明治20年の神楽坂の地図 1件のフィードバック 1970年、新宿区立図書館の『新宿区立図書館資料室紀要4 神楽坂界隈の変遷』45頁に「神楽坂付近の地名」として出ています。 若宮小路、竹内小学校、毘沙門横丁、軽子坂、神楽坂1丁目、牡丹屋敷、鏡花仮宅、小栗横丁、神楽坂2丁目、神楽坂3丁目、本多横丁、四丁目、庾嶺坂、逢坂、善国寺、新坂、藁店、光照寺、大田南畝故宅(正しくは中町)、肴町、コノ辺 地内ト云、瓢箪坂、安養寺、川喜田屋横丁、袖摺坂、弁天坂、五味坂、朝日坂、筑土八幡、浅田宗伯、尾崎紅葉址、白銀坂、赤城坂、山里、六丁目、横寺町
田村よしあき 2020年6月3日 7:24 PM 生まれてから箪笥町7番地に19年住みまして酒井邸が遊びびばでした。今は、草加の松原の杉並木のそばに住んでいます。72才になりますが、懐かしいです。日曜など高速で30分てす。距離で20キロあります。徴兵もなくいい時代にうまれました。御先祖に感謝です。令和になり、世襲の政治家の終焉を迎えようとしています。徳川幕府の時代のように。大阪の吉村さんみたいな人がててくるのでしょうね。国の繁栄と祖先に感謝して。 返信 ↓
生まれてから箪笥町7番地に19年住みまして酒井邸が遊びびばでした。今は、草加の松原の杉並木のそばに住んでいます。72才になりますが、懐かしいです。日曜など高速で30分てす。距離で20キロあります。徴兵もなくいい時代にうまれました。御先祖に感謝です。令和になり、世襲の政治家の終焉を迎えようとしています。徳川幕府の時代のように。大阪の吉村さんみたいな人がててくるのでしょうね。国の繁栄と祖先に感謝して。