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大久保通り(写真)昭和20年代後半 ID 9492

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9492は、昭和20年代後半、神楽坂5丁目(昭和26年までは肴町)や大久保通りをねらっています。左側の同栄信用金庫は神楽坂5丁目に、右側の帝都信用金庫は岩戸町にあり、どちらも建築中。現在、同栄信金は合併で「さわやか信用金庫」となり、支店は神楽坂6丁目の東西線神楽坂駅の隣に移転。帝都信金は合併で「東京シティ信用金庫」となり、同じ場所に支店があります。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9492 大久保通り 神楽坂五丁目付近(現牛込神楽坂駅付近)

 歩道は大きく、車道は自転車やリアカーが走り、中央では路面電車が出て、新宿と飯田橋をつないでいます。電柱からは街灯として笠のついた電球が出ています。柱上変圧器もあり、パンタグラフ用の架線も沢山あります。江畠不動産は岩戸町7にありました。

神楽坂5丁目と岩戸町(昭和20年代後半)
  1. 看板「(神楽)坂警察署/(肴町)巡査派出所」
  2. (同)榮信用金庫牛込支店建築場
    (不)在 箪笥町新宿生活館□□□□営業中 電話□□XX XXXX
  3. 架設柱 小さな電灯「神楽坂肴町医師 松村孝市
  4. 電柱看板「江畠不動産」
  5. 建築材料
  6. きそば
  7. 電柱看板「江畠不動産」
  1. 店の前に自転車が一杯
  2. 高級 注文洋服 大野
  3. 帝都信(用)金庫本店建築場
  4. 電柱看板「宮本産婦人科」
  5. 電柱看板「神楽坂大場医院」「川島歯科」

都市製図社『火災保険特殊地図』昭和27年

人文社。日本分県地図地名総覧。東京都。昭和35年1月。

神楽坂1丁目(写真)昭和63年 ID 97と98

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 97は、昭和63年(1988年)に牛込橋方面から神楽坂下交差点を通り、神楽坂1丁目などを、ID 98は神楽坂1丁目から坂上に向かって撮ったものです。おそらく同時に撮影したのでしょう。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 97 神楽坂入口付近から坂上方向

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 98 神楽坂入口付近から坂上方向

 街灯は一本に2個の6角形のランタン型で、道路側の灯りは下から上に付き、歩道側は上から下です。交差点は「牛込見附」から「神楽坂下」と名前が変わりました。なお坂上の交差点は「神楽坂」だったものから「神楽坂上」に変更しています。
 商店街の名前を示す大きな「神楽坂/美観街」の標識ポールもなくなり、新しい標識ポールができました。向かって右が「神楽坂」、左が「かぐら坂」です。またID 98では右のポールの下に小さな「かぐら坂」もあります。
 さらに下には木製の「神楽坂」があり、区が神楽坂について簡単な由来をかいたものです。
 上向きの矢印の道路標識はロール式の標識で、坂下から坂上までの一方通行を示し、時間によって車両進入禁止の表示と入れ替わります。

神楽坂1丁目(昭和63年)
  1. 電柱看板の「質 大久保
  2. のぼり旗の「360円」。おそらく看板の「ハンバーガー」。マクドナルドがすでに出店
  3. 道路標識「駐車禁止 」「30」
  4. 外堀通り
  5. 電柱看板「八千代鮨」(本多横丁に)
  6. ニューバリー(パチンコ)本日開店
  7. ゲーム
  8. 清水衣装店
  9. きそば 神楽坂 翁庵は「楚」のくずしかな、は漢文で主語を表す助詞「は」の「者」をくずし、濁点をつけたもの。BF、リーチ ふじ 麻雀 3F、公共施設研究所 4F、岩井物産(株)5F。(高い位置の看板)翁(庵)。
  10. (同じく高い位置で黒地の白文字)ローンズ日立
  11. 「エ」だけが見える
  12. (高い位置の看板)(志)満金
  1. AKA(I)
  2. ヒグチトラベル、薬 ヒグチ
  3. 看板「紙 事務用品 文具 原稿用紙 山田紙店
  4. 消火栓標識と消火栓広告「質 大久保
  5. 地下鉄 飯田橋
  6. 不二家
  7. WAD(AYA)(メンズウェア)
  8. 屋上看板「興銀のワリ(コー) 丸和証(券)」。壁面看板「英(会話)。各階 名店ぞろいの! カグラヒルズへどうぞ」。突き出し看板「明光証券。磯忠 麦酒倉。GAME。ECC 、丸和証(券)」
  9. (のぼり旗)神楽坂歳末ドリームセール。年末に近い時期の撮影か?
  10. 丸和証券、珈琲 専門店 マイアミ、GAME、ウェンティーズ。
  11. パチンコ

