牛込の鼠坂という坂がありました。場所はここ。横関英一氏の『江戸の坂 東京の坂』(有峰書店、初出は昭和45年)が詳しく
石川悌二氏の『江戸東京坂道事典』(新人物往来社)では
納戸町と鷹匠町の境を北上する坂で、中根坂の北東にあたり、『東京案内』には「牛込納戸町と市谷鷹匠町の間より加賀町に下る坂路あり、鼠坂と呼ぶ」とある。狭い坂道で坂下が袋小路になっているようなものをむかしの人は鼠坂と袮し、『改撰江戸誌』に「鼠坂は至ってほそき坂なれば、鼠穴など地名の類にてかくいふなるべし」と書かれている。この坂の下も加賀町一丁目大日本印刷会社東辺の谷間で、その東に芥坂があり、西には中根坂が市谷本村町陸上自衛隊本部裏手へと南上していて、その道をさらに進めば左内坂上に至る。市谷台と牛込台のはざまである。 |
山野勝氏の『古地図で歩く江戸と東京の坂』(日本文芸社)では
その仇討跡からさらに進み、突きあたりを片折する。道は緩やかな下りになる。この古趣の漂う坂を鼠坂という。鼠のような小動物しか通れないような細い急坂で、坂下が袋小路になっているような所を、昔の人は鼠坂と称したようで、都内には同名の坂が、この他に文京区音羽一丁目と港区麻布永坂町にあるが、山地の坂も鼠の通路のイメージに近いと思われる。しかし、残念なことに坂の下部付近に、先の芥坂と同様の歩道橋が架けられたため、坂下は大日本印川の柵内にとり込まれてしまった。歩道橋を進んでいくと、前述した中根坂の上り囗に出ることになる。 |
遠くでは昔と変わらない光景が出てきます。
ここで昔の鼠坂は赤の坂道でした。しかし、中根坂に歩道橋ができて、そのためこの歩道橋につなぐピンク色の道もできました。鼠坂の下3分の1(ピンク色のうち南1/3の坂)は通行はできず、現在はあったことも判らなくなっています。以前の坂は…
以前は標柱もあったようです。「細くて狭い坂だったから、まるで鼡がとおるほど狭かったからそう名づけたのであろう」と書かれていました。