昔は神楽坂は坂ではなく、階段でしたが、明治初期になくなりました。明治20年の神楽町三丁目はここ。
現在、3丁目は菱屋、龍公亭、助六、丸岡陶苑、ヤマダヤ、椿屋、五十番(五十番は2016年から4丁目になりました)などがあります。
2丁目から3丁目に入った場所で、神楽坂通りの上を向いて右側の歩道で、歌川広重が描いた「牛込神楽坂之図」があります。
また、昔の木村屋(今は上島珈琲店)、二葉、神楽坂演芸場があったところです。
神楽坂通りで丸岡陶苑のあたりが最大の高さです。これから神楽坂上に行っても下がることになります。三沢浩氏の『神楽坂まちの手帖』「神楽坂、坂と路地の変化40年④」によれば
外堀通りの角、元「アカイ」前の道端を0mとすると、坂上の「丸岡陶苑」と向かいの「ナカノ洋裁」が12m230の最高所。毘沙門天から大久保通りへ向こうに連れて6m余りも下がる。 |
と書かれています。
明治時代の「新撰東京名所図会」(第41編、明治37年)では
最高点から神楽坂下を見たところは…
最高点から神楽坂上を見たところは…
左にはいると見番横丁です。
すこし先に行くとまた左側に行く三叉路があります。ここを左側に曲がって、10mぐらい歩くと左手に駐車場があります。この駐車場は「神楽坂演芸場」があったことろです。昭和10年に「演舞場」に改名しました。これは寄席の1つで、柳家金語楼などが有名でした。
では三叉路に戻りましょう。すこし上に歩くと、右側に「本多横丁」が顔を出してきました。ここを超えると神楽坂通りの4丁目です。ちなみに神楽坂通りの左側は3丁目から直接5丁目になってしまいます。4丁目は一番歴史も雰囲気もいっぱいある、そんな土地です。
本多横丁です。
なお、5丁目の毘沙門天と4丁目の三菱UFJ銀行の間には「毘沙門横丁」と呼ぶ小さな路地が出てきます。このあたりは芸妓が沢山いた場所です。