島田清次郎2|昭和文壇側面史|浅見順

文学と神楽坂

チビ下駄をはいて

 確か関東大震災のあった年の明くる年の、大正十三年の秋である。その頃まだ戯曲を書かないで、吉江喬松のところへ出入りしてしきりに長い散文詩を書いていた三好十郎を盟主とするグループの一人の英文科生が、早稲田に通うかたわら、牛込横寺町聚英閣という出版書肆に、今日でいうアルバイト勤めをしていた。ある日、その時分親しくしていた、のちにフロ-ベールの「サラムボー」の名訳を出した神部孝と、学校の帰りに神楽坂へ出掛け、いつものようにフルーツパーラーの田原屋で休んでいた。そのとき、ぼく達はよほど退屈していたのだろう、聚英閣にその友人を訪ねてみようということになった。ぜひ訪ねてくれともいっていたからだ。ところが、聚英閣の座敷にあがると、ちょうど島田清次郎がいあわせたのである。
 島田清次郎は当時すでにうすぎたない恰好をして、黒い足跡のついたチビ下駄を引きずり、書き溜めた幾つかの分厚い原稿を包んだ萌黄の木綿の風呂敷包みを、だいじそうにかかえ、かつて自分の本を出してくれた出版屋を歴訪していたのだ。しかし、どこの出版屋も受付けないで、いつも玄関払いを食わせていた。清次郎はしかし、それでもしょうこりもなく、毎日日課のようにこれを繰り返していたのである。そして、聚英閣を訪れたのも、それで幾度目かわからないぐらいだったのだ。

吉江 喬松 吉江 喬松よしえ たかまつ。フランス文学者、詩人、作家、評論家。大正5年パリに留学。帰国後早稲田大学に仏文科を創設、教授に。農民文学に傾斜。生年は明治13年9月5日。没年は1940年3月26日。61歳。
三好 十郎 三好十郎みよし じゅうろう昭和初期から終戦後の復興期にかけて活動した小説家、劇作家。1924年、吉江喬松教授の推薦で『早稲田文学』に詩を発表。プロレタリア劇の作家として活動。その後、左翼的な活動に疑問を覚えたとして離脱。生年は明治35年4月21日。没年は1958年12月16日。56歳。
横寺町 東京都新宿区の町名。横寺町
聚英閣

しゅうえいかく。『まちの手帳』14号「神楽坂出版社全四十四社の活躍」では聚英閣は『広津和郎、谷崎精二、宇野浩二らの作品の他、白樺同人による「白樺の林」など』があったようです。場所は横寺町43。

横寺町43

昭和5年「牛込区全図」

さらに「新宿区横寺町交友会、今昔史編集委員会」の『よこてらまち』(2000年)ではここにあったようです。L
行っても素晴らしい景観はどこにもありません。はい。横寺町43の写真です。横寺町43

フロ-ベール フロベール(Gustave Flaubert)とも。フランスの小説家。客観的描写を唱道し、写実主義文学の確立者。作「ボバリー夫人」「サランボー」「感情教育」「聖アントワーヌの誘惑」など。生年は1821年12月12日。没年は1880年5月8日。58歳
サランボー Salammbô。フロベールの長編小説。1862年刊。第一次ポエニ戦争直後のカルタゴを舞台に、勇将アミルカルの娘サランボーと反乱を起こした傭兵の指揮者マトとの悲恋を描く
神部孝 生年は明治34(1901)年9月4日。没年は昭和13(1938)年6月15日。早稲田大学仏文科卒。仏文学者として活躍し、訳書はフローベールの「サランボー」、レオポルト・マビヨー「ユゴオ伝」など。
萌黄 春先に萌え出る若葉のようなさえた黄緑色           

書肆は、出版社、書店、本屋。
足跡は、人や動物が歩いたあとに残る足の形。

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