電柱看板」タグアーカイブ

神楽坂3, 4, 5丁目(写真)昭和47年秋~48年春 ID13188-98

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」のID 13152からID 13198までは神楽坂1~5丁目で歩行者天国の様子を連続で撮影したものです。うちID 13188からID 13198までは神楽坂3丁目に立地点を置き、神楽坂4-5丁目方向を撮っています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13188 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13189 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13190 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13191 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13192 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13193 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13194 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13195 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13196 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13197 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13198 神楽坂歩行者天国

 車道と歩道はアスファルト舗装。歩道の縁石は一定間隔で色が違い、黄色と無彩色です。また巨大な標識ポール「神楽坂通り/美観街」がありました。
 街灯は円盤形の大型蛍光灯です。街灯の柱はモノクロ写真では薄い色が多いのですが、この一連の写真は黒く写っています。ID 9781など他にも黒く写っているので、時代によって色が違いました。
 電柱は左側だけで、上には大きな柱上変圧器があります。
 歩行者の大半がコートや外套を着ており、寒い季節ですが、年代の詳細はここで話しています。また、歩行者天国(車道に車を禁止して歩行者に開放した地域)は日曜日・祝日の実施なので、営業していない店が目立ちます。

神楽坂3丁目→4丁目( 昭和47年秋~48年春)
  1. ▶防火水そう (丸)岡陶苑 ここ
  2. (ヤマ)ダヤ (洋傘、帽子)
  3. ▶突き出し看板と電柱看板「洋傘 ショール 帽子 ヤマダヤ
  4. ジャウトーヤ フルーツ パーラー喫茶。テントは「パーラー喫茶 フルーツ ジャウトーヤ」手前が果物店、奥がフルーツパーラー
  5. (店舗)
  6. 神楽坂通り/美観街
  7. (車両通行止め)三つ叉通りへの入口
  8. 宮坂金物店
  9. (歩行者横断禁止)
  10. ▶電柱看板「 フクヤ 袋町 12」「川島歯科
  11. ▶街灯は円盤形の大型蛍光灯。「神楽坂通り」。黒の主柱。中央に(横断歩道)
  12. テントは「〇’S SHOP SAMURAIDO」(サムライ堂洋品店)ばぁ侍(2階)DC
  13. 三菱銀行。閉店中のシャッター前に切り花の露天商
  14. 消火栓。広告「カメラのミヨシ」(本多横丁)
  15. ▶電柱看板「中河電気」「 倉庫完備 買入 大久保
  16. (車両進入禁止)毘沙門横丁に。(ここから5丁目)
  17. 善國寺
  18. (駐車禁止)
  19. ▶立て看板「こどもの(飛び出し多し/徐行)」
  20. ▶電柱看板「小野眼科」「鮨 割烹 八千(代鮨)
  21. レストラン (フルー)ツ 田原屋
  22. ▶電柱看板「松ヶ枝
  23. 五十鈴
  24. やきとり殿堂(鮒忠
  25. タイヨウ(時計店)
  26. ヒグチ(薬局)
  27. 遠くに協和銀行
  28. ジャノメミシン
  1. 京都 。看板「 堂々オープン 960円〇〇 浪費させない店 コンパ エアプレイ/新装開店 神楽坂名物日本髪の京都/7時までオール3割引 お気軽にどうぞ/バー京都
  2. 酒豪 ひな鳥 丸むし焼 とりちゅう
  3. たばこ(中西タバコ?)
  4. 看板「家のマーク ショーケース 〇〇」(坂本ガラス店?)
  5. (日)邦工(計や記、試?)(宮坂ビル)
  6. 中国料理 五十(番)
  7. (一方通行入口)。本多横丁
  8. 仐と(はきもの)(近江屋)
  9. スゴ(オ)(洋菓子店)
  10. 大佐和 神楽坂店(現・楽山
  11. ▶電柱看板「宝楽」(旅館)
  12. (毘沙門せ)んべ(い) 福屋本舗
  13. (尾沢)薬(局) カネボウ(化粧品)
  14. 第一勧業信用組合

▶は車道寄りの歩道上に広告がある
▶がない場合は直接店舗に

住宅地図。1973年。出版は1972年2月

神楽坂4, 5丁目(写真)昭和47年秋~48年春 ID13167~13170

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」のID 13152からは神楽坂1~5丁目で歩行者天国の様子を連続で撮影したものです。うちID 13167-70はカメラを神楽坂4、5丁目に置き、3丁目などを東向きに撮っています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13167 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13168 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13168 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13170 神楽坂歩行者天国

 歩道はアスファルト舗装で、縁石は一定間隔で色が違い、黄色と無彩色に塗り分けていました(よく見ると現在も2色塗りです)。遠くに「神楽坂通り/美観街」が見えます。車道もアスファルト舗装でしたが、コンクリート舗装があるという意見もあります、
 街灯は円盤形の大型蛍光灯で、その柱は他のカラー写真では銀灰色、モノクロ写真では薄い色です。しかし、この一連の写真は黒く写っています。ID 9781(昭和50年頃)など他にも黒く写っているので、時代によって色が違ったと思います。
 電柱は右側だけで、上には大きな柱上変圧器があります。
 善國寺は本堂の再建後で、石囲いも一新されています。
 歩行者の大半がコートや外套を着ており、寒い季節ですが、年代の詳細はここで話しています。また、歩行者天国(車道に車を禁止して歩行者に開放した地域)は日曜日・祝日の実施なので、営業していない店が目立ちます。

神楽坂4,5丁目→3丁目(昭和47年秋~48年春)
  1. (テーラー)島(田)
  2. アワヤ(オシャレ洋品 阿波屋)
  3. ▶たばこ
  4. 「福屋不動産 」「毘沙門せんべい」「福屋本舗
  5. お茶のり老舗 大佐和 神楽坂(店舗)
  6. 「店」。無数の字がある。ID 101の説明1の「〇〇〇〇銘茶研究会〇〇」と同じ(大佐和)
  7. 仐とは(きもの)(近江屋)
  8. ▶通学路(本多横丁
  9. (駐車禁止)(区間内)
  10. 五十(番) 中華料理
  11. 日邦工〇(宮坂ビル)
  12. 酒豪 ひな鳥 丸蒸し 焼き 鳥忠
  1. .花輪 祝開店 ロッテ商事 おおとり(パチンコ)
  2. テント(田原屋
  3. 善國寺
  4. ▶公衆電話ボックス
  5. ▶電柱看板「 質入 丸越質店
    ――毘沙門横丁
  6. ▶電柱看板「料亭 松ヶ枝
  7. 三菱銀行
  8. ▶電柱看板「小野眼科
  9. ▶電柱看板「ハ千代鮨」
  10. 遠くに(横断歩道)と「神楽坂通り/美観街

▶は歩道上で車道寄りに広告がある
▶がない場合は直接店舗に

住宅地図。1973年

毘沙門横丁(写真)昭和54年 ID 11832, 11833

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11832とID 11833は、昭和54年1月、毘沙門横丁を撮ったものです。 この2枚とID 76ID 78ID 83は同一の撮影でしょう。季節は冬で、ID 72、73ID 74。75、77もおそらく同じ時期です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11832 神楽坂5-37 善国寺の横の道

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11833 神楽坂5-37 善国寺の横の道

 ここは以前から毘沙門横丁といっていました。道路はアスファルト舗装で、両側に下水溝(側溝)と縁石があり、車道と歩道の区別はなく、街灯はID 9779と同じ水銀灯に見えます。また、電柱の上には柱上変圧器があります。

神楽坂4~5丁目(昭和54年1月)
  1. 三菱銀行の側面と夜間通用口
  2. 菊正宗 すき焼 割烹 牛もん
  3. 寿し処 寿し作
  4. 一條
  5. 黒い塀(松ヶ枝駐車場)
  1. 石焼いも
  2. (消火栓)
  3. 毘沙門天のコンクリートフェンスと石材数枚
  4. 電柱看板「宮城道雄記念館」「十字路右折」「神楽坂5-37」
  5. 取り外した看板「所」「会」。おそらくID 8299のような「福引所/神楽坂通り商店会」が、歳末の売り出し時に毘沙門天境内に設けられていたのでしょう。
  6. 藤間高寿
  7. 看板「藤間高寿/小勝 /はやま
  8. 電柱看板「あまなっと 五十鈴」「麻雀クラブ 三功」
  9. 料亭「松ヶ枝

神楽坂5丁目(写真)昭和54年 ID11824 神楽坂上交差点

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11824は、昭和54年1月、当時の神楽坂交差点(現、神楽坂上交差点)から神楽坂5丁目を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11824 大久保通りから神楽坂通り(早稲田通り)を見る

 車道はアスファルト舗装で、平坦で、凸凹もなく、両側には側溝と縁石があります。歩道もアスファルト舗装で、平坦です。街灯は昭和36(1961)年以降の大きな円盤形で、その下に「神楽坂通り」、さらにその下に木と人工葉があります。標識(一方通行)が大きく描かれて、その奥には大きなサイン「神楽坂」があり、さらに奥には標識「神楽坂通り/美観街」があります。
 ID 7430(昭和45年)とよく似た写真ですが、10年の間に違いが生じました。
・信号機に交差点名の標識がついた。
・ロール型の方向指示標識の矢印が横から縦に変わった。
・横断歩道が「はしご型」に描かれている。
・大久保通りの路面電車13系統がなくなった(廃止は昭和45年3月)。
 変わっていないのは、電柱が向かって右側だけにあること、標識「神楽坂通り/美観街」があること、それに一方通行の矢印の陰になって「神楽坂」の標識ポールがあることです。この標識ポールは昭和20年代後半に坂下(ID 23)と坂上(ID 9495)に設置した古いものです。坂下は昭和30年代に取り外されましたが、坂上はまだ残っています。
 矢印の下の「自転車を除く」は坂下のロール型の方向指示標識にも見えます(ID 9109など)。しかしID 65(昭和48年)にはありません。自転車は一方通行に従わなくていいことを明確にしたのでしょう。
 店の並びはあまり大きく変わっていませんが、正面の大きなビルは相馬屋ビルで、1978年(昭和53年)3月築です。
 DPE(Development, printing, enlargement)は現像・焼き付け・引き伸ばしの略で、ID 7430(昭和45年)にはつくば商事が行っていたようです。今回の昭和54年では、DPEは2つあります。右側の「DP(E)気軽に海外旅(行)」はそのすぐ下に鳩のトレードマークと「ヒ」があり、ヒグチのDPEだと思います。左側の「DPE 37円」はつくば商事かヒグチか、はっきりしませんが、つくば商事の一部を借りてヒグチが業務を始めたとすると、つくば商事からすれば、ヒグチに全てあげた方がいいでしょう。

