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坊主から医者に|宮武外骨

文学と神楽坂

宮武外骨

 『宮武外骨之著作集』5 (変態知識)上(半狂堂、大正13年。太田書房、昭和47年)国立国会図書館デジタルコレクションです。
 宮武みやたけ外骨がいこつ氏は明治中期から昭和にわたって活躍したジャーナリストで、明治20年『頓智協会雑誌』に帝国憲法を風刺して発禁、不敬罪で投獄。川柳、江戸風俗、明治文化などを研究し、昭和2年には東大明治新聞雑誌文庫の初代主任に。「外骨」は本名。生年は慶応3年1月18日(1867年2月22日)、没年は昭和30年7月28日。89歳。

 女郎買の為に坊主が医者に化け
 江戸時代の坊主が女郎買に行く時は、医者の姿に変装したものである、と云う事を知らないでは「医者は医者だが薬箱持たぬ成」の句義を解し難い。そしてこの化け医者の句は数十あるが、その中の面白いのを抜いて講義する。
  舟宿へ来て狼も医者に化け
  中宿出家這入ると医者が出る
 狼とは衣を着た狼、破戒僧、変装は中宿へ来ての事である。
  羽織着たこと人に語るな穴賢
  長羽織袖に衣の癖が出る
 コロモを脱いで長羽織に着換えたのである。「中宿からは手を長くして通い」というのも、コロモの両袖に手を隠すのでなく、羽織を着て手を出して歩くという事である。

 簡単に現在語に変えてみます。
   吉原に通う店で狼は医者に化け
   出合茶屋に
僧がはいって医者になる
   僧衣から羽織に変えたんだけど、他の人に言うなよ、あなかしこ
   長羽織の袖には僧衣の癖が出る

句義 くぎ。文章などの句の意義。
舟宿 江戸時代、船で吉原に通う客の送迎をする家。
中宿 なかやど。江戸時代、男女を密会させた宿。出合茶屋。
出家 僧。僧になる。
破戒僧 はかいそう。守るべき戒律を破った僧。なまぐさ坊主。
 ぎ。人のふみ行うべき正しい筋道。
羽織 はおり。和装で、長着の上に着る丈の短い衣服。
穴賢 あなかしこ。手紙文の終わりに用いて相手に敬意を表す語。恐れ多く存じます。
コロモ 衣。①衣服。着物。きぬ。②僧や尼が袈裟けさの下につける衣服。僧尼の法衣。僧衣。

坊主

  僧はさし武士は無腰の面白さ
  似合ったか納所はさして見る
  中宿は貸脇差も持っている
 武士は中宿へ腰刀を預けねばならぬ掟、医者は一本差であったので、それに化けるための脇差。
  高輪へ来ると後ろで帯をしめ
  品川の医者俳名芝山なり
  薬箱持たず品川さして行き
 芝山内の坊主が医者に化て品川女を買いに行く事である。
  俗方実見えますと四ツ手いい
  脈を見ておくんなんしに化がわれ
「ゆうべには医者あしたには僧と成り」で「出家で儲けたのを医者で遺い捨て」たのである。
 さて、何故斯く坊主が医者に化けたかというに、これは旧幕府制度では、坊主が女を買ったり、後家を手に入れた事が発覚すると、女犯の破戒僧として、この図の如く、日本橋の刑場で三日間晒されその上寺法で放逐されるからである。カゲマ買は黙許芳町へ行くにはまねをせずとよし」であった。

 これも簡単に現代語に変えてみます。
  僧は脇差1本、武士は丸腰、この面白さ
  にあっているかなどと僧侶は脇差を見る
  出合茶屋では脇差も貸してくれる
  高輪へ行ってくると、僧は後ろで帯をしめ
  品川の医者 俳名は増上寺で有名な芝山
  薬箱持たず品川まで行き
  民間の方だと実際にそう見えますと駕籠かき
  脈を見ておくんなまし、と化けの皮がとれて

さす 挿す。刀剣などを帯の間に入れる。
無腰 むごし。腰に刀を差していないこと。丸腰。
 など。等。他にも類例のある中から取り立てて指示すること。
納所 なっしょ。古代・中世、年貢などを納入した場所。そこに勤務した役人。年貢などを納めること。禅寺で、施物の金品・米穀などの出納事務を執る所。その役の僧。
脇差 わきざし。 武士が腰に差す大小2刀のうち小刀。
高輪 たかなわ。東京都港区南東部の地名。江戸時代初期、牛持の労働者を京都から呼びよせ、多くの牛車で重量物を運搬させた。その後、牛車運搬の独占権を得て定住したため、一帯は「車町」(現・高輪)、通称「牛町」と呼ばれた。
俳名 はいみょう。俳人としての名前。俳号。
品川 東京都品川区北東部の地名。江戸時代は東海道五十三次の第一の宿駅。品川宿は歩行かち新宿・北品川宿・南品川宿に分かれ、本陣は歩行新宿の北本宿に置かれた。薩摩藩士、僧の出入りで名高い遊里としてもにぎわった。
芝山 芝山の増上寺の坊主が多かった。旧芝区芝公園で、広大な寺有地に堂宇は120以上、学僧は3000人以上もいたという。
俗方 世間一般。民間。「武士方」に対する言葉
実見 じっけん。その場に居合わせて、実際にそのものを見ること。
四ツ手 四つ手駕籠かご。4本の竹を四隅の柱とし、割り竹で簡単に編んで垂れをつけた駕籠。江戸時代、庶民用の簡素なものだった。駕籠かきは駕籠をかつぐ職業の者
化がわれ ばけあらわれる。正体が現われる。包み隠した素性が現われる。
斯く かく。このように。こう。
女犯 にょぼん。戒律により女性との性行為を絶たねばならない仏教の出家者が、戒律を破り女性と性的関係を持つこと
日本橋の刑場 小伝馬町牢屋敷は中央区日本橋小伝馬町3~5番を占め、境内には処刑場があったという。
晒す 江戸日本橋などの場所で衆人に晒し、傍に罪状を記した捨札すてふだを立てた。さらしの後にはりつけ(主殺・親殺などの場合)やにん手下てか(心中の場合)の刑に処せられた。
寺法 じほう。幕府が寺院取締りのために特に制定した寺社を対象とする制法。
カゲマ 陰間。江戸で用いたしょうの通称
黙許 もっきょ。知らないふりをしてそのまま許すこと。黙認。
芳町 よしちょう。中央区日本橋人形町の旧町名。かつて「元吉原」と呼ばれる遊廓で栄えた。が、江戸市域の拡大により遊郭は移転。代わりにかげ茶屋という、10代から20代初頭の少年が接客する店と歌舞伎の芝居小屋が生まれた。さらに天保の改革(1841年から1843年)で江戸市中の岡場所(非公認の花街、遊廓)が取り潰され、深川花柳界から逃れてきた芸妓が移り住み、芳町は芸妓の花街となった。