日別アーカイブ: 2017年2月1日

青葡萄⑥|尾崎紅葉

文学と神楽坂

無論(むろん)(かれ)通夜(よすがら)()いて、啼死(なきじに)()ぬか、(あるひ)はそれから(やまひ)()るか、自分(じぶん)(こゝろ)(ふた)つに()(ひと)つ、神気(しんき)(ため)錯乱(さくらん)して、(つひ)巣鴨(すがも)()き、秋葉(しゆうえふ)駒込(こまごめ)()られ、藤枝(ふぢえ)(れい)赤坂(あかさか)(おく)られたかも()れぬ。
一家三人(いつかさんにん)同日(どうじつ)災厄(さいやく)遺族(ゐぞく)六人(ろくにん)終天(しゆうてん)不幸(ふかう)(すんで)(こと)黙阿弥(もくあみ)正本(しやうほん)(しやう)()るところであつた!
自分(じぶん)(おぼ)えず(しば)(かた)(むか)つて、神明宮(しんめいぐう)遥拝(えうはい)したのである。
[現代語訳] むろん彼は夜どおし泣いて、泣いて死亡するか、あるひはそれから病気になるか、自分の心はふたつ、身はひとつ、精神力のため錯乱して、ついに自分が巣鴨の精神病院へ行き、秋葉は駒込病院感染症科へ行き、藤枝は例の赤坂の青山墓地へ送られたかもしれない。
 一家三人が同じ日の災厄、遺族六人は終わりのない不幸、すんでのことろで、黙阿弥の正本を本物で見るところであつた!
 自分は知らず知らず芝の方に向かって、神明宮を拝んだのである。

よすがら 終夜。一晩中。よもすがら。「すがら」は接尾語。
神気 万物のもとになる気。精神力。気力。
巣鴨 精神科で有名な都立松沢病院。
駒込 感染症で有名な都立駒込病院。
藤枝 尾崎紅葉氏の長女。
赤坂 不明。赤坂で考えるものはまず青山墓地。児童救済施設としては赤坂区青山にできた私設の東京孤児院。しかし、創設は1900年で、この小説は1895年にでています。公立の東京府養育院については赤坂の施設はありませんでした。
災厄 災い。災難。
終天 終わりのない時間。
黙阿弥 河竹黙阿弥。かわたけもくあみ。幕末から明治時代の歌舞伎作者。明治14年引退して黙阿弥を名のる。時代物、世話物、所作事を行ったが。本領は生世話物。生年は文化13年2月3日。没年は明治26年1月22日。享年は78歳。作品に「蔦紅葉宇都谷峠(つたもみじうつのやとうげ)」「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」など。
正本 謄本・写本などのもとになった本。原本。歌舞伎では上演用脚本。役者のせりふや動作、大道具・小道具・衣装・音楽などを詳しく書いた筆写本。
 しょう。本物。真実。
覚えず おぼえず。無意識のうちに。知らず知らず。
 港区の旧区名。増上寺、東京タワーがある。
神明宮 芝大神宮。港区芝大門一丁目にある神社。
遥拝 ようはい。遠くへだたった所から拝むこと。