神楽坂3,4丁目(写真)大正~昭和初期

文学と神楽坂

 大正~昭和初期における神楽坂3,4丁目の写真です。まずは大正15年、毎日新聞社『法政大学(大学シリーズ)』(1971年)から。これは坂上、3丁目の商店街です。坂下と比べて、立派な構えの店が多いと地元の方。私もそう思います。

神楽坂の今昔

中央線がまだ甲武鉄道のころから、文士や学生に愛されたためだろう 情緒豊かなうちにも文化の匂いがここにはあった(大正15年)

神楽坂の今昔

 また、当時の商店街を出しておきます。 岡崎公一氏の「神楽坂と縁日市」「神楽坂の商店変遷と昭和初期の縁日図 昭和5年」新宿区郷土研究会『神楽坂界隈』(平成9年)から一部改編したもの。

岡崎公一氏の「神楽坂と縁日市」
洋品 西洋風の品物。特に、洋装に必要な衣類・装身具や身の回り品など。舶来品。
サムライ洋品 サムライ洋品の商売の仕方が書いています。
銀行 新宿区郷土研究会『神楽坂界隈』(平成9年)の岡崎公一氏の「神楽坂と縁日市」「神楽坂の商店変遷と昭和初期の縁日図」昭和5年では川崎第百神楽坂支店でした。この建物は石造りで、第二次世界大戦中でも頑丈で、壊れず、おそらく昭和30年以降になって新建物になりました。また「昼夜営業」と書いていますが、銀行内に質屋などがあったのか、あるいはサムライ洋品のPRかもしれません。
春月 そば店。詳しくはここで
田原屋 この建物、果物屋の田原屋だと思えると地元の人。

 博文館編纂部『大東京写真案内』(昭和8年、再版は1990年)で道の両側がでています。左側が神楽坂3丁目、右側が4丁目に当たります。

大東京写真案内

大東京写真案内。神楽坂。牛込見付から肴町に到るさかみちが神樂坂、今や山手銀座の稱を新宿に奪はれたとは云ふものゝ、夜の神樂坂は、依然露天と學生とサラリーマンと、神樂坂藝妓の艶姿に賑々しい。

大東京写真案内

銀行(白) 新宿区郷土研究会『神楽坂界隈』(平成9年)の岡崎公一氏の「神楽坂と縁日市」「神楽坂の商店変遷と昭和初期の縁日図」昭和5年では川崎第百神楽坂支店でした。
花柳病 性病。性感染症の巻看板。その下の「間部医院」の場所は袋町5番目。
斉藤医院 皮膚科・婦人科。神楽坂4丁目8番地にあります。

昭和12年『火災保険特殊地図』

昭和12年『火災保険特殊地図』

きそば そば粉だけで打ったそば。また、小麦粉などの混ぜものが少ないそば。これは「春月そば」の袖看板。
キリン おそらく田原屋の袖看板
アーケード 洋風建築で、アーチ形の天井をもつ構造物。その下の通路。拱廊きょうろう。歩道にかける屋根のような覆いや、覆いつきの商店街。一昔の緑門ではなさそう。
銀行(赤) 東京貯蓄銀行の神楽坂店
幟旗? のぼり旗。長方形の縦長の布を棒に括り付けた表示物。集客効果を高め、情報を知らせるため、目印として立てる旗。ここはたぶんモスリン屋の「警世文」
大東京写真案内
三好野甘味 三好野。おしるこなどの甘味屋。「お金持ちで、家は3階建て。遊びに行った時、高そうな鉄道のおもちゃを見せられて、うらやましかった。(年上の子がいたそうです)」と地元の人。
一寸一杯 ちょっといっぱい。居酒屋や飲み屋でよく使う言葉。さて、どの店舗が「一寸一杯」を使ったのか。古老の記憶による関東大震災前の形「神楽坂界隈の変遷」昭和45年新宿区教育委員会では魚国鮮魚店か旧勧工場。新宿区郷土研究会『神楽坂界隈』(平成9年)の岡崎公一氏の「神楽坂と縁日市」「神楽坂の商店変遷と昭和初期の縁日図」昭和5年では魚国鮮魚店か山形屋支店。山形屋支店はどんな店舗なのか、わかりませんが、山形屋支店に一票いれたいと思います。
加藤荒物店 平屋(一階建て)。荒物は家庭用の雑貨類を売る商売。
メイセン屋 銘仙屋か? でも、それらしい漢字はなさそう。銘仙屋は平織りの絹織物を売る店舗。メイセン屋は反物や呉服を扱っていた。
橋本オモチャ 玩具店
山本喫茶店 詳しくはここで。「コーヒー」や「うなぎの御飯」もここでしょうね。しかし、「うなぎの御飯」まで売るとは、すごい。
竹川靴店 靴店は多くは下駄店や履物店と同じ。ただし、横文字を使っているので、靴だけを売っていた?