前は大東京案内(4/7)です。
あまり広くないこの界限で、娯楽機関は五つ六つある。昔、神市場といった現在の神樂坂演藝館、牛込亭などは色もの席。手踊りや浪花節席の柳水亭は今の勝岡。牛込會館は最も立派な建物だが、震災直後には水谷八重子、汐見洋などが新劇を演じた思ひ出を持ってゐる。 映畫常設館の文明館は三流どころの活動小屋らしい。そこへ行くと、旧藁店の牛込館は、所謂山の手系統の流れを汲む説明者と、呼びもののレヴユーを以つて、一脉新鮮な現代風を醸し出すところ。その客筋も新しい。 |
神楽坂演芸館 坂下から神楽坂3丁目のお香と和雑貨の店「椿屋」の直前を左に曲がると、左手に広々とした駐車場があります。この駐車場は「神楽坂演芸場」があったことろです。さらに解説は
牛込会館 神楽坂の2丁目から3丁目に入ってすぐ右側で、現在は「サークルK」です。水谷八重子氏の『芸 ゆめ いのち』(1956年)では
(関東大震災が終わると、一か月後の)十月十七日から一週間の公演の日取りをきめました。牛込会館は寄席をひとまわり大きくした程度の小屋で、舞台は間口が三間半、奥行も二間くらいのものでしたが、何しろ震災後、はじめての芝居でしたので、千葉や横浜あたりからもかけつけられたお客さんがあって、大へんな盛況でした。 出し物は『大尉の娘』、『吃又の死』のほかに、瀬戸英一さんの『夕顔の巻』がでました」 |
色もの 寄席で、講談・義太夫・落語に対して、彩りとして演じられる漫才・曲芸・奇術・声色・音曲などのこと。
手踊り 寄席などで、端唄や俗曲・流行歌につれておどる踊り
浪花節 江戸末期、大坂で成立。三味線の伴奏で独演し、題材は軍談・講釈・物語など、義理人情をテーマとしたもの。浪曲。
新劇 歌舞伎・新派劇などの旧劇に対抗して明治末期以降の新興演劇
文明館 文明館の地図は上の鶴扇亭と同じ地図に出ています。詳しくはここで。
藁店 藁店は神楽坂5丁目と袋町とを結ぶ坂道です。
『ここは牛込、神楽坂』の「藁店、地蔵坂界隈いま、むかし」の座談会を引用すると
小林さん (小林石工店)で、当時うちの前で、車を引く馬や牛にやる藁を一桶いくらかで売っていたので、あの坂を藁店と呼ぷようになったと聞いています。
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文政十年(1827)の『牛込町方書上』によれば
里俗藁店と申候、前々ゟ藁売買人居候故、藁店与唱申候 |
と出てきます。明治維新より40年の昔から「藁店」という言い方は使っていました。なお、ゟは平仮名「よ」と平仮名「り」を組み合わせた合字平仮名(合略仮名)で、発音は「より」です。
夏目漱石氏の『吾輩は猫である』で
この子供の言葉ちがいをやる事は夥しいもので、(中略)或る時などは「わたしゃ藁店の子じゃないわ」と云うから、よくよく聞き糺して見ると裏店と藁店を混同していたりする。 |
裏店とは裏通りにある家で、商家の裏側や路地などにある粗末な家をいいました。
レビュー revue。フランス語です。音楽やコント踊り等で構成。時事風刺の効いた舞台娯楽ショー。19世紀末から20世紀にかけて各国で流行。
一脉 一脈。ひとつづき。一連のつながりがあること。わずかに
客筋 きゃくすじ。その店に来る客の傾向・種類。客種
最後に神楽坂で旧映画館、寄席などの地図です。どれも今は全くありません。クリックするとこの場所で他の映画館や寄席に行きます。
最後に神楽坂で旧映画館、寄席などの地図です。ギンレイホールを除いて、今は全くありません。クリックするとその場所に飛んでいきます。