本家鮒忠|神楽坂

文学と神楽坂

本家鮒忠は、なんと3階大宴会場を使うと、80人の宴会も大丈夫です。また、3階は部屋を3つに分けられるので40名や20名までの宴会も可能。おそらく神楽坂で最大の宴会場でしょう。地図はここに。

宴会4名様個室~80名様の室ご用意します。料理2100円から。飲み放題1400円2時間。
串焼、うなぎがメインで季節ごとにおすすめメニューで旬の味をお楽しみいただけます。

本家鮒忠
昔、関東大震災後には銀座の村松時計店もここにはいっていました。細かくはここを。

たとえば1927(昭和2)年6月、「東京日日新聞」に載った「大東京繁昌記」のうち、加能作次郎氏が書いた『早稲田神楽坂』の商店繁昌記では

ただ震災後に新しく出来たやや著名な店としては、銀座の村松時計店と資生堂との二支店位だが、これは何れも永久的のものらしく、場所も神楽坂での中心を選び、毘沙門の近くに軒を並べている。そしてこの二軒が出来たために、あの附近が以前よりは明るく綺麗に、かつ品よく引立ったことは事実だ。(ところが、この二店ともその後間もなく閉されて了った――後記)

場所は「本家鮒忠」になっています。神楽坂アーカイブズチーム編「まちの想い出をたどって」第3集「肴町よもやま話③」では

相川さん この「船橋屋」というのはお汁粉屋。これは、戦争中に「シンセイ堂」っていう薬局があったんです。船橋屋のあとに。そのあとが小間物屋。小間物屋さんが店を閉めるについて、一時、銀座の「村松時計店」が大きくあそこに入っていた。これも銀座の方に新しく(店舗が)できたからってんで引き上げた。そのあとに船橋屋が来た。
馬場さん それから薬屋で、戦災で焼けたときにはなんだったんですか?
相川さん 薬屋でおしまいになったんでしょ。
馬場さん 嘘だよ、薬屋じゃないよ。焼けるときは薬屋じゃなかったよ、ここは
>山下さん それで、戦後はどうですか?いちばん最初は「ノーブル」?
相川さん 「ノーブル」。喫茶をやっていた。
馬場さん ノーブルさんのあとへすぐ鮒忠ですか?
相川さん そうですね。
スポンサーリンク

コメントを残す