三年坂|津久戸町

文学と神楽坂

三年坂や三念坂というのはどこをさしているのでしょうか。
新宿歴史博物館『新修 新宿区町名誌』では「(()()())町内南角に小坂があり、俗に字三念坂と呼ばれた(『町方書上』)。現在は俗に三念坂という(3年坂とも書く)。」
 
今の津久戸町の面積は非常に大きく、町内はどこかわかりません。では江戸時代ではどこなのでしょうか? 『新修 新宿区町名誌』で津久戸町の「町地は牛込津久戸前町と牛込西照院門前があった」と書いています。西照院を囲むように牛込津久戸前町の年貢町屋は3つあります。「町内南角に小坂があり」というので、3つのうち右下を指すのでしょう。
神楽坂津久戸町の地図 江戸時代 三年坂
つまり、現在では
神楽坂津久戸町の地図 現在 三年坂
現在は交差点「筑土八幡町」から三年坂に入り、それから本多横丁に行き、そのまま神楽坂通りとなって終わります。3年坂の語源については横関英一氏は『江戸の坂東京の坂』でこう書いています。

三年坂と呼ぶ江戸時代の坂が、旧東京市内に六ヵ所ばかりある。いずれも寺院、墓地のそば、または、そこからそれらが見えるところの坂である。
 三年坂はときどき三念坂とも書く。昔、この坂で転んだものは、三年のうちに死ぬというばからしい迷信があった。お寺の境内でころんだものは、すぐにその土を三度なめなければならない。もちろん土をなめるまねをすればよいのであるが、わたくしたちも子供のころ、叔母などによくやらされたものである。それをしないと三年の内に死ぬのだと、そのときいつもきかされたものだ。坂はころびやすい場所であるので、お寺のそぱの坂は、とくに人々によって用心された。こうした坂が三年坂と呼ばれたのである。三度土をなめるということは、二たび仏に安泰を念願することである。とにかく、三年坂という坂は、坂のそばに寺か墓地があって、四辺が静寂で、気味の悪いほど厳粛な場所の坂を言ったもののようである。古い静寂なお寺の境内で味わうものと同じような気持ちである。

このため、坂の標柱として、区は不吉な三年坂を黙殺して使っていないようです。

「ホテルゆたか」から本多横丁を背後に全体を見回すと、こうなります。
三年坂 津久戸町 ホテルゆたか
右側はお好み焼きの「広島っ子」、ビストロとワインバーのViande(ヴィアンド)、残りの大部分は熊谷組のビルです。左側はホテル、階段、つづいて酒蕎庵「まろうど」、珈琲専科の「珈瑠で(カルデ)」、 和食の「一邑(いちむら)」、炭火鳥焼の「金太郎」、ねぎの「葱屋みらくる」です。
新宿区津久戸町の三年坂から外に行く階段。
また途中にある階段を上ると新鮮な食材の和食「葉歩花(はぶか)(てい)」が見えてきます。また、その隣の一軒はいかにも立派な花街建築のようです。
三年坂はなにもなかったと思っていましたが、たくさん店は増えてきていました。

本多横丁 軽子坂
神楽坂の通りと坂に戻る

文学と神楽坂

スポンサーリンク

コメントを残す