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神楽坂3丁目(写真) 昭和47年秋~48年春 ID13154~ID13157

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」のID 13152からは神楽坂1~5丁目で歩行者天国の様子を連続で撮影したものです。うちID 13154、ID 13155、ID 13156、ID 13157は神楽坂3丁目から4~5丁目方向を撮っています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13154 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13155 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13156 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13157 神楽坂歩行者天国

 歩道はアスファルト舗装で、一方、車道で坂の傾斜が急な部分はOリングのくぼみがついたコンクリート舗装で、Oリングの位置は「万平」「龍公亭」あたりまででした。それ以上の車道舗装についてはここに。縁石は黄色と無彩色との2色で、意味は「駐車禁止」。また巨大な標識ポール「神楽坂通り/美観街」があります。
 街灯は円盤形の大型蛍光灯です。街灯の柱は他のカラー写真では銀灰色、モノクロ写真では薄い色が多いのですが、この一連の写真は黒く写っています。ID 9781(昭和50年頃)など他にも黒く写っているので、時代によって色が違ったのでしょう。
 電柱は左側だけで、その上に大きな柱上変圧器があります。
 歩行者天国(車道に車を禁止して歩行者に開放した地域)は日曜日の実施中。また、歩行者の大半がコートや外套を着ており、寒い季節ですが、年代の詳細はここで話しています。

神楽坂3丁目→4、5丁目( 昭和47年秋~48年春)
  1. (レストラン)花菱
    ――見番横丁に
  2. 麻雀 一発
  3. ▶「違法駐車はレッカーで移動〇/牛込警察(署)」
  4. (最高速度)高中速度
  5. ▶電柱看板「外科 小児科 斉藤医院」「加(藤)産婦人科
  6. (菊)正宗 青柳寿司 ★サッポ(ロビール) し青柳寿
  7. (そ)ばところ 神楽坂 丸屋 生蕎麦
  8. 丸岡陶苑 DC UC
  9. (消火栓)丸岡陶苑
  10. タイヘイゴルフ
  11. ▶電柱看板「洋傘 ショール 帽子 ヤマダヤ」。
  12. (ヤマ)ダヤ
  13. フルーツ パーラー ジャウト(ー)ヤ
  14. 神楽坂通り/美観街
    ――三つ叉通り
  15. 宮坂金物店
  16. ▶電柱看板「 フクヤ」
  17. 三菱銀行
  18. 遠くに「協和銀行」
  1. (歩行者横断禁止)
  2. 縞模様のテント(赤と黄色 神楽坂青果店)
  3. (消火栓)火災警報器
    ――芸者新道へ続く路地
  4. 鮨どころ(二葉
  5. カバーマーク(美容品)(ニューマヤ美容室)
  6. 積まれた布団(フトン関商店)
    (数店おいて)
  7. 清酒〇〇〇 鳥忠
  8. 日邦工〇(宮坂ビル)
    ――本多横丁へ
  9. 仐(近江屋履物店)

▶は歩道上で車道寄りに広告がある
▶がない場合は直接店舗に

住宅地図。1976年

神楽坂2丁目(写真)昭和48年 ID 8805, ID 8806

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8805とID 8806は、昭和48年(1973年)2月、神楽坂2丁目から坂上を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8805 神楽坂

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8806 神楽坂

 休日の歩行者天国が始まっています。「歩道がそれ以前のブロック敷きからアスファルトになっています」と地元の方。一方、車道について、急勾配のコンクリート坂は滑り止めが必要ですが、これは道路表面に円形のオーリングを埋め込み、一定時間後にそれを取り除く方法をとっています。
 街灯は円盤形の大型蛍光灯で、街灯から地面に行く途中に標識「神楽坂通り」があります。
 電柱の上には大きな柱上変圧器があり、電柱看板も見られます。また遠くに「神楽坂通り/美観街」が見えています。

神楽坂2丁目(昭和44年)
  1. 化粧品 おしゃれの店 十奈美 ブラバス・スタッフ/BR  KOJI/コージーアイラッシュ MG5
  2. 電柱の剥がされたビラ「ベトナム革(命)」
  3. おしゃれの(S)PO(T)T ESUTA(洋品店)
  4. とんかつ かん一(2階)
  5. (高い位置に マルマン)ガスライター メガネのオオカワ Nikon メガネレンズ
  6. 街灯看板「神楽坂通り」
  7. 電柱看板「歯 石川」「 大久保
  8. ヒデ美容室
  9. (音楽)長崎(五条ビル)
  10. 菊正宗 青柳寿司
  11. そばどころ 神楽坂 丸屋
  12. 三菱銀行
  1. ビクター音楽 リ(ード商会)(レコード店) 2階 (名)人荘 (麻雀店)
  2. 山田紙店 仮営業所(以前の亀井寿司)
  3. 資生堂化粧品 さわや  カネボウ化粧品
  4. 喫茶 馬
  5. マーサ美容室(窓からウインドウ型のエアコンが飛び出している。昭和40年(1965)頃の写真ID 15にはないもの。店舗の冷房が普及していった時期でしょう)
  6. アザミ
  7. ナショナル クレジット ナショナル カラーテレビ(竹谷電気工事)
  8. 小料理 万平
  9. 東洋紡カーテン(菱屋
  10. 東京電力(サービスステーション)
  11. 鮨どころ 二葉
  12. 酒酒 鳥忠
  13. 五十(番)