(うれ)しくも春葉(しゆんえふ)(かへ)つて()た。届書(とゞけしよ)凧市(たこいち)(かど)派出所(はしゆつじよ)()したと()ふ。巡査(じゆんさ)()ぶが(ごと)(それ)()つて警察署(けいさつしよ)(はし)つたとやら。
派出所(はしゆつじよ)! 巡査(じゆんさ)! と()(ことば)は、(きは)めて、(きは)めて不快(ふくわい)(ねん)(おこ)さしめた、(むし)苦痛(くつう)(かん)ぜしめた、自分(じぶん)怏々(あう/\)として、(たゞ)(かれ)(かた)るまゝに(うなづ)いてばかりゐたのである。
(あゞ)派出所(はしゆつじよ)料理屋(れうりや)巡査(じゆんさ)御酌(おしやく)になれば()いがなあ。」
春葉(しゆんえふ)(かほ)()れば、
(さう)でございます。」
(かれ)苦笑(にがわらひ)をした。
自分(じぶん)(はじ)消毒薬(せうどくやく)失望(しつばう)し、(つぎ)には立合医(たちあひい)失望(しつばう)し、(いま)警察署(けいさつしよ)(ます/\)失望(しつばう)した。これから檢疫医(けんえきい)出張(しゆつちやう)がある。これが失望(しつばう)(そこ)である。(この)(そこ)()くか、()かぬか、一髪(いつぱつ)(つな)(ところ)(いま)
自分(じぶん)(また)ヰスキイを()むだ。(その)一盃(いつぱい)春葉(しゆんえふ)(あた)へて、
「これは魔除(まよけ)だ。」
(かれ)感謝(かんしや)して()けて、迷惑(めいわく)して嚥込(のみこ)むだ。
(エム)()(これ)()つたやうだ。」
自分(じぶん)(また)()む。
[現代語訳] 嬉しくも春葉は帰ってきた。届書は凧市の角の派出所へだしたという。巡査は飛ぶがごとくそれをもって警察署へ走ったという。
 派出所や巡査という言葉は、極めて、極めて不快の念を起こし、むしろ苦痛を感じた。自分は晴れ晴れせず、ただ彼が語るままに頷いてばかりいたのである。
「ああ派出所が料理屋に、巡査が御酌になればいいのに。」
と春葉の顔を見れば、
「そうでございます。」
と彼は苦笑をした。
 自分は始め消毒薬で失望し、次には立合医で失望し、今や警察署でますます失望した。これから検疫医の出張がある。これが失望の底である。この底を抜くか、抜かないか。一髪のつなぐ所はここだ。
 自分はまたウィスキーを飲んだ。その一盃を春葉に与えて、
「これは魔除けだ。」
 彼は感謝して受けて、迷惑して嚥みこんだ。
「M氏はこれで酔ったようだ。」
と自分はまた飲んだ。
凧市 新撰東京名所図会 第41編(東陽堂、明治37年、1904年)では「牛込肴町」として
「當町は神樂阪の表通りにて有名なる緣日を有する毘沙門堂あれば最も繁華なり。料理店(●●●)には吉新(二番地)鳥料理(●●●)には川鐵(二十二番地)()は都壽司(十一番地)牛肉問屋(●●●●)は近江屋(三十二番地)菓子(●●)は風流軒(三十五番地)紅屋支店(二十九番)魚商(●●)はしづ岡(三十五番地)酒店(●●)は萬長(六番地)あり。飲食店の一斑を擧ふ此の如し。其の他呉服(●●)店には布袋屋(十一番地)美術袋物(●●●●)は坪屋(二十三番地)金物(●●)は林(十七番地)()は相馬屋(五番地)洋傘(●●)は車屋(二十七番地)銀行(●●)は尾張屋銀行支店(二十六番地)あり。若し又待合に御用あらば。吾妻屋(四十一番地)といへるがあり。何れも皆電話を有し居れぱ。御注文は隨意なり。もと二十六番地に凧一(●●)とて有名なる玩具屋ありしが、今はなし。」と書いてあります。凧市(たこいち)凧一(たこいち)と同じでしょう。凧一は交番に近く、尾張屋銀行と同一か似た場所にありました。

肴町 1912年、地籍台帳・地籍地図から

怏々 おうおう。心が満ち足りない。晴れ晴れしない。
 物事が進んで、最後に行きつくところ。限界。
一髪 ごくわずかのすき間。
迷惑 どうしてよいか迷うこと。とまどうこと。困ること。
M氏 立合医の医師です。少しのウィスキーで酔っぱらいました。

