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筑土八幡神社(写真)境内 昭和44年 ID 8255, 8258, 8259, 8260, 8297, 8290, 14156, 14157

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8255, 8258, 8259, 8260, 8290, 14156, 14157は筑土八幡神社境内の写真です。撮影は昭和44年ごろ。
 1枚ずつ見ていきます。最初はID 8255です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8255 筑土八幡神社

 左手には神輿みこしを格納する神輿みこしくら。その奥の囲いは純米大吟醸「白鷹」の積み樽です。白鷹は灘の蔵元の清酒ですが、明治19年、神楽坂の酒問屋・升本総本店の店主、升本喜兵衛に見出され、神楽坂の料亭などで広く販売しました。
 左奥に駐車車両2台。表参道は石の階段ですが、左手の裏参道では車が通行可能です。
 正面は玉垣と拝殿。玉垣の石柱には寄進者の名前が刻まれています。玉垣の内に狛犬が一対。拝殿は昭和20年の戦災で焼失し、しかし、昭和38年、氏子の浄財で再建されました。また神前幕しんぜんまくで前を覆われています。
 右には筑土会館。会合のための施設です。手前に自動車があり、その前に注連しめなわをかけた銀杏の樹。銀杏の根本には百度参りをする時に標識する百度石ひゃくどいし
 右端は手水ちょうずばち。現在は手水が建っていますが、この時はなかったようです。
 一番手前は古札などの「お焚き上げ」用ドラム缶。古札は初詣の参拝者が納めることが多いので、正月明けの撮影でしょうか。

 続いてID 8258です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8258 筑土八幡神社

 左手前から拝殿と筑土会館を狙っています。拡大すると玉垣に書かれた寄進者もよく読めます。寄進額の多い角柱は「氏子総代 牧田甚ー」「崇敬会会長 升本喜兵衛」。その他の太い柱は「筑土自治会」「新小川町自治会」「飯田橋自治会」と読めます。
 左右の柱に竹を1本ずつくくりつけてあるのは門松の一種でしょう。
 田口氏「歩いて見ました東京の街」 05-00-10-2 筑土八幡社殿の遠景 (1968-07-13)では、この玉垣はありません。撮影はそれ以降で、おそらく昭和44年(1969年)1月でしょう。

筑土八幡社殿遠景 1968-07-13 歩いて見ました東京の街

 次のID 8259は、玉垣のすぐ手前から右側の狛犬(阿形)をアップで撮影しています。

新宿歴史博物善え館「データベース 写真で見る新宿」ID 8259 筑土八幡神社 狛犬(阿形)

 狛犬は1810(文化7)年に奉納されました。台石には「津久戸」と「奉」が刻まれています。写真には見えませんが、対になる左側の吽形の台石は「津久戸」と「納」です。門柱では「崇敬会々長 升本喜兵衛」。「崇敬すうけい」とは神仏や立派な人などをあがめること。

 ID 8260ではやや引いて、参道から境内の右側を見ています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8260 筑土八幡神社 境内

 左端が筑土会館。その右は社務所か神職の住まい。銀杏の木の向こう、白い雨戸が閉じているのが神楽を奏する神楽かぐら殿でん。神楽殿の手前は境内社の宮比みやび神社と鳥居。銀杏の根元の百度石と庚申塔。庚申塔は現在は銀杏に向かって右側に移されました。屋根のない手水鉢ちょうずばちには白銀町と掘ってあります。一番右は古札などの「お焚き上げ」用ドラム缶。

 ID 8297はID 8260の左側に寄った写真です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8297 筑土八幡神社 庚申塔(側面)

 左端が筑土会館。その右は社務所か神職の住まいで、御守りの言葉「一陽来復/〇〇〇」が見える。その右に伝言板。竹2本と切った木々と葉。黒い壁と民家があり、白い壁の神楽殿。庚申塔と鳥居があり、その前に注連縄がある御神木と、葉がない木々。

 次はID 14156とID 14157です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14156 筑土八幡神社 御供水

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14157築土八幡神社 御供水鉢 寄進者名陰刻(一部)

 手水舎の裏に御供水が見えます。「ごくうすい」「おこうすい」と読むようです。御供水とは神仏に供える水のこと。八角形の石とフタからできていて、新宿文化観光資源案内サイトでは天保5年(1834)8月に奉納されたのこと。
 ID 14157の陰刻とは文字や模様をくぼませた彫り方。ID 14157の真ん中に「川喜田新右ェ門」という陰刻があります。また文政10年(1827年)に提出した「牛込町方書上」では神楽坂5丁目と6丁目の間に川喜田屋横丁があって「川喜田屋久右ェ門」がそこに住んでいたといいます。この2件は7年しか離れていないし、2人はなにか関係があれば面白いと思います。また、ほかの氏名でも「〇〇屋」が多く、奉納する人は商人が多かったことがわかります。

筑土八幡神社 御供水 Google

筑土八幡神社 御供水

 最後はID 8290です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8290 筑土八幡神社境内 田村虎蔵顕彰碑

 参道の石段を登り切ると、最初に左側にこの「田村虎藏先生をたたえる碑」があります。昭和40年12月に設置したものです。
 この碑には他に「まさかりかついで きんたろう」の「金太郎」五線譜、「1965 田村先生顕彰委員会」があります。顕彰けんしょうとは「隠れた善行や功績などを広く知らせ、表彰すること」。碑文は「田村先生(1873~1943)は鳥取県に生れ東京音楽学校卒業後高師附属に奉職 言文一致の唱歌を創始し多くの名曲を残され また東京市視学として日本の音楽教育にも貢献されました」。視学しがくとは、旧制度の地方教育行政官。学事の視察や教育指導に当たること。