本家鮒忠(昔)|神楽坂

文学と神楽坂

 2020年9月30日、閉店しました。1946年9月、浅草千束に川魚料理を開店して、鮒忠のホームページによれば「元々、根本はどじょうやうなぎなどの川魚を中心に商売をしていましたが、冬場は川魚がさっぱり獲れませんでした。そこで冬場のつなぎにしようと考えついたのが、鶏肉を串刺しにした焼き鳥です」とのこと。

 本家鮒忠は、なんと3階大宴会場を使うと、80人の宴会も大丈夫。また、3階は部屋を3つに分けられるので40名や20名までの宴会も可能。おそらく神楽坂で最大の宴会場だったといいました。地図はここに。これで残った直営店は6か所だけです。

 以前の店のPRから…

宴会4名様個室~80名様の室ご用意します。
料理2100円から。飲み放題1400円2時間。
串焼、うなぎがメインで季節ごとにおすすめメニューで旬の味をお楽しみいただけます。

本家鮒忠

 昔、関東大震災後には銀座の村松時計店もここにはいっていました。細かくはここを。

 神楽坂アーカイブズチーム編「まちの想い出をたどって」第3集「肴町よもやま話③」では

相川さん この「船橋屋」というのはお汁粉屋。これは、戦争中に「シンセイ堂」っていう薬局があったんです。船橋屋のあとに。そのあとが小間物屋。小間物屋さんが店を閉めるについて、一時、銀座の「村松時計店」が大きくあそこに入っていた。これも銀座の方に新しく(店舗が)できたからってんで引き上げた。そのあとに船橋屋が来た。
馬場さん それから薬屋で、戦災で焼けたときにはなんだったんですか?
相川さん 薬屋でおしまいになったんでしょ。
馬場さん 嘘だよ、薬屋じゃないよ。焼けるときは薬屋じゃなかったよ、ここは
山下さん それで、戦後はどうですか?いちばん最初は「ノーブル」?
相川さん 「ノーブル」。喫茶をやっていた。
馬場さん ノーブルさんのあとへすぐ鮒忠ですか?
相川さん そうですね。


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