青葡萄⑤|尾崎紅葉

文学と神楽坂

西木(にしき)(おれ)葡萄酒(ぶだうしゆ)()つて()た。わざ/\()つて()たのだから、()まなくちや()かんよ。」
(あと)では()記臆(きおく)せぬが、「(おれ)深切(しんせつ)()になるから。」と()つたやうに(おぼ)える。(おも)へば、(まこと)因無(よしな)ことを()つた。(かれ)(ため)にと(おも)ひに(おも)つた葡萄酒(ぶだうしゆ)も、(これ)では(かれ)()つて(まさ)しく感情上(かんじやうじやう)大毒薬(だいどくやく)であつた。自分(じぶん)(あさ)ましくも我囗(わがくち)から(おん)()つたのである。
然無(さな)きだに(かれ)我家(わがいへ)厄介(やくかい)になる(うへ)に、()(やまひ)()て、迷惑(めいわく)をば()けるのを、無上(むじやう)気毒(きのどく)(おも)つてか、四五日前(にちまへ)から、()ろ/\と人々(ひと/”\)(すゝ)めたのに、()ほど不快(わるい)ことは()いと言張(いひは)つて、(やまひ)()してゐたのである。人目(ひとめ)(しの)むでは玄関(げんくわん)()してゐたのを、(いつも)午睡(ひるね)とばかり(おも)つてゐたが、其実(そのじつ)太義(たいぎ)であつたのであらう。けれども(やまひ)気色(けしき)(あら)はれなかつた。今日(けふ)午後(ひるすぎ)ばかりは、(つひ)()へかねて此間(このま)(たふ)れたのであるが、(かれ)(こゝろ)(うち)では、(これ)非常(ひじやう)気毒(きのどく)(おも)つてゐるのである。それさへあるに、自分(じぶん)一瓶(いちびん)葡萄酒(ぶだうしゆ)(おん)()つて、(われ)我口(わがくち)から深切(しんせつ)(てら)つた
自分(じぶん)平生(へいぜい)門生(もんせい)(むか)つては、(いさゝか)仮借(かしやく)()く、(その)()ふことは(きは)めて無愛相(ぶあいさう)で、(みづか)()ることは(もつと)高飛車(たかびしや)である。弟子(でし)()(おな)じものを、(げん)()ぐる(をし)ふるの(みち)でない、それは自分(じぶん)心得(こゝろえ)てゐる。心得(こゝろえ)てゐながら(かう)()るには(わけ)()くては(かな)はぬ。(わけ)()る、(おほ)いに()るのである。
     (四)
(およ)天下(てんか)小癪(こじやく)(さは)るものは、近来(ちかごろ)後進(かうしん)とか(とな)へる修行中(しゆぎやうちう)小説家(せうせつか)である。渠等(かれら)(れい)心得(こゝろえ)ぬことは、山猿(やまざる)よりも(はなはだ)しい。一面識(いちめんしき)()いのに卒然(ぬう)()(つう)て、懐中(ふところ)から(なに)()いたものを()して、御覧(ごらん)(ねが)ひたい、と()つて其日(そのひ)(かへ)る。(あと)から(ぢき)手紙(てがみ)寄来(よこ)して、(はや)添削(てんさく)(ねが)ひたい、添削(てんさく)出来(でき)たら、何処(どこ)へでも御世話(おせわ)(ねが)ひたい! (おどろ)かざるを()ぬ、(あき)れざるを()ぬ。
(また)一面識(いちめんしき)()いに、原稿(げんかう)(じやう)()へて、「方今(はうこん)文壇(ぶんだん)其人(そのひと)(おほ)しと(いへど)も、不肖(ふせう)(あふ)ぎて()(たの)べきもの、先生(せんせい)()いて、其誰(それたれ)()らむ。」と(まづ)(うれ)しがらせて、これほどに(おも)ふものを、添削(てんさく)して(くだ)すつたとて、万更(まんざら)(ばち)(あた)りますまい、と()つたやうな口説(くどき)()いた(すゑ)が、可成(なるべ)(はや)()()れて返送(へんさう)(ねが)ふとしてある。それで(なか)二銭(にせん)郵便切手(いうびんきつて)一枚(いちまい)()れてない。いやもう、(じつ)大詩人(だいしじん)ほど(すご)いものはない。
此等(これら)()()い。二度(にど)でも三度(さんど)でも斧正(ふせい)(かたじけ)なうして、(どう)(かう)世間(せけん)紹介(せうかい)までしてもらつて、覚束無(おぼつかな)独歩(ひとりあるき)出来(でき)るやうになると、さあその()無沙汰(ぶさた)! 近火(きんくわ)があらうが、それから十日(とをか)()たうが(かほ)()すでもない。(きびし)いのは、年始状(ねんしじやう)をさへ寄来(よこ)さぬのがある。(かれ)(みづから)()(ごと)詩人(しじん)であるなら、一時(ひとしきり)一日(いちにち)三度(さんど)(くゞ)つた十千万堂(とちまんだう)格子(かうし)此雨(このあめ)には如何(いか)()つらむ此月(このつき)には(かど)梅香(うめがか)如何(いか)(にほ)はむぐらゐは、(おもひ)(うか)べさうなものであるに。
(しか)(これ)()()い。現在(げんざい)立派(りつぱ)門下生(もんかせい)(しよう)して、草稿(さうかう)(もつ)()れば、(いか)御世話(おせわ)にもなつてゐながら、(かげ)(まは)ると、先生(せんせい)同輩(どうはい)(あつか)つて、其名(そのな)呼捨(よびすて)にしたり、「あれ」がなどヽ()代名詞(だいめいし)(もち)ゐたりして、其人物(そのじんぶつ)(へん)し、其文章(そのぶんしやう)(のゝし)るのがある。
これは自分(じぶん)(もん)往来(わうらい)する後進(かうしん)()のみではない、何方(いづかた)(さう)のやうである。(かんが)へて()れば、後進(かうしん)野面(のづら)で、薄情(はくじやう)で、不埒(ふらち)(かぎ)つたのでもなくて、(つま)(ところ)先生(せんせい)(とく)(うす)いからかも()れぬ。