ID 11824 DPE

神楽坂5丁目(昭和54年)
  1. 裏向きのスタンド看板(歩行者天国時に車道に出す)
  2. 標識(一方通行)「自転車を除く」。標識(自転車及び歩行者専用)。「歩行者専用道路/12-13/日曜 休日は/4月-10月/12-20/11月-3月/12-18」。標識(駐車禁止)0-12。「ランチタイム・プロムナード」のマーク
  3. 古い標識ポール「神楽坂」
  4. 河合陶器店 陶磁器 ガラス食器 陶芸用品
  5. 山下漆器店
  6. 菊岡三味線店
  7. 明治ゴールド牛乳(田口牛乳店)。2階はBoss ルネ
  8. 割烹 うなぎ 蒲焼 大和田。歩道に出前用と思われるバイク数台。
  9. 立て看板「英会話」
  10. リード商会)ビクター レコード
  11. タカミ洋品店
  12. 中国料理 東花飯店
  13. 標識「神楽坂通り/美観街
  1. 電柱。「神楽坂」交差点。電柱看板(牛込犬猫病院)。貼り紙
  2. 営業案内/土地・建物・売買・管理/賃貸借・周旋/電話買取及販売/不動産一般代理(つくば商事)
  3. DPE 37円。
  4. 看板は「貸出の物件」。あるいは読めない
  5. 薬ヒグチ。DP(E)気軽に海外旅(行)。
  6. 田原屋 フルー(ツ)
  7. 三菱銀行

住宅地図。1980年

坂上の風景

善國寺(写真)昭和51年 ID 11481

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11481は、昭和51年、毘沙門天善國寺やスゴオ洋菓子店仮営業所などを撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11481 神楽坂 善国寺前 スゴオ洋菓子店仮営業所

 善国寺は昭和20年5月25日夜半から26日早朝にかけて大空襲で焼失、昭和26年、木造の毘沙門堂が再建し、昭和46年に今の本堂を建てています。したがって、昭和51年には現在の本堂ができてから5年目になりました。
 左奥には毘沙門横丁という道路があります。車道はアスファルト舗装で、歩道はありません。続けて、側溝、縁石です。
 毘沙門横丁に面して善国寺の脇門があり、大きな鉄枠の門扉が横に開く構造になっています。ここは境内をイベント会場や臨時の駐車場に使う時の入り口です。現在も同じ場所に脇門がありますが、この写真当時より幅が広くなっています。
 境内のスゴオ洋菓子店仮営業所は、ID 9911の竹谷電気工事の仮店舗と同じ建物のようです。続けて利用したのかも知れません。
 スゴオ洋菓子店は4丁目、三菱銀行前にありました。ID 6338(1958年)には古い店舗の看板「純フランス菓子ス(ゴオ)」が見えます。また1977年のTVドラマ「気まぐれ本格派」第10話には新築したビルの1階店舗「洋(菓子) ス(ゴオ) COFFEE」が映っています。この写真の1976年頃は新ビルが完成間近だったと思われます。

楽山旧店舗とスゴオ洋菓子店(後の英和ビル)(TVドラマ「気まぐれ本格派」第10話から。1977年)

 ID 89(1979年)でもスゴオが確認できます。現在はこのビルも取り壊され、隣の楽山と一緒の「楽山ビル」の一部になりました。

神楽坂5丁目(昭和51年)左→右
  1. 電柱1本。上から電柱看板「料亭 松ヶ枝」、蛍光灯、看板「 大久保」、「神楽坂3-7」
  2. 掲示板。上に横書き5文字(ID 8247によれば「新宿区役所」) 、脇に縦書き8文字(「箪笥町特別出張所」か)
  3. 奥に善國寺
  4. 善国寺の脇門。模様はない。
  5. 車両進入禁止マーク。「自転車を除く」
  6. 女性の顔に一見みえるが、多分違う。電気の盤かな?
  7. 石囲いはここで終わり…
  8. 毘沙門天の境内で、スゴオ洋菓子店 仮営業所 洋菓子のスゴオ。店内にはショーケースと化粧箱、右端に人影
  9. 「ゴ」の上に円盤形の境内灯

神楽坂6丁目(写真)赤城神社入口 昭和51年 ID 9905-9906

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9905~ 9906は、昭和50年(1975年)か昭和51年(1976年)に神楽坂赤城神社入口を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9905 神楽坂赤城神社入口

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9906 神楽坂赤城神社入口

 車道はアスファルト舗装で、続けて、側溝、縁石、ガードパイプが付いた柵、歩道は無地のアスファルト舗装です。電柱の上には柱上変圧器があります。
 街灯は円盤形の大型蛍光灯ですが、蛍光灯の下部に逆円錐型のランタンがあり、「神楽坂 商栄会」とあります。神楽坂商栄会は6丁目の商店会で、神楽坂商店街振興組合(昭和58年設立)の前身です。
 街灯からは紅葉の造花が沢山ついた枝が斜めに出ています。街灯とは別に、高い場所にナトリウム灯と思える、おそらく都道の街路灯があります。
 さらに、道沿いには、ほかの街灯よりは低く、しかし人間の頭よりは高い、神社の参道をイメージした春日灯籠が並んでいます。
 写真の右、建物の階段を下から見ています。音楽之友社の本社で、階段の上が入り口でした。階段の様子はID 90で分かります。

神楽坂6丁目(昭和51年)
  1. ぶてっくちよ
  2. 神楽坂専売所 サンケイ新聞 日本工業新聞 中  佳作座(上映作品のポスター)
  3. 珈琲専門店 珈琲館 珈琲館の古い◷マーク
  4. (でんわ)☎でんぽう たばこ 内容不明の吊り看板
  5. 直輸入 木彫工芸品 人形ケース
  6. 電柱看板「岡本衣裳店」
  7. 耳鼻咽(喉科)
  1. 赤城神社入口
  2. (消火栓)と看板「〇〇徽章」
  3. →(ベルモンド)
  4. 東京都教育会館→ (赤城神社となり 現・東京都教育庁神楽坂庁舎)
  5. 提灯4つが高く
  6. フォルテーヌ(珈琲)
  7. (地)下鉄 (神楽坂)駅
  8. 〇〇センター

住宅地図。1976年

神楽坂1丁目(写真)昭和50年頃 ID 9808- ID 9809

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9808~9809は、昭和50年(1975年)頃、牛込橋付近から神楽坂1丁目や坂上を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9808 牛込見附、神楽坂通り 入口

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9809 牛込見附、神楽坂通り 入口

 交差点は「牛込見附」、道路は車道、側溝、縁石、歩道の順に並んでいて、歩道と平らな車道はアスファルト舗装、やや淡い色に見える車道は急勾配があり、すべり止め用のOリングを一時的に埋め込んだコンクリート舗装です。街灯は円盤形の大型蛍光灯で、その下に小さな看板「神楽坂通り」があります。電柱は向かって道路の左側だけで、その上には大きな柱上変圧器。標識「神楽坂通り/美観街」や各種の道路標識も出ています。左のフォーク、スプーン、ティーカップの道路標識は、平日12:00-13:00の歩行者天国「ランチタイム・プロムナード」の実施を示しています。
 半袖の人が多いようです。また、ID 68(昭和48年5月22日)と比べると、かなり高い位置から遠くを見通しているようです。また坂の途中にID 9778と同じ大型クレーン車が停まっており、同時期の撮影と思われます。

神楽坂1丁目(昭和50年頃)
  1. (パチンコニューパリー)
  2. (田原屋)
  3. 元祖 貸衣装 清水本店。
  4. 生そば。は「楚」のくずしかな、は漢文で主語を表す助詞「は」の「者」をくずし、濁点をつけたもの。(翁庵
  5. 中華料理 信華園
  6. 「カネボウ毛糸 ダイヤモンド毛糸 大島糸(店)」
  7. とんかつ
  8. 電柱看板「歯 (石川)」
  9. 話し方教室
  10. 遠くに「ジャノメミシン」
  11. さらに遠くに「協和銀行」
  1. 足袋 ワイシャツ 赤井商店
  2. カレーショップ ボナ
  3. (消火栓)消火栓看板「福屋 神楽坂 不動産」
  4. (山)田紙店
  5. 地下鉄 飯田橋駅→
  6. FUJIYA 不二家洋菓子
  7. 離れて「喫茶 軽い心

神楽坂1丁目(写真)昭和50年頃 ID 9781

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9781は、昭和50年頃、神楽坂1~2丁目をねらっています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9781 神楽坂

 車道はアスファルト舗装、そばに側溝、縁石、歩道もアスファルト舗装です。街灯は円盤形の大型蛍光灯で、街灯から地面に行く途中に標識「神楽坂通り」、さらに「神楽坂通り/美観街」の標識が左右に1本ずつ立っています。電柱は道路の左側にしかありません。また電柱には大きな柱上変圧器があります。

神楽坂1~2丁目(昭和50年頃)
  1. 「12-23 (駐車禁止)「レッカー移動 牛込警察署長」
  2. 電柱看板「 大久保
  1. ✚ 診療〇〇 皮膚泌尿科 婦人科 外科 内科(白十字診療所)
  2. (消火栓) 消火栓広告「三菱銀行前 福屋 神楽坂 不(動)産」
  3. 「紙 事務用品 文具 原稿用紙 山田紙店」「」「事務用品」「文具」「原稿用紙」「Canon  NP コピーサービス」「Kodak」「さくら  さくらカラー」
  4. 地下鉄 飯田橋駅
  5. 不二家。不二家洋菓子
  6. 紀の善
  7. 床屋のサインポール
  8. 屋上看板「(ハッピ)ージャック」袖看板「喫茶 軽(い)心 」
  9. (山一)薬品
  10. 袖看板「パチンコはマリーで」
  11. (ニュー)イトウ(靴)
  12. (珈琲 音楽 坂)
  13. 純喫茶 クラウン

1976年。住宅地図。

神楽坂2丁目(写真)昭和50年頃 ID 9778

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9778は、昭和50年(1975年)頃、神楽坂2丁目をねらっています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9778 神楽坂

 車道のOリングがあり、続いて側溝、縁石、歩道はアスファルト舗装です。街灯は円盤形の大型蛍光灯で、街灯から地面に行く途中に標識「神楽坂通り」があります。電柱は道路の左側にしかなく、電柱の上には大きな柱上変圧器があります。
 坂の途中に非常に大きなクレーン車が出ていますが、該当しそうな新築ビルはありません。

神楽坂2丁目(昭和48年)
  1. (横断禁止)
  2. たばこ 経済新聞
  3. 「大島歯科」「オリジナルボタン」 「(株)オオシマ」「ᘂ ハマナカ手芸糸」「マジックバック」「カネボウ毛糸 ハマナカ手芸糸」
  4. 神楽家(せんべい)
  5. 純喫茶 カブト虫 Coca Cola
  6. 看板「通学路」
  7. 電柱看板「石川  」「 大(久保)」
  8. 麻雀
  9. 夏目写真館
  10. 西川 みゆき
  11. 地図によれば「仲門堂」
  12. (消火栓)「歯科 石川  ここ」
  13. 電柱看板「歯 石川  」「 大久保」
  14. 地図によれば「巴有吾有」
  15. 地図によれば「十奈美」
  16. とんかつ(かつ一)
  17. ニッポンハム(肉のますだや)
  18. ヒデ美容(室)
  19. 屋上看板「話し方教室」袖看板「旭図書」「話し方教室」(五条ビル)
  20. (遠くに)三菱銀行
  1. 「D/SL気分を/満喫して下さい」「サービス中!!」「マ〇ー/祝/さ・」造花(パチンコマリー)
  2. ニューイトウ(靴):
  3. 珈琲 音楽 坂
  4. 陶柿園。昭和47年(1972年)3月に完成。
  5. 純喫茶 クラウン
  6. 資生堂化粧品(さわや

