地蔵坂(写真)藁店 昭和59年 田口重久氏

文学と神楽坂

 田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」の地蔵坂で、昭和59年(1984年)10月6日の写真を上げておきます。坂の右側は神楽坂5丁目が主で、左側は袋町が主です(地図は下にあります)。歩道はあり、下水は道路の側溝を流れ、また坂が登りになると車道は滑り止めのオーリングを使って施工しました。自動車は対面通行でした。電柱の上には細い柱上変圧器もありますが、大きなものもありました。街灯は、恐らく水銀灯でしょう。

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」地蔵坂上から 05-10-46-02 1984-10-06

 田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」の地蔵坂で、昭和49年(1974年)12月21日に撮影して。ほぼ同じ画角の05-10-45-2と比較します。
 まず中央にある「竹兆」の電柱看板は、昭和49年はありません。さらに坂下には3階建ての建物から「八百美喜」の看板が出ていますが、昭和49年は2階屋でした。
「八百美喜」の手前の白いビルは、昭和49年は平屋でした。その手前の庭木は昭和49年より少し大きくなっています。白いビルの前に立つ電柱の街灯は同じ水銀灯のようです。この電柱の広告は「理髪モリワキ」で、昭和49年にも同じ場所に広告があります。昭和49年は斜め線らしき縁取り以外は判読できませんが、05-10-45-3と比べると同じ広告でしょう。
 田口氏の昭和49年と昭和59年の写真の中間には、新宿歴史博物館の昭和54年(1979年)の写真ID 79-82があり、街の細かな変化が見て取れます。

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」地蔵坂標柱近景 05-10-46-03 1984-10-06

 ポスター「幼児のめんどう/みて下さる方を/求めています/お電話下さい」と木製の標柱「地蔵坂(じぞうざか)」が見えます。

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」地蔵坂標柱近景 05-10-46-04 1984-10-06

 標柱は「この坂の上に、光照寺があり、そこに地蔵菩薩がある。それにちなんで、そう呼ばれている。また。別名藁店坂わらだなざかともいう。このあたりに藁を売る店があった。」

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