[現代語訳] 「西木、おれが葡萄酒を買って来た。わざわざ買って来たのだから、飲まなくちゃいかんよ。」
 後ではよく記憶しないが、「おれの親切がゼロになるから。」と言ったように思える。思えば、まことにくだらないことを言った。彼のためにと考えに考えた葡萄酒も、これでは彼にとってはまさしく感情的には大毒薬であった。自分はあさましくも自分の口から恩を売ったのである。
 それでなくてさえ、彼は我が家の厄介者で、こんな病気にかかり、迷惑をかけるのは、この上なくきまりが悪いと思ったのか、四五日前から、寝ろ寝ろと人々は勧めたのに、さほど悪いことはないと言い張り、病を押してやっていたのである。人目を忍んで玄関で横になり、いつもの昼寝さと、思っていたが、その実、億劫だったのであろう。けれども病気は体調にあらわれなかった。今日の午後には、ついに堪えかねてこの部屋にたおれたが、彼は心のうちでは、これを非常にきまりが悪いと思っているのである。それなのに、自分は一瓶の葡萄酒で恩を売って、我と我が口で親切の押し売りをしたのである。
 自分はいつも門生に向かっては、いささかも仮借なく、その言うことには極めて無愛相で、立ち振る舞いについては最も高飛車である。弟子は子供と同じであり、一定よりも厳密すぎる場合、もはや教える道でないのである。それは自分も心得ている。心得ていながらそうするのには理由がなくてはいけない。理由がある、大いにあるのである。
     (四)
 およそ天下で生意気なものは、近頃、後輩と称する修行中の小説家である。彼らの礼儀については心がけていないことは、山猿よりもはなはだしい。一面識もないのに、ぬうと名刺を出して、懐中から何か書いたものを出して、どうかこれを読んでほしい、と言ってその日は帰り、後から直接、手紙をよこして、早く添削をお願いしたい、添削ができたら、どこそこの出版社に御世話を願いたい! 驚かざるを得ない、呆れざるを得ない。
 または一面識もないが、原稿に礼状を添えて、「現在の文壇では人が多いといえども、不肖の私が仰ぎて師と思うべき者は、先生をおいて、誰がいますでしょうか。」とまず嬉しがらせて、これほど思うものを、添削してくれるのもを、万更罰もあたりますまい、というような口説き文句を書いた末に、なるべく早く手を入れて返送をお願いしたいとしてある。それで中に二銭の郵便切手が一枚でもはいっていない。いやもう、実に大詩人ほどすごいものはない。
 これらはまだいい。二度でも三度でも筆を加えて、どうにか世間に紹介までしてもらって、おぼつかなくとも、ひとり歩きができるようになると、さあそれから長い間、訪問しない。火事が近くにあっても、それから十日たとうが顔を出すでもない。厳しいのは、年始状さえもよこさない者がいる。彼も自らいう詩人であるなら、一時は一日に三度も潜った十千万堂の格子、この雨にはどうして朽ち果てるのか、今月、門の梅香はいかに匂うのか、それぐらいは、頭に浮かぶそうなものだが。
 しかし これもまだいい。現在立派に門下生と称して、草稿も持参し、御世話にもなっていながら、陰へまわると、先生を同輩に扱い、その名前を呼捨てにしたり、「あれ」がなどという代名詞を用いたりして、その人物をおとしめし、その文章をののしる人がいる。
 これは自分の門に往来する後輩の士のみではない、どこでもそのようだ。考えて見れば、後輩が野面で、薄情で、不埒と限ったのでもなく、つまる所は先生の徳が薄いからかもしれない。
大詩人 野山嘉正氏の「近代小説の成立」(岩波書店、1997年)では「“大詩人”はもちろん軽侮の裏返し、ただし、ここには詩人ということばそのものへの何がしかの抵抗が含意されている。詩人ということばが漢詩人を指すばかりでなく、文明開化以後の新体詩人をも範囲に入れており、とりわけ大詩人よ出でよ、というかけ声が当代の批評家が共通して持ち合せていたものだったから、むしろ文学者気どりという意味合いにとる方がよい。」と書いています。

