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東京妓情(1)|神楽坂

文学と神楽坂

 酔多道士氏が書いた『東京妓情』(明治19年、1886年)です。変体仮名がところどころに出てきます。たとえば「()ni-4」は「()に」の変体仮名です。このころは字体もいろいろなものがありました。

東京妓情

『東京妓情』の表紙と神楽坂芸者の絵

00

[大まかな現代語訳]○神楽坂 牛込門の外にある
○神楽町 ○肴町で歌をうたう芸妓を神楽坂では芸者という。
○歴史
○頭の中で考えたちょっとばかり仏教の方法
太鼓をたたき、鈴を振り、祝詞を朗々と発する神楽坂芸者は殺風景な歌妓ではない。そう、神楽坂芸者は以前からちゃんとあった。でも大昔からあったというわけでない。明治維新以降、大きな邸宅を開放し、今では市街となったところがある。関西の血気盛んな男子は、股間に猿田彦のような逸物を配し、女性はいないのかなと、あちらこちら散歩する。こんなカモがいると、詐欺師のほうは『天の宇須女』と似ている女性をおとりに使う。そして、楊弓店と似ている風俗営業の店もたくさんあった。でも、天照大神と同じことをするだけだ。耳をそばだてて聞くようなものでは恐れながらありません。
○神楽坂

肴町(さかなちやう)歌妓(かぎ)神楽坂(かぐら)芸者(げいしや)()
○歴史
仮設 法妙
太鼓(たいこ)(たゝ)(すゞ)()祝詞(のっと)(らう)する 神楽(かぐら)(ざか)() 殺風景(さつふうけい)歌妓(かぎ)あらんや (しかう)して(これ)あり ()(もと)より()(ところ)にあらず 一新(いつしん)以後(いご)旗下(きか)(てい)(ひら)いて 市街(しがい)となせしより関西(くわんさい)健児(けんじ)股間(こかん)猿田彦(さるたひこ)(めん)(はさ)み (そゝ)()(ある)しを(もつ)て (これ)(あみ)せんとて (あめ)宇須女(うずめ)(ごと)()(ゑじ)とし開設(かいせつ)したる楊弓店(やうきゆうてん)変成(へんせい)(かゝ)はる。そのこと神明(しんめい)  と一轍(いつてつ)(いづ)るを(もつ)て (べつ)()ッの御耳(おんみゝ)()()()かしむべき(こと)なしと(おそれ)()みのみ(まう)

肴町 神楽坂5丁目のこと
歌妓 酒宴で歌をうたう芸妓
仮設 現実とは別に、頭の中で考えること
 しゃく。尺貫法の容積の単位。わずか。少量
法妙 仏教で正しい道。優れた方法
祝詞 のりと 祭祀にあたって神前で称える詞章。祝いの言葉。祝辞。しゅくし
朗す 声がはっきりとしていて、よく通る
豈に あに。あとに推量を表す語を伴って、反語表現を作る。
殺風景 おもしろみがなく、興ざめすること
あらんや 「んや」で反語。あるはずない
而して しこうして。そうして
一新 いっしん。すっかり新しくすること。ここでは明治維新のこと
旗下 きか。大将の旗印のもと
健児 けんじ。血気盛んな男子
猿田彦 http://waclub.web.fc2.com/koraku-g-5.htmlさるたひこ。高天原から神様が降りてくる(天孫降臨)とき、天狗様(猿田彦)は道案内をした。猿田彦の面は鼻の高い面で、股間に置いてあると、まあ、意味はわかるでしょう。写真は
http://waclub.web.fc2.com/koraku-g-5.html
行吟 こうぎん。散歩して詩を口ずさむこと
網す 魚・鳥などを捕らえるために網をかける。クモが網を張る
宇須女 うずめ。天照大神が、天岩屋にお隠れになった時、宇須女は怒りを静めるため、天岩屋戸の前で舞を踊りました。
 えさ。動物を飼育する食物。人をだましたり、誘ったりするために提供される金品や利益
楊弓店 ようきゅうてん。料金を取って楊弓で遊ばせた店。人の多く集まる寺社付近にはたくさんの矢場という楊弓店が設けられ,手軽な娯楽として庶民に広がっっていきました。矢取り女を置いて、ひそかに媚びを売る風俗営業の店も多かったようです。
変成 へんせい。形が変わってでき上がること
神明 しんめい。祭神としての天照大神
一轍 いってつ。一筋の車のわだち。車のわだちを一つにすること。転じて、同じであること
八ッの御耳 ヤツのおんみみ。八御耳。「ヤツ」は天元の8神「ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ」のこと。天元の差使からの告げを聞く耳。祓いの祝詞「天地一切清浄祓(てんちいっさいしょうじょうはらい)」に出ています。
畏み フリガナでは「おそれに」と書いていますが、本当は「かしこみ」と読むのが正しいでしょう。恐れ多いと思う
曰す もうす。申す。「言う」の謙譲語です