1976年。住宅地図。

 

神楽坂3丁目(写真)昭和28年 ID 9506

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9506は、昭和28年以降、おそらく神楽坂3丁目をねらっています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9506 神楽坂

 車道は凹凸が目立ち始め、将来できるOリングはなく、急峻な坂は石敷でした。歩道の構成は車道の側から縁石、外コンクリート3列、細い石、内コンクリート2列です。縁石はかなり薄く、隣の店舗同士では階段のような差がありました。中央に雨水を流すへこみがあり、側溝はありません。
 竹か笹が各店舗から1本ずつ、車道に向かって斜めに立っています。リボンや紐状の飾り、小さな提灯が下がっています。「全店大賣出し 神楽坂」ののぼり旗もあります。
 人々は半袖で、明るい色の夏服を着ています。おそらく七夕シーズンの7月ごろ、商店街の中元セールの写真でしょう。
 中央には街灯の基礎だけがあります。その向こうはポールも立っています。これは昭和28年頃から昭和36年頃まで続いた、鈴蘭の花をかたどった鈴蘭灯の下部です。しかし上の照明(花の部分)はついていません。一方、道路の反対側には坂下に向けて簡素で背の低い丸い電球1灯の街灯(ID 30ID 4792等)が立っています。
 おそらくこの時に、街灯を交換しました。街灯の基礎やポールが黒いのはさび止めの状態で、まだ塗装していないからと思われます。ID 12125~12127の貴重なカラー写真では鈴蘭灯は白っぽく塗られています。実際にはライトグレーか銀色だったでしょう。

都市製図社『火災保険特殊地図』昭和27年

神楽坂3→2丁目(昭和28年以降)
  1. パーマネント。マーサ美容室。二階建て
  2. 神楽坂仲通り
  3. 電柱看板「旅館 碧運」「 大久保質店」
  4. さわや。二階建て
  5. 亀井鮨。平屋
  6. 壁面一杯に「ニューイトウ」
  1. 岡田印房(地図では岡田印章)。「表札 看板 名刺」「星名刺」
  2. 助六 二階建て
  3. 龍公亭 平屋
  4. (建築中)
  5. 看板「新しいカット コールド〇 パーマネント」(ビデパーマ)
  6. (山本薬局)
  7. 神楽坂仲坂
  8. 自立看板「みい〇」
  9. 電柱看板「 大久保質店」
  10. 電柱看板。床屋のサインポール(管理髪館)

神楽坂3丁目(写真)昭和28年 ID 9504-9505

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9504~9505は、昭和28年以降の神楽坂3丁目をねらっています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9504 神楽坂

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9505 神楽坂

 車道は凹凸が目立ち始め、将来できるOリングはまだありません。歩道は正方形コンクリートの数列と縁石からつくられて、車道と縁石の段差はほとんどないようです。下水は縁石の側にはないと思います。街灯は昭和28年頃から昭和36年頃まで続いた、鈴蘭の花をかたどった鈴蘭灯で、向かって左側は歩道の端の縁石近くに、右側は逆に建屋の近くに立っています。右端に完成寸前の建物があります。見番横丁の角で、後に「レストラン花菱」として開業します。昭和28年(1953年)撮影のID 99では看板が出ているので、この写真はその少し前の撮影と思われます。
 ID 9505で右側の白い上下の女性は半袖ですが、他は長袖で、しかしコートを羽織るほどの寒さではありません。

神楽坂3丁目(昭和28年以降)
  1. のぼり旗「うし込神楽坂 呉服/〇 丸富呉服店」
  2. .店の前に土盛りと植木のような植物(菱屋)二階建て
  3. 吊り広告「鮨」(万平)平屋
  4. ピアノ。広告「ピアノ。オルガン」(福島ピアノ)二階建て
  5. 電柱広告「龍公亭」
  6. マツダ眞空管。Toshibaの丸い看板(竹谷電気工事)平屋
  7. パーマネント(マーサ美容室)二階建て
  8. 神楽坂仲通り
  9. 電柱看板「旅館 碧運」
  1. 建築中(後のレイトラン花菱)
  2. (わずかに見える岡田印房)
  3. 助六 二階建て
  4. 龍公亭 平屋
  5. (ビデパーマ)
  6. (山本薬局)
  7. (空地または建築中)
  8. 神楽坂仲坂
  9. せともの。太陽堂
  10. 牛豚肉(ますだ肉店
  11. 電柱看板。床屋のサインポール(管理髪館)

都市製図社『火災保険特殊地図』昭和27年

神楽坂6丁目(写真)朝日坂 昭和48年 ID 8813-8819, ID 466

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8813~8819は、昭和48年(1973年)2月、神楽坂6丁目から横寺町までの朝日坂を撮ったものです。またID 466はID 8817と同じ写真です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8813 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8814 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8815 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8816 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8817 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 466 横寺町入口附近

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8818 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8819 神楽坂六丁目

 左にある自動車はバックドアを開き、はるか遠くにある自動車はID 8807からID 8820以上まで同じように停車し、さらにID 8815から見える自動車は、おそらく数十分後になると、なくなり、かわって八百政が店を開くはずです。
 さらに、この撮影は昭和44年(ID 8273~8276)や、昭和45年(ID 8316)と同じ場所ですが、昭和47年12月、荒井精肉店は荒井ビルに変わり、昭和48年にはスーパーアライになっています。
 歩道はなく、車道にオーリングで施工したこともなく、立木の葉は枯れ、下水は道路の側溝を流れ、街灯は長い蛍光灯で、柱上変圧器はかなり立派でした。

神楽坂6丁目と横寺町(昭和48年)
  1. 看板「(フラワー 一)紀」
  2. 突き出し看板「理容サトウ」床屋のサインポール
  3. 街灯(蛍光灯)。電柱看板「 買入 丸越 神楽坂通り 協和銀行前入る この手前」。その下に張り紙
  4. 突き出し看板「日本第一清酒 白鷹 ハクタカ 〇総本舗 寿司清」
  5. パーマ スミレ
  6. 電柱看板「歯科 川畑」「土地家屋 野口商会」
  7. 突き出し看板「川畑」
  8. 道路反射鏡
  1. 盆栽と盆栽鉢。キャベツ、国光(リンゴ)、愛媛ミカン(八百政)
  2. 「天台宗 薬龍山 光圓寺 正蔵院/伝教大師/草刈薬師如来/閻魔大王尊/安置」「宗顕流 古流 いけ花」「坂」
  3. 未開店(八百政)
  4. 「Super ARAI」
  5. 電柱看板「セルフサービス アライ  ココ
  6. 「(寺島巧芸)社」(看板・標識製作の会社)
  7. 突き出し看板「清酒 ※ 澤之鶴 飯塚」
  8. 内野医院
  9. (消火栓)

1976年。住宅地図。

神楽坂2丁目(写真)昭和48年 ID 8805, ID 8806

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8805とID 8806は、昭和48年(1973年)2月、神楽坂2丁目から坂上を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8805 神楽坂

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8806 神楽坂

 休日の歩行者天国が始まっています。「歩道がそれ以前のブロック敷きからアスファルトになっています」と地元の方。一方、車道について、急勾配のコンクリート坂は滑り止めが必要ですが、これは道路表面に円形のオーリングを埋め込み、一定時間後にそれを取り除く方法をとっています。
 街灯は円盤形の大型蛍光灯で、街灯から地面に行く途中に標識「神楽坂通り」があります。
 電柱の上には大きな柱上変圧器があり、電柱看板も見られます。また遠くに「神楽坂通り/美観街」が見えています。

神楽坂2丁目(昭和44年)
  1. 化粧品 おしゃれの店 十奈美 ブラバス・スタッフ/BR  KOJI/コージーアイラッシュ MG5
  2. 電柱の剥がされたビラ「ベトナム革(命)」
  3. おしゃれの(S)PO(T)T ESUTA(洋品店)
  4. とんかつ かん一(2階)
  5. (高い位置に マルマン)ガスライター メガネのオオカワ Nikon メガネレンズ
  6. 街灯看板「神楽坂通り」
  7. 電柱看板「歯 石川」「 大久保
  8. ヒデ美容室
  9. (音楽)長崎(五条ビル)
  10. 菊正宗 青柳寿司
  11. そばどころ 神楽坂 丸屋
  12. 三菱銀行
  1. ビクター音楽 リ(ード商会)(レコード店) 2階 (名)人荘 (麻雀店)
  2. 山田紙店 仮営業所(以前の亀井寿司)
  3. 資生堂化粧品 さわや  カネボウ化粧品
  4. 喫茶 馬
  5. マーサ美容室(窓からウインドウ型のエアコンが飛び出している。昭和40年(1965)頃の写真ID 15にはないもの。店舗の冷房が普及していった時期でしょう)
  6. アザミ
  7. ナショナル クレジット ナショナル カラーテレビ(竹谷電気工事)
  8. 小料理 万平
  9. 東洋紡カーテン(菱屋
  10. 東京電力(サービスステーション)
  11. 鮨どころ 二葉
  12. 酒酒 鳥忠
  13. 五十(番)

1973年。住宅地図。

神楽坂1丁目(写真)昭和48年 ID 8799とID 8800

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8799とID 8800は、昭和48年(1973年)2月、「牛込見附」(現、神楽坂下)交差点近くから神楽坂1丁目などを撮ったものです。ID 8800はID 65と同じです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8799 神楽坂入口

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8800 神楽坂入口

 有楽町線「飯田橋駅」が開通する予定で、そのため道路を開削し、上に鉄板を置いています。埋め戻しは開業後です。
 大きな左向きの矢印は坂下から坂上までの一方通行を示し、街灯は円盤形の大型蛍光灯で、途中に標識「神楽坂通り」がいくつもあります。電柱の上には大きな柱上変圧器があり、また標識「神楽坂通り/美観街」(カラー写真)が左右に1本ずつできています。休日の歩行者天国(ホコテン)も始まり、バリケード看板「歩行者道路 日曜祝日の12~18 牛込警察署」があります。警官が写っていて「ひょっとするとホコテンのスタート時の写真かも」と地元の方。

神楽坂1~2丁目(昭和48年)
  1. 牛込見附。(車両通行止め)。歩行者専用道路 自転車を除く 日曜祝日の12-18。
  2. 電柱看板「斉藤医院
  3. パチンコ ニューバリー。「新装開店/73年最新型/第一号登場/ゆっくり打って(牛年)/大きく取ろう。出たら/どうにも止らない機械!!」
  4. ニューバリー屋上に「ウル」と矢印がある。これはイーグルボウルで、ID 68に詳しい。
  5. フルーツパーラー 田原屋
  6. 電柱看板「鮨・割烹 八千代鮨」(本多横丁にある)。
  7. 「神楽坂通り/美観街」の標識
  8. 中華料理 信華園
  1. (一方通行)。(車両通行止め)。歩行者専用道路 自転車を除く 12-18。
  2. 足袋・Yシャツ「赤井商店
  3. 「カレーショップ ボナ」
  4. (白十字医院)
  5. 地下鉄入口の建築中のためこの時点では山田紙店はなくなっている。
  6. (消火栓)
  7. FUJIYA 不二家洋菓子。不二家 コーヒーショップ。ウロコ張りの洋館風。店の横が見えている
  8. 「神楽坂通り/美観街」の標識
  9. 突き出し看板「あんみつ 紀の善」切妻の屋根
  10. 白く光るのは理容バンコックのサインポール
  11. 上で「喫茶 軽い心
    3,4F 麻雀 桜
    2F 喫茶室 軽い心
    1F パブ ハッピージャック
    一階で ハッピージャック
  12. 山一薬品
  13.  看板「パチンコはマリー(で)」
  14. ニューイトウ(靴)
  15. 坂(喫茶)
  16. 陶柿園がビルに。1年前の昭和47年(1972年)3月に完成した。
  17. 喫茶  クラウン
  18. ルナ美容室」は「神楽坂ビル」に。1969年2月完成。
  19. 「菱屋」も高層ビルに。竣工は昭和42年か

