本多忠和、9代は本多忠興です。ウィキメディアでは

元治元年(1864年)、9千石を知行していた本多忠寛が、江戸警備の功績などから1万5百石に石直しを許され、ここに本多氏は諸侯に列して西端藩が立藩した。慶応3年(1867年)5月20日、忠寛は病気を理由に隠居し、嫡男の本多忠鵬が後を継いだ。忠鵬は明治元年(1868年)、新政府に与して陣屋を兵営として貸し与えた。

 翌年6月、農民兵を募集して様式訓練を行うなどの藩政改革を行ない始めた。同年6月23日、版籍奉還で忠鵬は藩知事となる。明治4年(1871年)7月14日、廃藩置県で西端藩は廃藩となった。その後、西端県を経て額田県、そして愛知県に編入されたのである。

『本多横丁の変遷について』にもどります。

神楽坂の本多家は、禄高も役職も、最上級旗本だったことが判ります。ここで注目したいのは、三代忠能から定火消の役を代々引き継いでいることで、この本多家が神楽坂に居を移してきた理由と時期に、関係があるのではないかと思えます。

この(じょう)()(けし)については籠谷典子氏の『東京10000歩ウォーキング』の「新宿区 神楽坂・弁天町コース」にある程度載っています。

本多家の始祖は徳川四天王の筆頭本多平八郎忠勝(ただかつ)(一五九八~一六八二)と伝えられ、分家六代目の本多康俊(やすとし)の次男忠相(ただすけ)(一五九八~1682)が旗本の身分と千石の知行を安堵されて分家した。やがて八千石を拝領した忠和が神楽坂の本多家初代になるが、神楽坂に九〇間四万の広大な屋敷地を賜ったのは、元禄五(一六九二)年に三代目を襲封した忠能(一七四四年歿)が定火消の役務を任じた後と目されている。忠能は江戸城の西北部、つまり神楽坂方面の防火と警備を担当した」

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