1973年。住宅地図。

東京の路地を歩く|笹口幸男⑤

文学と神楽坂

最後に、“こぶりながら”見落とせないピカッと光る路地を紹介しておきたい。飯田橋駅のほうから、坂を上りきる手前の左手〈青柳寿司〉の脇に入ると、すぐ右手にお稲荷さんと、その隣りに神楽坂芸妓組合がある。その斜め前の喫茶店〈シャトレーヌ〉の横が路地になっているが、まず地元の人でなければ気づかないであろう。でも土地の人はよく利用している。ひっそりとした、狭い路地で、右にカギの手に曲がると、すぐ石段になり、それを下ると真正面に〈斉藤医院〉がある。そこを右に折れて道なりに行くと、すぐ通りに出る。通りからすぐ反対側の民家の間がまた上り坂になった路地となる。上りつめてから振り返って見ると、高台にへばりついている神楽坂の家並みを望むことができる。初めに書いたような、高低差のある地形的な利点をもつ神楽坂は、きわめて優雅な街の景観をあちらこちらに残している。

この取材のためにも何回か歩いたが、またそれとは別にウォーキング・シューズをひっかけて、気ままに足の向くにまかせて歩いてもみた。渋谷も原宿も西麻布もけっこうだが、たまには発想を転換して、神楽坂散歩を試みられることをぜひおすすめしたい。

もう一度だけ、私の好きな『私のなかの東京』から、引用させていただく。

関東大震災後のきわめて短い数年間を頂点に、繁華街としての神楽坂という大輪の花はあえなくしおれたか、いまも山ノ手の花の一つであることには変りがない。そのへんが毘沙門さまをもつ神楽坂に対して金比羅さまをもつ虎ノ門あたりとの相違で、小なりといえども花は花といったところが、現在の神楽坂だといえるのではないだろうか。
開けっぴろげな原宿の若々しい明るさに対して、どこか古風なうるおいとかすかな陰影とをただよわせている神楽坂は、ほぼ対極的な存在といってまちかいないとおもうが、将来はいざ知らず、現状に関するかぎり、その両極のゆえに私の好きな街の双璧といってよい。

そして私は、ほんとうに久しぶりにあの酒場の暖簾をくぐった。店のたたずまいは昔と少しも変わらない。ただ、路地の入り囗の右手が立派なビルの料亭に変わっていた。その日は多少早めに行ったので、おやじさんと言葉をかわす余裕があった。同僚と二人でごく自然に杯をかわすこともできるようになっていた。つくずく時の経過というものを感じた。自分からもいつのまにか若さのとげとげしさといったものが、消えているように思えた。酒量が確実に落ちたのに対して、良い悪いは別として、酒を楽しむ境地になっていた。

こぶり 同類の他のものに比べると少し小形なこと
青柳寿司 寿司はなくなりましたが、「青柳LKビル」が残っています。1階は「沖縄麺屋 おいしいさあ」です

おいしいさあと稲荷稲荷 正式には伏見ふしみ火防ひぶせ稲荷いなり神社
神楽坂芸妓組合 正式には「東京神楽坂組合」
シャトレーヌ 現在は「恵さき」
芸者組合と恵さき石段 この階段や路地は「熱海湯階段」(まちづくりの会『神楽坂楽楽散歩』、『東京人』123号)、「熱海坂」か「カラン坂」(牛込倶楽部平成10年夏号『ここは牛込、神楽坂』)、「芸者小路」(階段下の音声ガイド)、「フランスの坂」、「一番湯の路地」、などと呼んでいます。

芸者小路

芸者小路

斉藤医院 現在は「別亭鳥茶屋」
通り 小栗横丁のこと
路地 堀見坂と『ここは牛込、神楽坂』第13号「路地・横丁に愛称をつけてしまった」と書いてありました。
金比羅 港区虎ノ門一丁目にある神社、敷地内には、金刀比羅宮との複合施設として虎ノ門琴平タワーがあります。場所はここです。金比羅
酒場 「伊勢藤」でしょう
ビル 山本ビルに変わりました。一階は鳥茶屋本店