地蔵坂(写真)藁店 昭和59年 田口重久氏

文学と神楽坂

 田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」の地蔵坂で、昭和59年(1984年)10月6日の写真を上げておきます。坂の右側は神楽坂5丁目が主で、左側は袋町が主です(地図は下にあります)。歩道はあり、下水は道路の側溝を流れ、また坂が登りになると車道は滑り止めのオーリングを使って施工しました。自動車は対面通行でした。電柱の上には細い柱上変圧器もありますが、大きなものもありました。街灯は、恐らく水銀灯でしょう。

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」地蔵坂上から 05-10-46-02 1984-10-06

 田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」の地蔵坂で、昭和49年(1974年)12月21日に撮影して。ほぼ同じ画角の05-10-45-2と比較します。
 まず中央にある「竹兆」の電柱看板は、昭和49年はありません。さらに坂下には3階建ての建物から「八百美喜」の看板が出ていますが、昭和49年は2階屋でした。
「八百美喜」の手前の白いビルは、昭和49年は平屋でした。その手前の庭木は昭和49年より少し大きくなっています。白いビルの前に立つ電柱の街灯は同じ水銀灯のようです。この電柱の広告は「理髪モリワキ」で、昭和49年にも同じ場所に広告があります。昭和49年は斜め線らしき縁取り以外は判読できませんが、05-10-45-3と比べると同じ広告でしょう。
 田口氏の昭和49年と昭和59年の写真の中間には、新宿歴史博物館の昭和54年(1979年)の写真ID 79-82があり、街の細かな変化が見て取れます。

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」地蔵坂標柱近景 05-10-46-03 1984-10-06

 ポスター「幼児のめんどう/みて下さる方を/求めています/お電話下さい」と木製の標柱「地蔵坂(じぞうざか)」が見えます。

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」地蔵坂標柱近景 05-10-46-04 1984-10-06

 標柱は「この坂の上に、光照寺があり、そこに地蔵菩薩がある。それにちなんで、そう呼ばれている。また。別名藁店坂わらだなざかともいう。このあたりに藁を売る店があった。」

地蔵坂(写真)藁店 昭和49年 田口重久氏

 田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」の地蔵坂で、昭和49年(1974年)12月21日の写真を上げます。坂の左側は神楽坂5丁目が主で、右側は袋町が主です(地図は下にあります)。歩道はあり、下水は道路の側溝を流れ、また坂が登りになると車道は滑り止めのオーリングを使って施工しました。自動車は対面通行でした。電柱の上には細い柱上変圧器もありますが、大きなものもありました。街灯は、恐らく水銀灯でしょう。。

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」地蔵坂下から 05-10-46-01

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」地蔵坂下から 05-10-45-03 1974-12-21

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」地蔵坂下から 05-10-45-011974-12-21

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」地蔵坂上から 05-10-45-02 1974-12-21

地蔵坂(藁店)昭和49年
  1. 鮒忠 ご宴会場
  2. 電柱看板「加藤産婦人科
  3. 電柱看板「神楽坂皮膚科
  4. (理髪 モリワキ)
  5. 小林石工店
  6. 電柱看板「産婦人科 内科 外科 小児科 斉藤医院」「日本出版クラブ
  7. 電柱看板「神楽坂皮膚科」
  1. 「新たに知識を御届けする 芳進堂」
  2. あかつき(料理)
  3. 裏を向いた道路標識が一杯
  4. 電柱看板「神楽坂皮膚科 神楽坂6ー21」
  5. 電柱看板「すき焼 恵比寿
  6. 人が一杯、並んでいるのは「八百美喜」。店頭の対面売りで店には人を入れませんでした。
  7. 電柱看板「理髪 モリワキ 入口← 袋町3 」「ワイシャツ 大売出し/12月2~3日メーカー〇品」
  8. 旅館 竹兆
  9. 電柱看板「 倉庫完備 取扱丁寧 大久保 この↑さき 袋町4」

1976年。住宅地図。

神楽坂皮膚科 神楽坂6丁目21です。朝日坂に反対する場所

神楽坂6丁目(写真)朝日坂、昭和44年、ID 8273~8276

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」のID 8273~ID 8276を見ましょう。撮影時期は1969年(昭和44年)。撮影は神楽坂6丁目から朝日坂横寺町まで。歩道はなく、車道にオーリングで施工したこともなく、下水は道路の側溝を流れ、街灯は長い蛍光灯でした。人々は長袖で、中にはコートも着ている人もいます。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8273 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8274 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8275 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8276 神楽坂六丁目

神楽坂6丁目、朝日坂(昭和44年)
  1. 理容サトウ。床屋のサインポール
  2. 電柱看板「 買入 丸越 神楽坂通り 協和銀行前入る この手前 神楽坂6丁目」
  3. 白鷹 寿司清
  4. スミレ(美容室)
  5. 歯科 川畑
  6. 電柱看板「歯科 川畑」「土地家屋 野口商会」
  1. セルフサ(ービス)
  2. 第一パン SELF-SERVICE 雪印バター
  3. セルフサービス アライ
  4. (功芸社)
  5. 看板「清酒 澤之鶴 飯塚」 飯塚酒店 インスタン(ト)

 右側のセルフサービスから、第一パン SELF-SERVICE 雪印バター、セルフサービス アライまでは、地図では、全て荒井精肉店です。このセルフサービスの店は、3年後の1972年(昭和47年)12月、後ろにビル(アライビル)がつき、スーパーマーケットSuper ARAIとなります。

1970年。住宅地図。

神楽坂2丁目(写真)夕景 昭和43年 ID 8019

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 8019を見ましょう。年は1968年(昭和43年)、月は「神楽坂百年」の提灯があり、頭に浮かぶのがID 8018(「目で見る神楽坂百年写真展」、10月15日~10月25日)で、おそらく10月。撮影は神楽坂2丁目から坂下をねらっています。車道はゴム製リング(オーリング)でつけた滑り止めのドーナツ状の窪みがあります。歩道はややサイズの大きい平らな正方形のブロックで、街灯は丸い巨大蛍光灯です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8019 神楽坂1

神楽坂2丁目(昭和43年)
  1. 化粧品さわや
  2. 亀井鮨でしたがID 8-12の看板は外され、閉店しているようです。貼り紙があります
  3. 街灯看板「神楽坂」造花
  4. 神楽坂ビル 5階建て 建築中 小林工務店
  5. 喫茶クラウン
  6. 陶柿園
  7. 喫茶 音楽 坂
  8. ニューイトウ(靴)
  9. ファサード看板「マリー」突出し看板「パチンコはマリーで」
  10. 4階建て。ネオン(桜 3F 軽い心 2F パブ ハッピージャック)屋上広告「今宵楽しく軽い心」
  1. 電柱看板「健康保険医 石川歯科 この奥」「 倉庫完備 取扱丁寧 大久保
  2. CHINA & GLASS せともの 太陽堂 TAIYODO 1割引
  3. 〇スハム 増田屋 特選 牛豚鶏 ますだや
  4. マルマン ガスライター大川時計店(ショーウインドウ)
  5. とんかつ かつ一(2階)
  6. 街灯看板「神楽坂」「神楽坂百年」造花
  7. ⚫ ESUY(洋品の「エスヤ」)
  8. (洋装生地)林屋
  9. タイヤモンド毛糸 大島糸店
  10. オザキヤ(靴)

昭和45年 住宅地図。

神楽坂1丁目(写真)景色 昭和41年 ID 7658

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 7658を見ていきましょう。時代は1966年(昭和41年)で、全員長袖で、コートを着ている人もいます。撮影の方向は、神楽坂1丁目から坂上に。街灯は蛍光灯一つだけで、これは昭和36(1961)年以降です。車道は平坦で、凸凹もありません。道路にたまった雨水などを排水する側溝があります。歩道は昭和37年夏や、昭和41年の「坂のある街」では表面に滑り止め文様がありましたが、昭和41年の後半にややサイズの大きい平らな正方形のブロックに代わり、きれいに並んでいます。この歩道は改修後でしょう。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 7658 神楽坂 紀の善付近 1966年

神楽坂1~2丁目(昭和41年)
  1. 1階建て。田口屋生花店だが、ID 54の大きな看板はなくなった。
  2. 街灯看板の「パール ビリヤード」と「神楽坂」
  3. 電柱看板の「川島歯科
  4. 小栗横丁に行く小道
  5. 壁面看板とファサード看板の「花 田口屋生花店」。不明のネオンだが、ID 5081では「花 田口屋」。ここから2丁目
  6. 街灯と「神楽坂」
  7. 「御料理 蒲焼 志満金」と「うなぎ丼」
  8. 電柱看板の「 大久保
  9. 「靴 オザキヤ
  10. たばこ ☎(田金果実店)
  11. (食品 丸八)
  12. 「特約店 大島糸店」 4階建て
  13. サンコール(松本商店)
  14. 夏目写真館
  15. ✚クスリ(神楽坂薬局)
  16. 「洋装生地 林屋」
  17. ヒ(デ美容室)
  18. 五条ビル。5階建て。翌1967年完成だが突き出し看板も出ており完成間近
  19. 遠くに「(三菱)銀行
  1. 街灯
  2. 山田紙店
  3. ヤマザキパン(明治アイスクリーム)コカコーラ。公衆電話。でんわ☎でんぽう。公衆電話の台に第一相互銀行の広告
  4. おしるこ 紀の善
  5. 神楽小路。歩道からは1段下がる。おそらく歩道の改修で段差がついた。
  6. 床屋のサインポール(理容バンコック)
  7. (Frère WADA)YA(メンズウェアー)ID 86に詳しい
  8. 消(火栓)レストラ(ン)この先〇
  9. 軽い心
  10. ニューイトウ(靴)
  11. 遠くに「資生堂化粧品」(さわや
  12. 遠くに「神楽坂通り/美観街」。「坂のある街」にはないので、歩道改修と同時設置か。

神楽坂1丁目(写真)赤井足袋店 明治後期 ID 7640-7641

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 7640とID 7641を見ましょう。撮影は新宿歴史博物館では明治中期以降と推定するか、または『新修 新宿区史』では明治40年代の神楽坂入口付近だとしています。場所は赤井足袋店で、瓦葺きです。ここは神楽坂下交差点で、左に行くと神楽坂上に向かい、右に行くと飯田橋駅西口に、前と後ろは外堀通りです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 7640 赤井足袋店

