東京妓情(2)|神楽坂

文学と神楽坂

001[大まかな現代語訳]

   ○風俗
東京は広い。関東道を通って120kmの大きさだ。東京を2つに分割し、下町と山ノ手に分ける。その気だても風俗も少々違い、同様に芸者も違っている。 ここの芸者の客筋は、陸軍武人、あるいは官僚の使用人、書生など田舎者が多く、競い合うこともやっていない。ただ首をおしろいで白く塗り、お尻を軽く、客はべろべろになれば、芸者としてはもう十分だ。音曲などの芸能についてカッポレや民謡ができれば客も大喜びで、1円も祝儀をもらえる。芸能がうまいというのは、ここでは聞いたことはない。でも神楽坂に芸者がなくなれば、山ノ手に歌う芸者がいなくなったといいたい。思うに時折、みめかたちがいいのもいるからだ。
  神楽坂辺りの芸者はいい声をだす。牛込御門の外から来た客は(よだれ)を流す。道をやすめると山園では豊かな産物は少ない。野生の鶯は自分で春の美しい姿をほめたたえている。

   ○風俗(ふうぞく)
洛陽(らくやう)(ひろ)関東道(くわんとうみち)にして三十() その洛陽(らくやう) 城前(じやうぜん)下町(したまち)(とな)へ その(うしろ)(やま)()といふ (しか)して意気(いき)風俗(ふうぞく)(やゝ)(こと)なり ()()けるも(また)(しか)り 本地(ほんち)芸者(げいしや)陸軍(りくゞン)武人(ぶじん) (あるい)鯰公(ねんこう)執事(しつじ) 書生等(しよせいとう)田舎漢(いなかもの)(おほ)きに()(ゆゑ)に 意気地(いきぢ)立引(たてひ)(なら)いなく (たゞ)その(くび)(しろ)くし その(しり)(かる)くし (きやく)をして沈湎(ちんめん)(どろ)(ごと)くならしむるの(じゆつ)あれば ()(やく)()むを(もつ)て 技芸(ぎげい)(ごと)きはペコシヤカと 猾惚(かっぽれ)甚句(じんく)(さう)すれば 客意(きやくい)(たつ)じ 円助祝儀(しうぎ)頂戴(てうざい)(いた)(ゆゑ)に ()ちを()()らんとするものは (かつ)見聞(けんもん)せざるなり (しか)れども ()神楽坂(かぐらざか)芸者(げいしや)なくんば ()断然(だんぜん)山の()に 歌妓(かぎ)なしと()はんのみ (けだ)()りに姿色(ししよく)()るべきもの()づればな里
  神楽坂ノ辺妓弄シ。牛籠門外客涎ヲ流ス。道ヲ休メテ山園物華薄シト。野鶯亦自ラ春頌ス
洛陽 後漢は、前漢(西漢)の都である長安から東の洛陽に遷都したため、洛陽を「東京」と呼びました。
関東道 律令制下では、「関東道」は、相模国、武蔵国、常陸国、下総国、上総国、安房国と6国がらできていました。現在の南関東です。関東
三十里 近世では一里は36町(3.6~4.2㎞)。明治24年に一里は3.9272727…㎞と定めて、30里は約117㎞。大体、東京駅から日光までです。相模国の最西端から常陸国の最東端まで約30里だったのでしょう。
城前 皇居の前
意気 事をやりとげようとする積極的な気持ち。
やや。すこし。いくらか。
本地 ほんち この土地。当地
鯰公 明治の元勲の多くは侍といっても、足軽なみの出。劣等意識の裏返しか髭をたくわえ鯰公といわれました
執事 屋敷における最高位の使用人
意気地 事をやりとげようとする気力
立引き ある目的のために競い合うこと
習い 学ぶこと。学んだこ
沈湎 チンメン 酒色にふけってすさんだ生活を送ること
じゅつ わざ。技能
技芸 ぎげい 美術・工芸などの技術
猾惚 俗曲の曲名「カッポレ カッポレ」  幕末から明治にかけて流行した俗謡と滑稽な踊り
甚句 じんく 民謡の一群。参加者が順番に唄い踊る形式。
客意 客の意向
円助 エンスケ 1円のこと。明治・大正期、花柳界での隠語
頂戴 ちょうだい チヤウダイ もらうこと
断然 態度のきっぱりとしているさま
姿色 美しい容貌
な里 なり
のど
弄シ いじる〔いぢる〕
物華 中国の言葉で「物華天宝、人傑地霊」とは「豊かな産物は天の恵みであり、優れた人間はその土地の霊気が育む」という意味。(はい、東京理科大学からとりました http://www.sut.ac.jp/info/publish/gakuhou/178/1_5.php)
けん 優美なこと。美しいこと
頌ス しょう 人の徳や物の美などをほめたたえること
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