袋町|名前はどうして?

文学と神楽坂

袋町4袋町(ふくろまち)の名前はどうして付いたのでしょうか?

まずウィキペディアを見ます。

「また坂上は牛込北御徒町(現・北町)に入るところで御徒組の門に突き当たり、袋小路となっていたため袋町と呼ばれた」と書いてあります。なるほど。戦前はS状の坂はなかったわけで、また中町・南町には門があり、入れない。でも北町には門がない。まあ、でも番屋があるから。でも南に行くのは? 南に行くのは全く問題なく行ける。あれれ。袋小路はなく、ウィキペディアのように袋町という理由はありません。

袋町6やはり地図を見てみます。

延宝年中(1673~81年)にできてきます。

ただし、現在のように大きくはありません。ごくごく小さな小さな場所を2つとっています。

明治2年、牛込袋町と牛込光照寺門前を合併し、牛込袋町となり、さらに明治5年、近隣の旧武家地や光照寺境内などを併合し、明治44年、現在の袋町になります。、牛込袋町になったのは明治以降です。

昭和51年の「新宿区町名誌」によれば「藁店(わなだな)横町の奥で袋地になっているので袋町になった」と書き、平成22年の「新修 新宿区町名誌」では「肴町の横町で袋道であるため、袋町と名付けた(町方書上)」と書かれています。町方書上では「肴町横町ニ而袋道ニ御座候」と書いています。なお、「袋地」と「袋道」では意味が違い、「袋地」とは、他人の土地に囲まれて、公道に出られない土地のこと。「袋道」は「袋小路こうじ」に同じです。しかし、いずれもこれでは北町は関係ないよなあ。

新宿区歴史博物館学芸員の北見恭一氏は『まちの手帖』でこう書いています。

行き止まりで通り抜けできない町、周囲を他人の土地に囲まれた所という意味ですが、この場合も地蔵坂を上った奥にあるためこう呼ばれたのでしょう。江戸時代の袋町は、光照寺に接した狭い町で、明治二年(1869)に光照寺及び門前町と合併して現在の袋町ができました。

北町と接する大きさは江戸時代では全くありません。

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