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 7641 赤井足袋店

 明治初期の街の灯りの再現で裸火のガス灯から「明治27年頃からは、白光を発生する網状の筒を用いたガスマントル式のガス灯に置き換えられるようになり、街路灯はより明るくなりました」といっています。写真の街灯は以降とは違い、自立的で、ガスマントル式のガス灯だったのでしょう。ヤジロベエに似たものがついた蓋も「ルーカスアウトドアランプ 明治後期」とちょっと似ています。 
「赤井」の店名と「⩕」の下に「三」の屋号が大きな足袋の形の中に書かれています。店内の左側には足袋の陳列棚、奥にも細かく分かれた引き出しや棚があります。正面の帳場の左側の男性は仕事道具と思われる長細い槌を手にしています。客は通り側の四角い椅子に腰掛け、その場でコハゼの調整や簡単な修理をしたのでしょう。軒上の表札は4字で「村〇〇〇」のようです。
 家の右すぐに斜めにささえる丸太があります。さらに外堀通りの先にも同じような棒があります。実際に電柱のつっかい棒として働いたのでしょう。電柱看板は高い位置の突き出し広告が「染物〇〇〇〇」。低い位置は「政治教育論」と読めます。尾崎行雄の大正2年の著作とは時代が合いませんが、別の本でしょうか?
 また自転車の男性の左上には逓信の「〒」マークの「郵便切手・収入印紙」売捌所の吊り下げ看板が見えます。このデザインは修正を加えながら第2次大戦後も長く使われました。「〒」の下には軒灯があります。
 左は別の店で「花草」と「辻」の看板があります。木の窓枠の中には植物が見えるので、花屋か植木屋と思われます。よく見ると建物は一体で、赤井足袋店が一部を貸店にしていたのかも知れません。
 「ID 7640-7641の赤井足袋店の全体的な様子は、『牛込区史』(昭和5年、牛込区役所、590頁と591頁の間)やID 2(昭和6年)とそっくりです。新宿歴史博物館は『明治中期以降(推定)』としていますが、もう少し時代は新しく、『政治教育論』が刊行された大正初期の可能性があると思います」と地元の方。

神楽坂3丁目(写真)縁日 昭和41年 ID 12272-73, 75-76

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 12272-73、75と76を見ましょう。撮影は1966年(昭和41年)。街灯には巨大な蛍光灯があります。「縁日」は神社仏閣と縁のある日で、普段以上に御利益があるとされました。毘沙門天の縁日は、戦前は寅(寅毘沙)と午の日の10日に2度でしたが、戦後の昭和29年7月から毎月5日の夜店が出店し、やがて月3回になり、屋台の夜店で賑わいました。なお、ID 12280と12282も同じ縁日の風景です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12272 神楽坂毘沙門天の縁日

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12273 神楽坂毘沙門天の縁日

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12275 神楽坂毘沙門天の縁日

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12276 神楽坂毘沙門天の縁日

 ID 12273、75-76のすぐ隣にID 12272の屋台があったと考えます。ID 12272はピンクや赤い色の弁当箱ややかんが売られていて、おそらく、ままごと用でしょう。ID 12273、75-76ではたこやきを売っています。「関西名物」「岡村屋」の文字が見えます。
 人間は多く外套を着ています。またID 12273、75-76では「たこやき」の「た」の上、ID 12272でも少し離れた街灯にクリスマスの飾りがあります。12月なのでしょう。
 ID 12272には質店の電柱看板「質 倉庫完備 取扱丁寧 大久(保)」、細かく「神楽坂中程マーサ美容室横入」があり、最後に住所「神楽坂3-7」があります。神楽坂3-7とは三菱UFJ銀行の神楽坂支店と完全に一致しています。なお、2007年に無電柱化を行い、電柱は一切なくなりました。明るさを修正すると、向こう側の4丁目の商店の看板が見えます。右から順に「福屋不動産部」、隣は判読できませんが、形状からして日本法令の「届け用紙」の看板で、福田屋文具店でしょう。その次は「尾(澤薬局)」です。他に電柱看板「小野眼科」も見えます。

 ID 12273、75-76には電柱看板「中河電気 神楽坂」があり、消火栓看板「カメ(ラ)」もあります。右上に「(COF)FEE + CAKE」と書かれています。これは住宅地図のスゴオ菓子店で、三菱銀行の反対側にあったようです。なお、これらの看板は、やや後の時代のID 101(昭和44年)と照合すると確認できます。おそらく街灯を挟むような形で、図示した位置に屋台が出ていたと思われます。

101’ 三丁目

地蔵坂(写真)藁店、平成8年、ID 7900

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 7900は、撮影日時は平成8年(1996年)2月10日で、地蔵坂(藁店)をねらって撮影しています。電柱の途中から出る街灯は普通の蛍光灯です。電柱の上には柱上変圧器があり、電柱看板も見えます。
 縁石はなく、白い塗料で歩道と車道を区別し、また道路の両側に1列のコンクリートをつくり、雨水ますからの下水を流します。車道は平坦で、凹凸はありません。人は誰もいませんが、土曜日だからかもしれません。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 7900 神楽坂 地蔵坂

地蔵坂(藁店)(平成8年)
  1. 上海ピーマン Little China 中華料理 売店 お惣菜・お弁当
  2. かいぞく(料理)
  3. 床屋(モリワキ)
  4. めしよし 越野
  5. 小林石工店
  1. 電柱看板「割烹 おく瀬 この先坂上」
  2. (美喜、八百屋)
  3. 贔屓(すし、美喜の奥で上階)
  4. Charlie Brown(喫茶と酒)
  5. 鳥料理 〇〇〇料理 鳥竹
  6. 電柱看板「モリワキ」
  7. (ブティック Key’s)

『ここは牛込、神楽坂』第7号、平成8年(1996)、15頁

神楽坂1丁目(写真)牛込橋 昭和37年 ID 5993~5995

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 5993~5995は、昭和37年(1962年)、神楽坂1丁目を牛込橋方向から撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 5993 神楽坂入口をのぞむ

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 5994 神楽坂入口をのぞむ

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 5995 神楽坂入口をのぞむ

 昭和36年4月のID 52-53と比べると、牛込橋の車道のセンターラインや歩道の柵、左右の桜の木は同じです。しかし今回の街灯はそれまでの鈴蘭灯から、大型円盤形の蛍光灯に代わっています。左側の電柱広告は「旅館かぐら苑 野乃木」から「大久保質店」に、右側のファサード看板も「森本不動産」から「伊達」に代わりました。
 右上の「メトロ映画」の看板は「ヽロ映画」(ID 52-53)から「 ヽ凵映画」(ID 5993~5995)へと老朽化が進んでいます。遠くにキャバレー「ムーンライト」が見えています。
 街の様子は、寒いのか外套を着る人もいて、桜も裸木です。ただ歳末セールや正月の飾りのようなものは見えません。
 ID 55と56ともよく似ています。左下の手すりが雑巾かシャツで覆われ、すぐ前に同じバイク、右側にも同じ「日軽サッシ」の車も停まっています。ID 55-56、5993~5995は同じ時に撮影したことが分かります。
 新宿区『新宿区15年のあゆみ』(新宿区役所内務部総務課、1962年)ではID 5994を使っています。この本は昭和37年3月に出版していますので、この写真は、それ以前に撮影したはずです。
 ID 5995の右側の桜の木に、映画のポスターらしきものが見えます。昭和37年(1962)2月11日公開の『天使と野郎ども』ではないでしょうか。とすると撮影は昭和37年2月でしょうか。

日軽サッシ サッシ(window sash)は窓枠全体のこと。日軽は日本軽金属から現在はLIXIL(リクシル)になり、これは建築材料・住宅設備機器業界最大手の企業。
映画のポスター 拡大します。

人文社「日本分県地図地名総覧 東京都」1960年

神楽坂1~2丁目(昭和37年頃)
  1. ラーメン 中華そば
  2. とん(かつ森川)「も や」
  3. 電柱看板「気軽に習えて三日で踊れる 小柳ダンス教室
  4. 地名標識「神楽坂」
  5. 喫茶室 コルヌ(Corne)
  6. 電柱看板「 大久保」「中河電気
  7. 袖看板「天下の銘酒 三富酒蔵」壁面看板「富士錦三富酒蔵」「大衆」
  8. 外堀通り
  9. パチンコニューパリー。エッフェル塔に似たネオン
  10. 神楽坂通りは省略)
  1. 桜の木にポスター
  2. 神楽坂警察署
  3. 旅館 保〇
  4. 停車中の自動車「日軽サッシ」
  5. 桜の木に看板 映画
  6. ファサード看板「入院応責 産婦人科加藤医院」「品の良いデザインカットを誇るドレスはD伊達」
  7. 外堀通り
  8. 赤井商店
  9. 右に移って「さくらや靴店」
  10. (神楽坂通りは省略)
  11. 屋上広告「メトロ映画
  12. 屋上広告「キャバレー ムーンライト」

神楽坂1丁目(写真)清水衣裳店前 昭和28年頃 ID 5190

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 5190は、撮影日時は不明ですが、神楽坂一丁目から坂上をねらって撮影しています。街灯は昭和28年頃から昭和36年頃まで続いた、鈴蘭すずらんの花をかたどった鈴蘭灯でした。この街灯の高さ2mぐらいから提灯1つがでています。電柱の上には細い柱上変圧器があり、電柱看板も見えます。
 左下側をみてください。正方形コンクリートの二列と縁石から歩道がつくられ、車道に近いコンクリートから鈴蘭灯がでています。また、下水はコンクリートの地下を流れています。
 多くの人は車道を歩いています。背広を着ている人が多いようですが、薄いセーターを着ている人もいます。車道は平坦、滑らかです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 5190 神楽坂一丁目 紀の善前

 撮影した日時はいつでしょうか。昭和30年ごろ(ID4871、ID 4893、ID 4894、ID 4899)、車道のセンターラインは明確に書かれています。したがって、この写真は昭和30年より昔です。昭和28年にパチンコマリーが開店しますが、写真上ではまだなく、したがって、これよりも昔です。昭和27年(ID 4792、4793、4794)はまだ鈴蘭灯ではなく、簡素な球形の街灯です。この撮影したのは、街灯が球形から鈴蘭灯に変わる、そのわずかな時間だったのでしょう。昭和27年の秋か28年の春ではないでしょうか。

神楽坂1~2丁目(昭和28年頃)
  1. 清水衣裳店/元祖 貸衣装/貸衣装賣買/電話33 430〇番
  2. おきな庵
  3. おしるこ/あんみつ/桜井
  4. (家)
  5. 小栗横丁に行く通り
  6. 電柱看板「川島歯(科)」「土地建物〇〇/森本不動産」、
  7. (家)
  8. 白鷹 志満金
  1. 東京(円茶) のぼり旗「全店 大賣出し」
  2. 喫茶 紀の善
  3. 神楽小路
  4. 理容 バンコク館
  5. 電柱看板「旅館 碧運」
  6. 電柱看板「歯科 西條医院」と「歯科 蜂矢歯科
  7. メトロ映画。昭和27年元旦に開設
  8. (しのだすし。建築中)
  9. (山本薬局)
  10. 空地。パチンコマリーの開店は昭和28年
  11. 電柱看板「神楽坂〇〇医院
  12. ニュー(イトウ)靴

