自動車を締め出し,歩行者の自由を認める制度や場所を歩行者天国と呼んでいます。
東京では1887年(明治20年)頃、神楽坂の縁日で初めて実施しました。
また、1966年、用語「歩行者天国」は既に朝日新聞で使用されているようです。
戦後は1970年(昭和45年)8月2日(日曜日)午前10時から午後5時まで銀座・新宿・池袋・浅草の4地区で初めて実施しました。
さらに同じ年の11月15日、神楽坂でも歩行者天国を行います。
神楽坂にも天国
牛込の神楽坂にも、歩行者天国が、あす15日(昭和45年11月15日)の日曜日から各日曜、祝日ごとに実施される。
地元商店の要望により牛込署が行なうもので、初日の15日午後1時から津久戸小の鼓笛隊パレード、小学校の写生大会、マンガ入り風船のプレセント、宝さがしなど“むかし恋しい神楽坂”に、景気を呼ぼうと、各種の催しものを準備している。 なお、天国の区域は国電飯田橋駅近くの神楽坂1丁目の交差点から同五丁目の交差点まで。 (読売新聞 昭和45年=1970.11.14)
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地元の人もこんなことを教えてくれます。
ID 7430は実施の前日なんですね。つくば商事の小さな看板が納得できました。坂下の写真だって、ありそうなものですけどね。 |
さらに4年後、「ランチタイム天国」という言葉(正しくは「ランチタイム・プロムナード」)も出てきました。昼休みも歩行者天国にするというもの。
ランチタイム天国 ノンビリ歩こう昼休み 今日から23か所で
昼休みのひととき、東京都内の盛り場から車を一時シャットアウトする警視庁の「ランチタイム・プロムナード」交通規制が、きょう1日(昭和49年10月1日)の「都民の日」から、23地域51路線(総延長13280メートル)でスタートする。
規制時間は各地域ともウイークデーの正午から午後1時までの1時間だが、ヤングの町・新宿西口地域だけは、午前11時半から午後1時半までの2時間。(中略) 一日スタートの主な盛り場は、新宿のほか銀座3、4丁目通り、神楽坂商店街通り、中野追分通り、国電御徒町駅西側、荻窪駅南口仲通りなど(略) (読売新聞 昭和49年=1974.10.1)
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下図では中央やや左に標識「ランチタイム・プロムナード」があり、スプーンとフォーク、ティーカップが書かれています。この言葉「ランチタイム・プロムナード」はいつしか忘れて行きましたが、行動は覚えています。神楽坂は2つとも実施中です。
通行 | 時期 | ウィキメディア =東京新聞 | 朝日新聞 | 渡辺功一氏 |
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歩道(2色、高い縁石) | 昭和29年 | |||
対面通行 | 昭和31年以前 | |||
陶器店での交通事故 | 昭和31年。他にも事故が多発 | |||
一方通行 | 昭和31年 | 不明 | 不明 | |
逆転式一方通行を発令 | 昭和33年 | 昭和36年 昭和36年5月 | 不明 | |
逆転式一方通行(神楽坂通り)実施中 | 昭和34年頃(ID 7002、ID 31)、昭和35年頃(ID 5510) | |||
逆転式一方通行(牛込橋) | 昭和37年から42年までに実施中 | |||
歩行者天国の発令(神楽坂通り) | 昭和45年11月15日 |
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歩行者天国の実施中 | 昭和47年秋?(ID13152)昭和48年2月(ID 8805)昭和51年頃(ID 11482) | |||
逆転式一方通行の範囲拡大 | 不明 | 昭和54年 |