日本歓楽郷案内(2/5)

文学と神楽坂

 おまけに、多くの待合が他所に比べていやに勘定高いといふ悪評などもあつて、蕩兒らしい蕩兒はこの街の空気はいやだといふ。
 然し、待合側に云はせれば、勘定のことをキチキチ催促する代りに、ほか樣よりずつと勉強してゐるといふのである。
 金解禁以来、この街にも不景気風は風速二十メートル以上に吹きまくつて、お銚子二本、料理四品、藝妓付五圓などと、例の特遊とかいう奴を新聞の案内欄などに廣告して器量を下げたが、特遊七圓萬事解決などいふ變挺な廣告を出してお灸を据えられたのがあつて以来、流石に気恥しくなったものか止めてしまった。それでも、郊外の藝妓みたいに、カフェーやソバ屋にまで行かないのがせめてもの取柄である。
 薄ぎたないカフエーに出張して、陳腐な恰好の女給と一緒に
スツチヨイ、スツチヨイ、スツチヨイナ」
と手を叩いてゐるのを見ると、そゞろに物の哀れを催してくる。
 人通りの多い割に昨今の神樂坂は潑溂たる色彩がない。洋食と果物では山手随一と折紙をつけられてゐる田原屋にも、往時の頻繁な客脚はなくなつたし、一時は銀座のカフエーを悠々と端睨してゐたカフエー・オザワなども、何となく時代に取り殘されたものゝやうな感じがする。それは、強ちこの二三の店に限らず、神樂坂という街そのものゝ感じがさうだから止むを得ない。

勘定高い 金銭の計算が細かくて損得に敏感。打算的
蕩児 トウジ。正業を忘れて、酒色にふける者。放蕩むすこ。遊蕩児。蕩子
キチキチ 正確に規則正しく物事をする。きちんきちん。
勉強 ここでは「商人が商品を値引きして安く売ること」
金解禁 昭和五年(1930)年、浜口内閣は金本位制に復帰し、金解禁を行いました。ところが、株価や物価は下落し、中小企業は次々と倒産、不況はますます深刻化しました。
風速二十メートル 小枝が折れる。風に向かっては歩けない。人家にわずかの損害がおこる。煙突が倒れ、瓦がはがれる。
5円 五円は現在なら幾らなのか。高くて1930年(昭和5年)で5万円。低くて1931年(昭和6年)の5円は1万8000円。せいぜい2-3万ではないでしょうか。
特遊 特別の遊楽。特に遊び楽しむこと
器量 その人の才徳に対して世間が与える評価。面目
特遊七円 7円は現在の2万5000円~7万円。藝妓付で5円ですから、プラス2円は「枕金」です。同じく神楽坂で、昭和5年の「1夜の歓をかわす枕金は5円から10円」といわれていました。つまり、神楽坂の芸者と比べても相当安いのでしょう。
變挺 ヘンテコ。奇妙。変な様子
陳腐 古くさいこと。ありふれていて、つまらないこと
スッチョイ スッチョイ、スッチョイ、スッチョイナ。会津磐梯山のはやし言葉。唄の合間、一節ごとに「スッチョイ、スッチョイ、スッチョイナ」とお囃子がはいる。
そぞろに なんとなく 何とはなしに
潑溂 はつらつ。溌剌・潑剌・溌溂・潑溂 きびきびとして元気のよい。生き生きとしている。
田原屋 現在は「玄品ふぐ神楽坂の関」。昔は「田原屋」。1階が高級フルーツ店、2階がレストランでした。
客脚 客が店に入ること
端睨 たんげい。推測すること。おしはかること。 推し測る。ここでは単純に「見ていた」ぐらいではないのでしょうか。
カフエー・オザワ 現在は「cafe Veloce ベローチェ」に。昔は「カフエー・オザワ」で、一階は女給がいるカフェ、二階は食堂。

文学と神楽坂

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