蜂矢歯科 神楽坂6丁目。成金横丁に接する。

1960年、住宅地図。

神楽坂歯科 神楽坂2丁目。奥まった場所にある。

都市製図社『火災保険特殊地図』昭和27年

横寺町(写真)朝日坂 昭和48年 ID 467-468

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 467とID 468は、昭和48年(1973年)、神楽坂通りから少し入った場所から横寺町方向を撮影したものです。この2枚は全く差がなさそうです。さらに同じ写真がID 8823としても記録されています。新宿歴史博物館のID 467は「横寺町入口附近。神楽坂通りから朝日坂に入った付近。 昭和48年2月」と説明しています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 467 横寺町入口附近

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 468 横寺町入口附近

 スーパーARAIと、その次の建物までが神楽坂6丁目。飯塚酒店から先が横寺町になります。左側にはコンクリート製の高い電柱が並んでいます。右側にも電柱があり、最初の1本は神楽坂6丁目でコンクリート製ですが、2本目からは横寺町で木製になります。

全国地価マップ 朝日坂。一部を改変

 写真の坂は朝日坂といい、前後の時代に何度か撮影されています。
 商店街ではないので専用の街灯はなく、電柱からバンドで固定した蛍光灯が出ていて街灯の役割をしています。蛍光灯があるのは片側だけです。
 柱上変圧器もあります。下水は道路の側溝を流れ、子供2人がローラースケートを遊んでいます。

神楽坂6丁目と横寺町(昭和48年)
  1. 看板「〇紀」
  2. 理容サトウ。床屋のサインポール ※地図はかすれていますが読めます。
  3. 電柱看板「 買入 丸越 神楽坂通り 協和銀行前入る この手前」。
  4. その下に読めない貼り紙。最後が「町会長」なので、おそらくゴミ出しの注意。
  5. 「日本第一清酒 白鷹 ハクタカ 〇総本舗」
  1. 八百政
  2. 大台宗 薬龍山 光圓寺 正藏院
  3. 八百政(ピーマン、みかん)
  4. Super ARAI
  5. 電柱看板「セルフサービス アライ ココ」(街灯はなく、細い電柱)
  6. 清酒 澤之鶴 飯塚
  7. 内野医院

 田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」で05-10-60-03 朝日坂下から 1974-12-25ではよく似た写真がでています。

05-10-60-03 朝日坂下から 1974-12-25

1976年。住宅地図。

神楽坂3丁目(写真)三つ叉通り 昭和44年 ID 101

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 101は、昭和44年(1969年)、カメラを神楽坂3丁目に置き、神楽坂上の交差点方向を撮ったものです。写真の右側は4丁目、奥の方は5丁目になります。
 街灯は円盤形の大型蛍光灯で、「神楽坂通り」と花の木をモチーフにした造花があります。消火栓標識と消火栓広告がありますが、広告は空欄のようです。電柱の上には柱上変圧器があり、電柱看板も見えます。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 101 三丁目

 すぐに左に回る路地は「三つ叉通り」という名前が付いています。牛込倶楽部の『ここは牛込、神楽坂』第13号の「路地・横丁に愛称をつけてしまった」(平成10年夏、1998年)では…… なお、井上元氏はインタラクション社長、林功幸氏は「巴有吾有」オーナーでした。

 するとさっきの検番通りに出る。
井上 そこは、道が三つに分かれているので『三つ叉通り』と名付けた。安易だったか。

 地元の方に意見を聞きました。

 撮影時期としてはID 64の神楽坂下(昭和45年3月)や、ID 7430の神楽坂上(昭和45年11月)と近いのですが、違いがいくつかあります。
 第一に、歩道です。このID 101は正方形の石を敷き詰めたもので、昭和40年代の神楽坂の「坂のある街」(昭和41年)と同じです。昭和45年はアスファルト舗装に変わっています。
 第二に、「神楽坂通り/美観街」という大きな標識ポールが、この写真で確認できないことです。「美観街」の標識は昭和42年の写真(田口氏 05-14-37-1 a b c)にはなく、昭和45年はあります。歩道の舗装と同時工事だったかも知れません。
 もう1点、この写真ではほとんど見えませんが、三菱銀行は建て替え前の旧店舗だったはずです。昭和45年には5丁目の仮店舗で営業していました。
 以下に、田口氏05-02-32-2などの他の写真で分かることも含めて解説します。

    1. 見切れているのは大佐和商店(現・楽山)。3階建てでした。看板は「○○○○銘茶研究会○○」と読めます。大佐和が4丁目に移転してきたのは昭和43年でした。
    2. 電柱広告「川島歯科」 ※袋町
    3. 「(福屋不)動産部/(毘沙門)せんべい福屋本店」
    4. 立看板「こどもの飛び出し多し」
    5. 尾沢薬局/富士フィルム」 ※DPE店を兼業していました。
    6. 日本勧業(信用組合) ※勧信の車庫
    7. かやの木 玩具店
    8. 電柱広告「中河電気」 ※5丁目
    9. 消火栓広告 空欄
    10. 電柱広告「 大久保
    11. (遠くに)協和銀行  ※6丁目
    12. 電柱広告「小野眼科」 ※新小川町
    13. サントリーバー さむらい ※洋品サムライ堂が2階で並営していました。
    14. 看板「(三菱銀)行」
    15. KEYS MADE。(合鍵作成)  ※宮坂金物店

70年。住宅地図。

神楽坂1丁目(写真)昭和63年 ID 97と98

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 97は、昭和63年(1988年)に牛込橋方面から神楽坂下交差点を通り、神楽坂1丁目などを、ID 98は神楽坂1丁目から坂上に向かって撮ったものです。おそらく同時に撮影したのでしょう。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 97 神楽坂入口付近から坂上方向

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 98 神楽坂入口付近から坂上方向

 街灯は一本に2個の6角形のランタン型で、道路側の灯りは下から上に付き、歩道側は上から下です。交差点は「牛込見附」から「神楽坂下」と名前が変わりました。なお坂上の交差点は「神楽坂」だったものから「神楽坂上」に変更しています。
 商店街の名前を示す大きな「神楽坂/美観街」の標識ポールもなくなり、新しい標識ポールができました。向かって右が「神楽坂」、左が「かぐら坂」です。またID 98では右のポールの下に小さな「かぐら坂」もあります。
 さらに下には木製の「神楽坂」があり、区が神楽坂について簡単な由来をかいたものです。
 上向きの矢印の道路標識はロール式の標識で、坂下から坂上までの一方通行を示し、時間によって車両進入禁止の表示と入れ替わります。

神楽坂1丁目(昭和63年)
  1. 電柱看板の「質 大久保
  2. のぼり旗の「360円」。おそらく看板の「ハンバーガー」。マクドナルドがすでに出店
  3. 道路標識「駐車禁止 」「30」
  4. 外堀通り
  5. 電柱看板「八千代鮨」(本多横丁に)
  6. ニューバリー(パチンコ)本日開店
  7. ゲーム
  8. 清水衣装店
  9. きそば 神楽坂 翁庵は「楚」のくずしかな、は漢文で主語を表す助詞「は」の「者」をくずし、濁点をつけたもの。BF、リーチ ふじ 麻雀 3F、公共施設研究所 4F、岩井物産(株)5F。(高い位置の看板)翁(庵)。
  10. (同じく高い位置で黒地の白文字)ローンズ日立
  11. 「エ」だけが見える
  12. (高い位置の看板)(志)満金
  1. AKA(I)
  2. ヒグチトラベル、薬 ヒグチ
  3. 看板「紙 事務用品 文具 原稿用紙 山田紙店
  4. 消火栓標識と消火栓広告「質 大久保
  5. 地下鉄 飯田橋
  6. 不二家
  7. WAD(AYA)(メンズウェア)
  8. 屋上看板「興銀のワリ(コー) 丸和証(券)」。壁面看板「英(会話)。各階 名店ぞろいの! カグラヒルズへどうぞ」。突き出し看板「明光証券。磯忠 麦酒倉。GAME。ECC 、丸和証(券)」
  9. (のぼり旗)神楽坂歳末ドリームセール。年末に近い時期の撮影か?
  10. 丸和証券、珈琲 専門店 マイアミ、GAME、ウェンティーズ。
  11. パチンコ

神楽坂1丁目(写真)外堀通り 昭和54年 ID 93

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 93は、昭和54年(1979年)の北東部の神楽坂1丁目で、外堀通りに沿って撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 93 神楽坂入口近く外堀通り

1980年 住宅地図。

1978年 住宅地図。

神楽坂1丁目(昭和54年)
  1. 神楽坂飯店。味自慢、ラーメン。
  2. えぞ松。上に「ラーメン えぞ松。牛丼/餃子/え(ぞ松)」
    下に「手打餃子。ジャンボ 250円。土産 270円」
  3. カレーショップ インドール
  4. そばうどん(立ち食い店)
  5. バラエティスタンド飲食街 (2)階 (トウホウビル通り抜け)
  6. (TORI)NO(喫茶店)
  7. 雀處 の舎〇
  8. 人形の家(純喫茶)
  9. 東京トラベル
  10. 松(村薬局)
  11. (離れて)東海銀行
  1. 神楽坂交差点先100M 白銀町九 フクヤ 神楽坂3-5(地番表示は誤り)
  2. 電柱看板「阿部医院」




  1. 大郷材木店
  2. (離れて)五洋建設

神楽坂1丁目(写真)昭和48年 ID 65、66

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 65と66は、昭和48年(1973年)2月、牛込見附(現、神楽坂下)交差点から神楽坂1丁目などを撮ったものです。大きな左向きの矢印は坂下から坂上までの一方通行を示し、街灯は円盤形の大型蛍光灯で、途中に「神楽坂通り」の標識があります。電柱の上には柱上変圧器があり、「神楽坂通り/美観街」の標識が左右に1本ずつできています(カラー写真)。また、休日の歩行者天国が始まり、バリケード看板「歩行者道路 日曜祝日の12~18 牛込警察署」が出ています。なお、ID 65は「神楽坂入口から坂上方向」でも細かく見ています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 65

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 65 神楽坂入口から坂上方向。昭和48年2月。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 66 神楽坂入口付近から坂上方向

神楽坂1丁目(昭和48年)
  1. 有楽町線。将来の「飯田橋駅」。道路を開削、上に鉄板。埋め戻しは開業後。
  2. 看板「歩行者道路 日曜祝日の12~18 牛込警察署」
  1.  牛込見附  (車両通行止め)。歩行者専用道路 自転車を除く 12-13。
  2. 電柱看板の斉藤医院
  3. パチンコ ニューバリー。
  4. 電柱看板の(質)大久保質屋
  5. 「神楽坂通り/美観街」の標識
  6. 中華料理 信華園
  1. (一方通行入口)。(車両通行止め)。歩行者専用道路 自転車を除く 12-13。
  2. 足袋・Yシャツ「赤井商店
  3. 「カレーショップ ボナ」
  4. (白十字医院)
  5. 地下鉄入口の建築中のためこの時点では山田紙店はなくなっている。
  6. FUJIYA 不二家洋菓子。不二家 コーヒーショップ。ウロコ張りの洋館風。店の横が見えている
  7. あんみつ。紀の善。切妻の屋根
  8. 「神楽坂通り/美観街」の標識
  9. 白く光るのは理容バンコックのサインポール
  10. (右折以外進行禁止)(区間内)
  11. 上でビル「軽い心
    3,4F 麻雀 桜
    2F 喫茶室 軽い心
    1F パブ ハッピージャック
  12. 山一薬品
  13. パチンコマリー
  14. ニューイトウ(靴)
  15. 坂(喫茶)
  16. 陶柿園がビルに。1年前の昭和47年(1972年)3月に完成した。
  17. 喫茶  クラウン
  18. ルナ美容室」は「神楽坂ビル」に。1969年2月完成。
  19. 「菱屋」も高層ビルに。竣工は昭和42年か前年末。

