さて其夜こゝへ來るのにも通つたが、矢來の郵便局の前で、ひとりで吹き出した覺えがある。最も當時は青くなつて怯えたので、おびえたのが、尚ほ可笑い。まだ横寺町の玄關に居た時である。「この電報を打つて來た。巖谷の許だ、局待にして、返辭を持つて歸るんだよ。急ぐんだよ。」で、局で、局待と言ふと、局員が字數を算へて、局待には二字分の符號がいる。此のまゝだと、もう一音信の料金を、と言ふのであつた。たしか、市内は一音信金五錢で、局待の分ともで、私は十錢より預つて出なかつた。そこで先生の草がきを見ると「ヰルナラタヅネル」一字のことだ。私は考一考して而して辭句を改めた。「ヰルナラサガス」此れなら、局待の二字分がきちんと入る、うまいでせう。――巖谷氏の住所は其の頃麹町元園町であつた。が麹町にも、高輪にも、千住にも、待つこと多時にして、以上返電がこない。今時とは時代が違ふ。山の手の局閑にして、赤城の下で鷄が鳴くのをぽかんと聞いて、うつとりとしてゐると、なゝめ下りの坂の下、あまざけやの町の角へ、何と、先生の姿が猛然としてあらはれたらうではないか。 |
[現代語訳] さてその夜、ここに来るために通った場所である牛込郵便局の前で、ひとりで吹き出した記憶がある。もっとも当時は青くなって怯えていたのだが。おびえた仕草もまたおかしい。まだ横寺町の尾崎紅葉先生の玄関番としてそこにいた時である。「この電報をうってきな。巌谷小波氏のところだ。局待ちにして、返事は持って帰るんだよ。」で、局待ちというと、局員が字数を数えて、局待ちになると2字分の字数がさらに必要であり、このままだともう1通分の料金がいるというのだった。たしか市内は電報は5銭、局待ちをすると、10銭になる。これ以上の費用はもらっていない。そこで先生の下書きを見ると、「イルナラタズネル」と書いてある。1字分のことだ。私はもう一度、考えて、字句を改めた。「イルナラサガズ」。これなら局待ちの2字分もきちんと入る。うまいね。――巌谷氏の住所はその当時は麹町元園町だった。しかし、麹町でも、高輪でも、千住でも、待つ時間は多大だが、しかし、返電は来ない。今とでは時代が違う。山の手の郵便局は閑散として、赤城の下でニワトリが鳴くのをぽかんと聞いて、うっとりとしていると、斜め下の坂で、甘酒屋の町の角へ、なんと、先生の姿が猛然として現れたではないか。 ただ見て飛び出すのと、ほとんど同時に「馬鹿野郎。何をやってる。全然言ったことがわからないから、巌谷は人力車で駆けつけて、もう家の中に来ているんだ。ぼんやり屋め。みんなが人力車にひかれないか、馬に蹴飛ばさないかと、心配していたんだ。」私は青くなった――(居るなら訪ねる)を――(要るなら捜す)に替えたのである――巖谷氏が訳がわからないのは無理はない。紅葉先生の字句を修正した人は、おそらく文壇では私一人だったろう。その代わり、目の出るほどに叱られた。――なに、5銭ぐらい、自分の小遣いがあるはずだと、冗談は言っちゃいけない。それだけあれば、もっと早く、煙草と焼き芋と大福餅を買っていた。煙草は約19グラムで1銭5厘、焼き芋が1銭で大で6切れ、大福餅は一枚5厘だった。――では原稿料は? ……とんでもない。私はまだ一枚も稼ぎはない。先生の原稿料は――内々に知っているが、内緒にしておく…… |
矢来の郵便局。旧牛込郵便局は左図の下方で→
横寺町。上図で。
玄関。泉鏡花氏は尾崎紅葉氏の玄関番でした。
局待。郵便物の配達先を郵便局気付けにしておくこと。
符号。ある事を表すために、一定の体系に基づいて作られたしるし。コード。
音信。おんしん。便り。おとずれ。
麹町元園町。元園町は右側のここ→。
高輪。ここで←
千住。ここで←
赤城。赤城神社はこの上で。↑
猛然。勢いが激しい様子。
うっそり。ぼんやりしている様子。
五匁。ごもんめ。一匁は3.75グラム。五匁は18.75グラム
まるで。まるきり。全然
まだ可笑しい事がある、ずツと後で……此の番町の湯へ行くと、かへりがけに、錢湯の亭主が「先生々々」丁ど午ごろだから他に一人も居なかつた。「一寸お教へを願ひたいのでございますが。」先生で、お教へを、で、私はぎよつとした。亭主極めて慇懃に「えゝ(おかゆ)とは何う書きますでせうか。」「あゝ、其れはね、弓、弓やつて、眞中へ米と書くんです。弱しと間違つては不可いのです。」何と、先生の得意想ふべし。實は、弱を、米の兩方へ配つた粥を書いて、以前、紅葉先生に叱られたものがある。「手前勝手に字を拵へやがつて――先人に對して失禮だ。」その叱られたのは私かも知れない。が、其の時の覺えがあるから、あたりを拂つて悠然として教へた。――今はもう代は替つた――亭主は感心もしないかはりに、病身らしい、お粥を食べたさうな顏をして居た。女房が評判の別嬪で。――此のくらゐの間違ひのない事を、人に教へた事はないと思つた。思つたなりで年を經た。實際年を經た。つい近い頃である。三馬の浮世風呂を讀むうちに、だしぬけに目白の方から、釣鐘が鳴つて來たやうに氣がついた。湯屋の聞いたのは(岡湯)なのである。 |
[現代語訳] まだおかしいことがある。ずっと後で……この番町の銭湯に行くと、帰りがけに、銭湯の亭主が「先生、先生」という。ちょうど正午頃で、他の人はいなかった。「ちょっと教えをお願いしたいのですが]。先生で、お教えを、で、私はぎょっとした。亭主は極めて慇懃に「ええ、(おかゆ)とはどう書きますのでしょうか。」「ああ、それはね、弓、弓と書いて、真ん中に米を書くのです。弱いと間違ってはいけません。」なにせ先生の得意顔を思ってほしい。実は弱を米の両方に配った粥を書いて、以前、紅葉先生に叱られた人がある。「手前勝手に字を作りやがって――先人に対して失敬だ。」その叱られた人は私かもしれない。が、その時の記憶があるから、あたりの人がいないと確かめ、悠然と教えた。――今ではもう亭主は次の代に替わった――亭主は感心しない代わりに、病身らしく、おかゆを食べそうな顔をしていた。女房は評判の別嬪で――このくらい間違いのないことを、人に教えたことはないと思った。思ったなりに年を取った。実際、年月を経た。つい近頃である。式亭三馬の浮世風呂を読んでいると、だしぬけに目白の方から、釣り鐘が鳴ったようだが、これで気がついた。銭湯で聞いたのは(岡湯)、つまり、入浴後に身体を清める湯のことだったのだ。 |
慇懃。真心がこもっていて、礼儀正しいこと
払う。取り除く。不用なもの、害をなすものなどを除く。
悠然。ゆうぜん。落ち着いてゆったりとしている
浮世風呂。式亭三馬作。1809~13年刊。江戸町人の社交場であった銭湯を舞台に、客の会話を通じて世相・風俗を描いたもの。写実性に富み、滑稽味豊かな作品。
目白。東京都豊島区南部、山手線目白駅周辺の地区。
おかゆ。陸湯。あがりゆ。上がり湯。かかりゆ。入浴後、身体を清めるのに使う湯。