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東京妓情(2)|神楽坂

文学と神楽坂

001[大まかな現代語訳]

   ○風俗
東京は広い。関東道を通って120kmの大きさだ。東京を2つに分割し、下町と山ノ手に分ける。その気だても風俗も少々違い、同様に芸者も違っている。ここの芸者の客筋は、陸軍武人、あるいは官僚の使用人、書生などの田舎者が多く、そのため気力も競争も習い事もない。ただ首をおしろいで白く塗り、ふしだらで、客がべろべろになれば、芸者としてはもう十分だ。音曲などの芸能についてはカッポレや民謡ができれば客も大喜びで、1円も祝儀をもらえる。芸能がうまいというのは、ここでは聞いたことはない。でも神楽坂に芸者がなくなれば、山ノ手に歌う芸者がいなくなったといいたい。思うに時折、みめかたちがいいのもいるからだ。
  神楽坂辺りの芸者はいい声をだす。牛込御門の外から来た客は(よだれ)を流す。道を休める時に山園では豊かな産物は少ない。野生の鶯は自分で春の美しい姿をほめたたえている。
   ○風俗(ふうぞく)
洛陽(らくやう)(ひろ)関東道(くわんとうみち)にして三十() その洛陽(らくやう) 城前(じやうぜん)下町(したまち)(とな)へ その(うしろ)(やま)()といふ (しか)して意気(いき)風俗(ふうぞく)(やゝ)(こと)なり ()()けるも(また)(しか)り 本地(ほんち)芸者(げいしや)陸軍(りくゞン)武人(ぶじん) (あるい)鯰公(ねんこう)執事(しつじ) 書生等(しよせいとう)田舎漢(いなかもの)(おほ)きに()(ゆゑ)に 意気地(いきぢ)立引(たてひ)(なら)いなく (たゞ)その(くび)(しろ)くし その(しり)(かる)くし (きやく)をして沈湎(ちんめん)(どろ)(ごと)くならしむるの(じゆつ)あれば ()(やく)()むを(もつ)て 技芸(ぎげい)(ごと)きはペコシヤカと 猾惚(かっぽれ)甚句(じんく)(さう)すれば 客意(きやくい)(たつ)じ 円助祝儀(しうぎ)頂戴(てうざい)(いた)(ゆゑ)に ()ちを()()らんとするものは (かつ)見聞(けんもん)せざるなり (しか)れども ()神楽坂(かぐらざか)芸者(げいしや)なくんば ()断然(だんぜん)山の()に 歌妓(かぎ)なしと()はんのみ (けだ)()りに姿色(ししよく)()るべきもの()づればな里
  神楽坂ノ辺妓弄シ。牛籠門外客涎ヲ流ス。道ヲ休メテ山園物華薄シト。野鶯亦自ラ春頌ス

関東洛陽 後漢は、前漢(西漢)の都である長安から東の洛陽に遷都したため、洛陽を「東京」と呼びました。
関東道 律令制下では、「関東道」は、相模国、武蔵国、常陸国、下総国、上総国、安房国と6国がらできていました。現在の南関東です。
三十里 近世では一里は36町(3.6~4.2㎞)。明治24年に一里は3.9272727…㎞と定めて、30里は約117㎞。大体、東京駅から日光までです。相模国の最西端から常陸国の最東端まで約30里だったのでしょう。
城前 皇居の前
意気 事をやりとげようとする積極的な気持ち。
 やや。すこし。いくらか。
本地 ほんち この土地。当地
鯰公 明治の元勲の多くは侍といっても、足軽なみの出。劣等意識の裏返しか髭をたくわえ鯰公といわれました
執事 屋敷における最高位の使用人
意気地 事をやりとげようとする気力
立引き ある目的のために競い合うこと
習い 学ぶこと。学んだこと
尻が軽い 女が浮気である
沈湎 ちんめん。酒色にふけってすさんだ生活を送ること
 じゅつ。わざ。技能
技芸 ぎげい。美術・工芸などの技術
猾惚 俗曲の曲名「カッポレ カッポレ」。俗曲とは幕末から明治にかけて流行した俗謡と滑稽な踊り
甚句 じんく。民謡の一群。参加者が順番に唄い踊る形式。
客意 客の意向
円助 えんすけ。1円のこと。明治・大正期、花柳界での隠語
頂戴 ちょうだい。チヤウダイ。もらうこと
断然 態度のきっぱりとしているさま
姿色 美しい容貌
な里 なり
 のど
弄シ いじる〔いぢる〕
物華 中国の言葉で「物華天宝、人傑地霊」とは「豊かな産物は天の恵みであり、優れた人間はその土地の霊気が育む」という意味。(はい、東京理科大学からとりました。 (https://www.tus.ac.jp/search/?q=物華天宝
 けん。優美なこと。美しいこと
頌ス しょう。人の徳や物の美などをほめたたえること