神楽坂2丁目(写真)昭和33年 ID 57

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 57は、神楽坂2丁目を撮ったものです。撮影の方向は、坂下から坂上で、街灯は昭和36~7年まで続いた鈴蘭灯でした。
 シャツの人がいますが、半袖の人はいません。つまり夏ではありません。歩道はきれいで平坦です。
 左に建築中のビルは大島ビルで、この築年月は昭和34年(1959年)5月、総階数は4階です。建築後は大島糸店になりました。この撮影日は、佳作座の広告「野ばら」があるので、昭和33年秋や冬でしょう。
 一方、新宿歴史博物館の調べではこの写真は「昭和37年頃」に撮ったといいます。
 横断幕の「本日特売日」があります。
 また、車道のOリングはないのですが、アスファルト舗装では車の馬力が不十分で、石敷でした。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 57 神楽坂入口付近から坂上方向

神楽坂三十年代地図」(『神楽坂まちの手帖』第12号、2006年)を参照
神楽坂2丁目(昭和33年)
  1. 建築中。「タイヤモンド毛糸 大島糸店」になる
  2. 電柱看板。「 倉庫完備 大久保」「石川歯科
  3. (マルヨシ美術店)
  4. 夏目写真(館)
  5. 「+クスリ」。精神安定剤「ハーモニン 神楽坂薬局」
  6. 洋装生地 林屋
  7. (十奈美)
  1. パチンコマリー。Pachinco Mary。右端に佳作座の広告「野ばら」(日本公開は昭和33年8月23日)も。
  2. 壁面看板「ジュ 靴」「ヤマヤタ ⇒」
  3. 看板「洋食 喫茶京屋⇒」(奥にあった)
  4. 「靴はニューイトウ」
  5. 通りに接し「イトウふと(ん)」。「コーヒー 坂」ではない
  6. (陶磁器 陶柿園
  7. 「旅館 かぐら苑」の半分だけが見える
  8. クラウン(喫茶)
  9. ルナ美容室
  10. ポーラ化粧品
  11. 亀井鮨
  12. ひときわ高い看板「資生堂化粧」(さわや
  13. 遠くに看板「テレビ 竹谷電気」。
  14. さらに「万平のみや」の特徴的な吊り看板

神楽坂1丁目(写真)昭和36年 ID 54

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 54は、昭和36年4月に神楽坂1~2丁目を撮ったものです。撮影の方向は、坂下から坂上です。街灯は昭和36~7年まで続き、鈴蘭の花をかたどった鈴蘭灯でした。電灯は1本あたり3個なので、よく見ると、かなりの電灯は壊れています。別に神楽坂通りに桃の造花がいくつもあります。コートを着た人はいますが、半袖の人はいません。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 54 神楽坂入口から坂上方向

神楽坂三十年代地図」(『神楽坂まちの手帖』第12号、2006年)を参照
神楽坂1~2丁目(昭和36年?)
  1. 清水衣裳店
  2. 翁庵
  3. 桃の造花では?
  4. 甘味 桜井。1階ショーケースに
    「お赤飯」
  5. 「生花 造花」「田口屋生花店」(果実店の萬屋販売所ではなくなっている)
  6. 山崎パンの配送車が停車中。反対側のヤマザキパンに行くところ
  7. 左側の田口屋生花の下で配送車の扉に隠れて「1日-15日 大東○ 百円」。おそらくクジのイベント。(100円買うと100万円当たる)
  8. 小栗横丁に通じる通り
  9. 電柱看板「森本不動産」。小栗横丁に入り1軒裏にあった。
  10. 田口屋生花店。丸い看板「花」
  11. 志満金
  12. 電柱看板「大久保」。仲通りにありました。⚫は他の写真で「倉庫完備」
  13. 数軒して「タイヤモンド毛糸 大島糸店」
  14. 数軒があり「新古美術品店」か。将来は「松本商店」になる場所。
  15. 「ク」スリ
  16. 遠くに「(三菱銀)行」
  1. 「ヤ」が見える。2階はニューマヤ美容室。1階の入り口にスタンド看板の価格表。コールド(セット■)1500 シャンプー100など。コールドパーマとは熱は使わず、代わりに薬剤を使用
  2. 1階は山田紙店
  3. 公衆電話
  4. 神楽堂。ヤマザキパン
  5. 神楽小路に行く小道があり、その上に「ダン(ス)⇒」がある。小柳ダンス
  6. BAR みなみ
  7. 志乃多寿し
  8. 山一薬品
  9. スタンド看板で「1日ー15日 大東京○○まつり 百万円」。下には「神楽坂○興○」。神楽坂通り商店会は、昭和41年まで「神楽坂振興会」でした。

 ID 48(昭和34年)と比べると、いくつかの場所が代わっています。左側は万屋販売所だったのから「生花 造花」となり、右側は「トリスバー」から「BAR みなみ」に代わりました。昭和35年の神楽坂三十年代地図では万屋が出ています。

1960年、62年は人文社「日本分県地図地名総覧」から。63年は住宅協会「全住宅案内図帳 新宿区」から。田口屋とbarみなみ

神楽坂6丁目(写真)昭和35年頃 ID 51

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 51は、神楽坂6丁目を撮ったものです。撮影の方向は、神楽坂上交差点から北西向き、街灯は昭和36年位まで続いた鈴蘭灯でした。歩道はほとんど車道と同じ高さで、車は対面通行を行っています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 51 6丁目田中屋前付近

「このID:51の面白みは、なんといっても街灯です。向かって左、『大久保通りを越えた神楽坂5丁目』は1-4丁目と同じスズラン灯。向かって右の6丁目は、似ているけれど別の街灯。商店会が別で、仲悪かったんですよ。今は、こういうことはなくなりました」と地元の方。

2種類のスズラン灯。左の5丁目のスズラン灯と右の6丁目では違う。

昭和37年 東京都全住宅案内図帳。左(下)は神楽坂5丁目、右(上)は神楽坂6丁目

神楽坂5丁目と6丁目
  1. こちらは神楽坂5丁目
  2. 電柱看板「川畑歯科」。川畑歯科は朝日坂で、飯塚酒店の向かい側。地図上の7に当たる(新宿区横寺町交友会、今昔史編集委員会『よこてらまち今昔史』2000年。p85)
  3. 看板「トケイメガネユビワ アメリカ時計学会 〇ヨウ」。タイヨウ時計店(以前は太陽堂)

川畑歯科

  1. こちらは神楽坂6丁目
  2. 電柱看板「洋装店 ナカノ」。現在は3丁目のナカノビル
  3. 御菓子 田中屋
  4. 「マツダリンクストア」「東芝テレビ」「ナショナルショップ」。篠原電材店。1939年、マツダと東芝とは「東京芝浦電機」に
  5. 平屋の茶舗「明治園」
  6. マージャン「平和荘」
  7. 看板「調髪百円ミツオキ」理髪店
  8. 喫茶の東洋文化会館。看板「XMAS」
  9. 浦沢靴店

神楽坂1丁目(写真)昭和34年 着物 ID 40-45

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 40からID 45までは、神楽坂1丁目を中心に撮ったものです。ID 31からID 39同様に昭和34年ではと思います。夕暮れが終わって晩、遠くに横断幕「火の用心」があります。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 40 神楽坂途中から坂上方向、着物の女性たち

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 41 神楽坂途中から坂上方向、着物の女性たち

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 42 神楽坂入口から坂上方向、着物の女性たち

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 43 神楽坂入口から坂上方向、着物の女性たち

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 44 神楽坂入口から坂上方向、着物の女性たち

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 45 神楽坂途中から坂上方向、着物の女性たち

神楽坂三十年代地図」(『神楽坂まちの手帖』第12号、2006年)を参照
神楽坂1~2丁目
  1. 信号機(ゼブラ柄の背面板)
  2. ニューバリーパチンコ。
  3. 田原屋。
  4. 清水衣裳店
  5. 翁庵
  6. 甘味 桜井
  7. 株式会社 萬屋神楽坂販売所(果実店)
  8. 小栗横丁に通じる通り
  9. 電柱看板「森本不動産」。萬屋販売所の1軒裏にあった
  10. 田口屋生花店。丸い看板「花」
  11. 志満金
  12. 電柱看板「大久保」
  13. オザキヤ靴店
  1. 赤井商店
  2. 津田印店
  3. 白十字クリニック
  4. 山田紙店
  5. 公衆電話
  6. 神楽堂(パン)3階に見える
  7. 紀の善(甘味)おしるこ
  8. 神楽小路に行く通り。小柳ダンス
  9. 理髪店バンコック
  10. メトロ映画館
  11. トリスバー
  12. 志乃多寿し
  13. 山一薬品
  14. パチンコマリー

 森本不動産はここです。

森本不動産

「ここで同じ日の写真だとわかるけど、もっと特定できないかと手がかりを探しました」と地元の方。そこで…

1) メトロ映画の看板。添付写真で、映画タイトルの先頭は「ト」です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 44

http://www.jmdb.ne.jp/1959/a1959.htm
http://www.jmdb.ne.jp/1958/a1958.htm
 1958-59年の全公開作品を調べたところ、該当するのは「ドジを踏むな」(1958.09公開)だけでした。
 参考画像も添付しますが、ヒロインの中田康子は、割といい線かなと思います。
2) 大島ビル
 志満金の少し先、大島糸店が4階建てのビルになっています。築年月は1959年5月。
http://reblo.net/joycosmo/build-575845/
 古いですね。さすが老舗。大島さんのビルはID:34-35でも確認できます。
 以上からID:40-45は、やはり昭和34年(1959)の年末と想像されます。
 なんだ、がっかりだ。(笑い)


神楽坂2丁目(写真)昭和34年 夜景 芸者 ID 36-39

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 36からID 39までを見ましょう。撮影の方向は、神楽坂の中途から坂上に向いています。街灯は鈴蘭灯があり、車道には平坦で、Οリングはまだないようです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 36 神楽坂途中から坂上方向夜景、着物の女性たち

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 37 神楽坂途中から坂上方向夜景、着物の女性たち

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 38 神楽坂途中から坂上方向夜景、着物の女性たち

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 39 神楽坂途中から坂上方向夜景、着物の女性たち圉

 ID 36とID 37は車2台のバンパーが流れてぼやけ、またID 37とID 38は印画紙?が乾燥し、ID 39だけがまあまあよさそうです。
 ID 39について『目で見る新宿区の100年』(郷土出版社、2015年)に解説されています。

神楽坂、坂下方向よりの夜景(昭和34年) 現・神楽坂2丁目。神楽坂がそれらしくなったのは、江戸時代といわれている。その後、大正時代には花街として隆盛を極めた。昭和34年に、これだけ着物を着た女性が撮影されたのは、やはり料亭や芸者置屋が多いという花柳界ならでは。

