八百文とキッコ|神楽坂5丁目

文学と神楽坂

神楽坂5丁目に「八百文」がありました。現在は神楽坂料理飲食業組合ビルになり、キッコ・ジャパン(合鍵と靴の修理の店)などがはいっています。場所はここ
キッコ
神楽坂アーカイブズチーム編「まちの想い出をたどって」第2集「肴町よもやま話②」(2008年)では

相川さん その隣が福田さん。
馬場さん 果物屋だ。
相川さん 「八百ブン」といって、本当は八百屋なんだ。だから、果物やったり八百屋屋やったり。それから苗木。朝顔とか糸瓜の種だとか、そんなのを売っていて。そこのすぐ隣に三尺の路地(注)がありましてね、その路地をずっと入っていくとあたしんところに出られた。(注。現在の料飲組合に入る通路
山下さん やっぱりここに通路があったんですか?
相川さん あったんです。ということはね、ここの果物屋さんのお勝手入るところがないでしよ。伊勢屋さんもないんですよ。この三尺の路地をつたわってこういう風にして、お勝手へきたの。で、こういう風になってね。あたしんところがここだから。
馬場さん 波の板がブリキで貼ってありましたね。私が岩戸町へ抜けるために、あれをボラボラボラとして(ブリキの波を棒で音を立てながら?)通った覚えがあるよ。
相川さん いや、塀でした。
馬場さん 塀じゃなくてさ。壁が。「三笠屋」(注)側は波板が貼って鳴らしながら通ったんだよ。子どもんときに。(注。現在の空き店舗、ここに家具店があった)
相川さん ちょっと記憶がないな。その後ろに小菊さんがいたんだよ。花柳小菊さん。三笠屋の真後ろ。私んところの玄関の前に小菊さんがいた。
古老の記憶による関東大震災前の形「神楽坂界隈の変遷」昭和45年新宿区教育委員会より

古老の記憶による関東大震災前の形「神楽坂界隈の変遷」昭和45年新宿区教育委員会より

1952年の5丁目(青線は道路の想像図)

1952年の5丁目(青線は路地の想像図)

この「現在の料飲組合に入る通路」ですが、2008年頃の図で出ています。神楽坂料理飲食業組合事務所です。

2008年神楽坂5丁目

2008年神楽坂5丁目

現在、みんな一緒になって五階建ての神楽坂料理飲食業組合ビルになりました。

2016年の5丁目

2016年の5丁目

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