因無い よしない。由無い。そうするいわれがない。理由がない。
恩を売る 相手からの感謝や見返りなどを期待して恩を施す。
然無きだに さなきだに。それでなくてさえ。
恁く そんな。
無上に この上もなく。最もすぐれている。
気の毒 きのどく。相手の苦痛や困難なさまに同情して心を痛める。相手に迷惑をかけてすまなく思う。心を痛める。迷惑する。恥ずかしい。きまりの悪いこと。ここでは「相手に迷惑をかけてすまなく思うこと」でしょう。
推す 判断する。推し量る。
太義 おそらく「大儀」。疲れて気が進まないこと。
気色 顔などに現れた、心の内面の様子。快、不快の気持ち
衒う てらう。ことさらに才能や知識をひけらかす。
仮借 かしゃく。許す。見逃す。
高飛車 たかびしゃ。相手に対して高圧的な態度をとること。
過ぐる 「過ぐる」は通り過ぎる。「選る」は、すぐれたものを選び出す。
後進 学問・技芸などで先人のたどった道をあとから進む人。後輩
卒然 そつぜん。だしぬけに。にわかに。突然。
剌を通じる 名刺を出して取次ぎを頼む。
方今 ほうこん。まさに今。ただ今。このごろ。現今。
不肖 自分をへりくだっていう語。
恃む あてにする。
斧正 ふせい。他人の書いたものに遠慮なく筆を加えて正すこと。
辱める はずかしめる。恥ずかしい思いをさせる。恥をかかせる。
覚束無い おぼつかない。心もとない。頼りない。
無沙汰 ぶさた。久しくたよりや訪問をしないこと。しかるべき挨拶あいさつのないこと。ことわりなしに物事を行うこと。
格子 細長い部材を碁盤目に組み合わせたもの。戸・窓等に使用する。
朽ちる 腐ってぼろぼろになる。 名声などがうしなわれる。
つらむ …てしまっているだろう。
巨い いかい。意味は「大きな」。しかし「いかい」はどう書くのでしょうか。
野面 のづら。恥を知らない、あつかましい顔。鉄面皮。
不埒 ふらち。道理にはずれていて、けしからぬこと。ふとどき。