 しかし、これも新宿歴史博物館 ID 31-35と同様にやらせでしょうね。

「神楽坂三十年代地図」(『神楽坂まちの手帖』第12号、2006年)を参照
神楽坂2丁目
  1. 電柱看板「石川歯科」。小栗横丁にある
  2. 「夏目写真館」とネオン「photograph 夏目写真館」
  3. 「+ク」スリ。神楽坂薬局。「☎でんわ」と解熱鎮痛剤「ケロリン」。「ハーモニン 神楽坂薬局」
  4. 「田」丸屋。せんべい。「手焼せん 」
  5. ネオンは「洋装生地 林屋」
  6. 化粧品の十奈美。見えません。
  7. 山岸煎餅店。見えません。
  8. 洋品の「エス」ヤ
  9. 「メガネ」と、ひとつ奥には「ト」ケイと時計10:10。大川時計
  10. 肉・増田、太陽堂。見えません
  11. 神楽坂仲坂。見えません
  12. 山本薬局。見えません
  13. 「ヒデ美容室」
  1. 「パチンコマリー」
  2. 「ヤマヤ ⇒」
  3. 「洋食と喫茶 京屋 どうぞ⇒」。一軒ほど右奥にはいった場所にあります。
  4. 壁面看板「ジュ 」「靴 はニ 」
  5. 「靴 ニューイトウ」。広告のぼりは「セカイチョ」。運動靴の会社「世界長 セカイチョー ゴム株式会社」。「文部省教育用品審査合格品」
  6. 「コーヒー坂」と「陶柿園」は見えません。
  7. 「旅館 かぐら苑」。右奥にはいった場所にあります。
  8. 「珈琲 グラウン」と 「クラウン」
  9. 「ルナ美」容室。
  10. 「ポーラ化粧品」
  11. 「亀井鮨」
  12. 喫茶「七福」

 石川歯科小栗横丁にありました。

昭和59年 住宅地図。石川歯科

神楽坂1丁目(写真)昭和34年 芸者 ID 31-35

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 31から35までは、昭和34年に神楽坂1丁目を撮ったもので、芸者さんも出てきます。ID 31は2560 x 1938ピクセルで、ID 32から34までは約1420 x 1100ピクセル、ID 35では1907 x 1316ピクセルでした。つまりID 31だけが特に巨大なピクセルでした。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 31 神楽坂入口から坂上方向夜景、着物の女性たち

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 32

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 33

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 34

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 35

 この芸者衆が、なぜか淑やかにゆっくり歩いてくるし、ライトが照らす方向と芸者衆が行く方向は同じ。一般の人はなぜか芸者衆を見てびっくりしている。普通の行動ではないと思っているようで、なかにはこのカメラをまじまじと見ている者たちもいる。「待合の少ない坂下に芸者衆がたくさんいるのも不自然です」と地元の人。やらせですね、多分。
 なお、ID 31だけは説明があります。

写真解説: 神楽坂の逆転式一方通行の導入前で、右手に坂を登る一方通行(ONE WAY)の標識が見える。また、左手の歩道をよく見ると、四角い石を敷き詰めていることが分かる。

年代  : 昭和(戦後) / 昭和34年

 残念ながらこの新宿歴史博物館の説明は違っています。この時、逆転式一方通行はもう実行中でした。詳しくは逆転式一方通行・再考(写真)を。左には「午前」「一方通行出口」(つまり坂上⇒坂下)、右には「午後」「一方通行」(坂下⇒坂上)と書いてあります。自動車は、午前には坂上から坂下に、午後は坂下から坂上に、通行するように決まってていたのです。

左の標識

右の標識

 新宿歴史博物館の「左手の歩道をよく見ると、四角い石を敷き詰めていることが分かる」について、石だとはわかりませんが、ここがそうでしょう。

「神楽坂三十年代地図」(『神楽坂まちの手帖』第12号、2006年)を参照
神楽坂1~2丁目
  1. 信号機(ゼブラ柄の背面板)
  2. パチンコ ニューバリー。
  3. 田原屋
  4. 電柱看板で「質 倉庫完備 大久保
  5. 清水衣裳店
  6. 翁庵の生そば。は「楚」のくずしかな、は漢文で主語を表す助詞「は」の「者」をくずし、濁点をつけたもの。
  7. 甘味 桜井。
  8. 小栗横丁に行く小道。
  9. 「花 田口屋」。ここから2丁目
  10. 電柱看板で「川島歯科」。現在はないが、藁店にあった(下図)。
  11. 志満金
  1. 赤井商店」。戦前は足袋店。
  2. 「印章・ゴム印」で「津田印店」
  3. (白十字医院)
  4. 山田紙店。現在は土産店「のレン」
  5. (神楽堂パン)
  6. おしるこ(紀の善
  7. 小柳ダンス⇒神楽小路
  8. ここから2丁目。1階はテーラー和田屋、2階が理容バンコック。
  9. メトロ映画
  10. トリスバー
  11. 志乃多寿し
  12. (山一薬品)
  13. パチンコマリー

川島歯科 人文社「日本分県地図地名総覧」東京都。1962年。

“”

神楽坂2丁目(写真)昭和27年頃 ID 29とID 5081

文学と神楽坂

 昭和27年頃に撮った新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」で2枚の写真です。1つは新宿歴史博物館 ID 29で、解像度は921 x 733ピクセルです。

新宿歴史博物館 ID 29 神楽坂途中、2丁目付近

 これは次のような私の説明があります。

神楽坂2丁目(写真)昭和27年頃 ID 29
 最左端は「生花や」で、田口屋生花店です。隣には鰻の「志満金」、尾崎屋(靴店)、田金果物店、八食品、大島糸店と続きます。のぼり旗は「歳末大売り出し」で、良く見るとID 28でも確認できます。

 次は新宿歴史博物館 ID 5081です。本体の解像度は3286 x 2480ピクセルでしたが、私のWordPressでは最大の解像度は2560ピクセルだけです。

新宿歴史博物館 ID 5081

 これも新宿歴史博物館に次の説明があります。

昭和(戦後) / 昭和27年(1952)頃 創業明治2年(1869)の老舗うなぎ屋志満金の前。

 さて同じ新宿歴史博物館で、どうして解像度がこれほど違うのか、おそらく…と考える前に…
 もう一度、ID 5081を説明しましょう。左端は「花 田口屋」です。夜に光るネオンがあり、ID 29でも分かりにくいけれど、よく見るとあります。
 次が「志満金」。左側には「北京料理」があります。看板は「銘酒 白鷹 料理 志満金」「蒲焼」の2つ。街灯のポールには「コーヒー 〇 フジヤ」と書いてあります。
 次は尾崎屋で、靴屋です。靴の絵と「ライ  ム」があります、「アポロ〇〇〇」もあります。ここにも長靴のネオンがあります。
 次は名前がない2店舗で、都市製図社の火災保険特殊地図(昭和27年)によれば田金器物、八食品で、人文社の「日本分県地図地名総覧」(昭和35年)では「果実 田金」「食品 丸八」です。旗は「歳末大売り出し」ではなく、「全店 大売出し」でした。
 次は大島糸店。看板は「毛糸ボタン 洋裁〇〇〇」。電柱看板の「質 買入 大久保」があります。
 続いて「神楽 菓子」と「〇遠家具」と「夏目写真館」が続き、口中清涼剤「仁丹」は「神楽坂薬局」があるためでしょう。
 さらに電柱看板の「三池旅館」、増田屋の「牛豚肉」、「太陽堂」「セトモノ」の瀬戸物屋。
 最も遠い「千代田銀行」は、三菱銀行です(⇒)。ウィキペディアでは1948年(昭和23年)から 1953年(昭和28年)まで、「株式会社千代田銀行」と改称したといいます。今もほぼ同じ場所に三菱UFJ銀行があります。
 解像度の違いについて、地元の方は「連続して撮影したものと見ていいと思います。
 なぜ、かくも解像度が違うのか。ID 29は保存したプリントからスキャンした。ID 5081はネガが残っていた。その差でしょう。両者に決定的な違いはないと思います」といい、これには大賛成です。でもID 29のネガも残っているのではと思います。

都市製図社「火災保険特殊地図」昭和27年

神楽坂1~2丁目(写真)昭和37年夏 ID 17-19

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 17から19までを見ていきましょう。ID 17と18は降雨はなく、ID 19はあります。多くは半袖です。撮影の方向は、神楽坂1~2丁目から坂上に向いています。街灯は一つだけで、これは昭和36(1961)年以降です。車道は平坦で、凸凹もありません。歩道の表面には文様があり、ところどころ割れています。

新宿歴史博物館 ID 17 神楽坂下から坂上方向 昭和37年頃

新宿歴史博物館 ID 18 神楽坂下から坂上方向 昭和37年頃

新宿歴史博物館 ID 19 神楽坂下から坂上方向

神楽坂1~2丁目
  1. 甘味 桜井。ここは1丁目。
  2. パール ビリヤード。現在はないが、小栗横丁にあった。
  3. 小栗横丁に行く小道
  4. 壁面看板の「花 田口屋」。ここから2丁目
  5. 電柱看板で「川島歯科」。現在はないが、藁店にあった。
  6. 志満金
  7. オザキヤ
  8. たばこ ☎(果実 田金)
  9. (食品 丸八)
  10. タイヤモンド毛糸 大島糸店
  11. 松本商店
  12. 菓子 神楽屋
  13. 夏目写真館
  14. クスリ
  15. 林屋
  16. (十奈美)
  17. エスヤ
  1. ここは2丁目。白い建物の1階はテーラー和田屋、2階が理容バンコック。2階に床屋のサインポール
  2. メトロ映画で「九ちゃん音頭」公開は1962年7月と「男度胸のあやめ笠」公開1962年6月
  3. 白い建物はスナックとバー みなみ
  4. 麻雀⇒(志乃多の前から麻雀ルビーに入ることができる)
  5. 志乃多寿し
  6. グロンサン 山一薬品
  7. パチンコマリー
  8. ニューイトウ靴店
  9. レストラン京屋(奥にあった)
  10. ビリヤード 神楽坂(奥にあった)
  11. 喫茶 音楽 坂
  12. 陶磁器 陶柿園
  13. (旅館 かぐら苑)
  14. クラウン
  15. (美容室 リカ)
  16. ポーラ化粧品
  17. (鮨 亀井)
  18. 資生堂化粧品 さわや

 メトロ映画では1962年の夏用に映画2本立てを出しています。
 ID 17にはきれいなアスファルト舗装が広がります。はるかに彼方に別の舗装があるようで、反射も違っています。ID 18ではオザキヤ頃から上にこの舗装があるようです。しかし、よく見ると、Oリングはまだつけていないようです。

新宿歴史博物館 ID 18の一部

 ID 19もOリングはなく、つまり、1962年7月はOリングのないものを使って舗装をしたのです。おそらく1962年末にはOリングもついているはずです。
 この舗装はコンクリートではなく、石敷いしじき、石だたみでした。地元の方によれば「当時の車のエンジンはパワー不足で、アスファルト舗装では坂を上れなかった。表面のザラザラした石敷だった。ただ石が割れて飛ぶことがあったので、コンクリートに替えることにした。しかしコンクリートでも使っているうちにツルツルになって滑るので、Oリングの溝が必要だった」といいます。