神楽坂|大東京案内(7/7)

前は大東京案内(6/7)です。

一時左傾ものゝ出版で名を現はし、今は破産した南宋書院肴町通りにある。そこが最高点当選で市議堺利彦を出した選挙事務所だったかと思へば、いづれこれもこの界隈の語り草にならう。又、故有島武郎の親友足助素一叢文閣、今日ではたった一軒の古本屋竹中書店なども数へたい。文壇の中堅どころの諸作家で、これらの書店に厄介になったものが多い。新本屋の武田芳進堂盛文堂機山閣南北社等々、一口に享楽の神楽坂とはいひながら、僅か数丁の間に知識のカテをひさぐこれらの店々の繁昌は、他面にこの界隈に住む知識人の多いことをも示してゐる。
 神楽坂風景は牛込見附の青松と石崖、蒼黒く沈黙した濠の水によって、一層その情緒を豊富にしてゐる。夏の間は濠に貸ボートがうかぶ。学生や商人。勤め人、モボモガの一組みなどが、夕闇の奥に仄見える。静かな灯のうつる水の公園は神楽坂を下りた人々の目にいかに爽かであらう。

貸ボート

左傾 思想が左翼的な立場に傾くこと
南宋書院 ゴールドフォンテン南宋書院の奥付を材料として国立図書館でインターネットを使って調べると、昭和2年で南宋書院の『恋愛揚棄』では麹町九段中山ビル、昭和3年の『無産者自由大学-日本農民運動小史』では肴町12(神楽坂通)、昭和4年の林芙美子氏(ちなみに林氏の住所は通寺町3)の『蒼馬を見たり』では、通寺町39となっていました。肴町12は現在、貴金属やブランド品の買取り店「ゴールドフォンテン」です。

本屋3

肴町 神楽坂肴町は神楽坂5丁目に変わりました。
足助素一 あすけそいち。明治から昭和期までの出版者。大正7年叢文閣を創立。「有島武郎著作集第6輯 生れ出る悩み」を処女出版、著作集をはじめ「水野仙子集」などを刊行。昭和に入ってからは左翼系の出版に。没後、叢文閣から「足助素一集」を刊行。
叢文閣 神楽坂2-11。有島武郎や水野仙子を除き、左翼系の出版として非常にたくさんの本を出版しています。『マルクス主義者の見たトルストイ』『経済評論』『貨幣と金融』『画家とその弟子』『国民主義経済学の基礎理論』『米国農業政策』『幸福者』『プーシュキン小説集』『時は来らん』などなど。場所は神楽坂通りに面するのではなく、一歩中に入ったところでしょうか。
竹中書店 シティ岩戸町3。古本を売る店ですが、それでも『醫藥獨文』『獨逸語讀本拾遺』『醫藥獨語教程』『音楽年鑑 : 楽壇名士録』などを作っていました。現在は東京シティ信用金庫。
武田芳進堂 新泉肴町32。出版は少なく『最新東京学校案内』など。戦前の武田芳進堂は現在の神戸牛と和食の店「新泉」になっています。
盛文堂 元祖寿司神楽坂3-6。昭和初期、盛文堂は現在の「元祖寿司」がある場所に建っていました。ここ
機山閣 金プラチナ買い取り肴町12。出版は少なく『火山 : 詩集』『追憶』『書道講話』『石炭と花 : 詩集』『忠臣と孝子』。現在は貴金属やブランド品の買取り店「ゴールドフォンテン」です。
南北社 センチュリー『新宿区立図書館資料室紀要4 神楽坂界隈の変遷』の「大正期の牛込在住文筆家小伝」では筑土八幡町9番地に南北社、通寺町14に南北社書店。その後、通寺町14を南北社にしています。かなり本を出版したようです。『南洋を目的に』『悪太郎は如何にして矯正すべきか』『恋を賭くる女』など。現在、通寺町14は神楽坂6-14の「センチュリーベストハウジング」に。
享楽 キョウラク。思いのままに快楽を味わうこと
カテ 糧。食糧。食物。精神・生活の活力の源泉。豊かにし、また力づけるもの
モボモガ 「モダン・ボーイ」「モダン・ガール」。大正デモクラシー時代に流行った先端的な若い男女。

文学と神楽坂

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