神楽坂の半襟|水野仙子

文学と神楽坂

水野仙子(せんこ)氏は31歳で肺結核で死んだ女流作家です。『神樂阪の半襟(はんえり)』は大正2年(1913)、25歳に書いています。神楽坂で夫と一緒に、髢屋、半襟屋、履物屋に行き、しかし、半襟屋では何も買ってくれません。でも、本当は、本当は買ってくれるだ……本当に?

お里は爪先あがりにを登りながら數へたてゝゐたが、ふと屋の店が目につくと、『あ、さうさう、私すき毛を一つ買はう。』と、思ひ出したやうに小ばしりにその店に寄つて行つた。
 髢屋の主人が背のびをして瓦斯にマッチを擦ると、急に靑白い光がぱつとして薄暗い店先を照した。氣がつくと、阪下阪上の全體に燈がはひつてゐた。
『下駄はどこで買ひませう。』と、そこから出て来たお里は、夫と並んで歩き出しながら言つた。
『さあ。』
水野仙子 菅野俊之処著『ふくしまと文豪たち』(歴史春秋社)から

菅野俊之処著『ふくしまと文豪たち』(歴史春秋社)

かもじ。日本髪を結うとき、地毛の足りない部分を補って添える髪。
すき毛 毛の束で、結髪の形を整えるために髪の中央に入れたり、頭髪の汚れをとるため梳き櫛に挟んで髪をけずったりすること
「坂」と同じです
お里はふと立ち止つて、とある半襟店の小さなショウウインドウを眺めてゐた。
半襟 和服用の下着の襦袢に縫い付ける替え衿。当然安い。しかし、夫は半襟を買いません
お里はちぷりと油に水をさされたやうな氣がした。黑地に赤糸の麻の葉を總模様にしたその半襟をかけた自分の白い襟元と、着物の配合とが忽ちにして消えた。…
 あんなけちな安物1つ思のまゝに買ふことができないのだと思ふと、何やらうらめしいやうな氣がしてならない。…
『あの家に入つて見ませう。』と、お里はずんずん夫の先に立つて、昆沙門前の下駄屋にはひつて行つた。

下駄屋、半襟屋、髢屋はここにありました。(新宿区図書館「神楽坂界隈の変遷」の『神楽坂通りの図-古老の記憶による震災前の形』)
神楽坂の半襟
現在の下駄屋は煎餅の「福屋」です。半襟屋は「味扇」や「わしょくや」などに変わりました。
下駄屋と半襟屋
髢屋は「俺流らーめん塩」になりました。
ラーメン
さて、その後の行動は、ひょっとして、買うつもりではとお里は考えしまいます。ここがいい。

実際はやっぱり買ってくれません。簡単な小説ですが、男女の相克は別として、結構、お話と心理はよくって、うまいと思います。

『さうかも知れない、あの人のことだもの。』と考へた時は、嬉しさに胸が早鐘のやうに鼓動を打つてゐた。
 お里は夫が黙つて、そつとあの半襟を買ひに行つたのだと思つたのである。さう信じてしまふと、嬉しいやうな、有り難いやうな、先刻の不平だの、味氣なさだのは泡のやうに消えてしまつて、さうまでして自分を劬つてくれる夫の心持が氣の毒にもなつて来る。
劬る いたわる。思いやること
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