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まちの手帖 第12号 昭和35年 地図

文学と神楽坂

 平松南氏の「神楽坂まちの手帖」第12号(展望社、2006年)の「神楽坂三十年代地図」です。この本は平綴じのため、これ以上頁を開くことはできませんでした。まあ、これで十分読めます。

神楽坂 まちの手帖 第12号 昭和30年代とその周辺 平成18年 2006年4~6月

 本文の左下に「昭和35年度 神楽坂周辺詳細図より」と書いてあります。残念ながら、この「詳細図」は「国立国会図書館」でも「新宿区立図書館」でもありませんでした。
 2つに分けると、解像度が上がり、もう少しきれいな図になります。

 

神楽坂3丁目(写真)菱屋 昭和28年 ID 99

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 99は、神楽坂3丁目付近で、神楽坂の中途から坂上に向いています。街灯は鈴蘭の花をかたどった鈴蘭灯があり、車道にはほぼ平坦で、将来できるOリングはまだありません。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 99 神楽坂中程か

 これはID 46ほぼ・・同じです。最大の違いはID 99の左隅1~2mが増えたことです。またトーンカーブのため、見えなかったことが見えるようになったことも違っています。さらに昭和28年(1953年)に撮影したと新宿歴史博物館が正確に示した点です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 46 神楽坂3丁目付近。

都市製図社『火災保険特殊地図』昭和27年

神楽坂3丁目(昭和28年)
  1. 電柱看板「飯田橋 犬猫の診療所」
  2. フランス料理喫茶 花菱。地図の「金井敏雄」
  3. 看板「土地と家屋」。地図の「土地S」
  1. 電柱看板「おなじみの龍公亭
  2. 万平のみや。吊り看板「鮨」
  3. 菱屋糸店。看板の「菱屋糸本店」。のぼり旗の「(スキ)ー毛糸」
  4. 〇富。丸富呉服。〇〇〇〇店
  5. 神楽坂の魚屋「青久」。写真の看板に「仕出し」と書いてあります。周辺の割烹、料亭がお得意様だったのでしょう。
  6. 「あんぱん」の「木村屋」。地図の「木村泰造」。銀座・木村屋の支店で、立派な店構え。テントの文字は、おそらく「木村屋(小さく)神楽坂店」では。その上には木の字をベースにしたキムラヤの商標とローマ字が書かれているようです。この店舗の創業は明治39年、閉店は平成17年(「神楽坂まちの手帖」第8号、平成17年)
  7. 不明。寿司「二葉」は一歩奥に入った場所でした。
  8. 「青日書院」

神楽坂2丁目(写真)昭和33年頃 メトロ ID 58

文学と神楽坂

http://towa33.com/?eid=8195

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 58は、神楽坂2丁目を撮ったものです。撮影の方向は、坂下から坂上で、歩道は綺麗で平坦で、街灯は昭和36~7年まで続いた鈴蘭灯でした。全員コートを着ています。
 メトロ映画のメーン作品は「修羅しゅら八荒はっこう」で、市川右太衛門と大川橋蔵が主演の娯楽時代劇。公開は昭和33年11月11日。「神州天馬侠 完結篇」は昭和33年9月23日。「裸の太陽」は昭和33年10月1日。どれも昭和33年の映画です。この写真を撮ったのはおそらく昭和33年11月に寒くなって撮ったのでしょう。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 58 コーヒーリオン前

神楽坂三十年代地図」(『神楽坂まちの手帖』第12号、2006年)を参照
神楽坂2丁目(昭和33年10月)
  1. メトロ映画。「修羅八荒」「神州天馬侠 完結篇」「裸の太陽」。昭和33年に公開
  2. 「珈琲 リオン」「トリスバー 沙羅」「COFFEE RION」
  3. 小さな通りがあり、3種の看板。草書体の「志乃多」、「ピク 」「麻(雀) ルビー」
  4. 草書体で「志乃多寿し

神楽坂2丁目(写真)昭和33年 ID 57

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 57は、神楽坂2丁目を撮ったものです。撮影の方向は、坂下から坂上で、街灯は昭和36~7年まで続いた鈴蘭灯でした。
 シャツの人がいますが、半袖の人はいません。つまり夏ではありません。歩道はきれいで平坦です。
 左に建築中のビルは大島ビルで、この築年月は昭和34年(1959年)5月、総階数は4階です。建築後は大島糸店になりました。この撮影日は、佳作座の広告「野ばら」があるので、昭和33年秋や冬でしょう。
 一方、新宿歴史博物館の調べではこの写真は「昭和37年頃」に撮ったといいます。
 横断幕の「本日特売日」があります。
 また、車道のOリングはないのですが、アスファルト舗装では車の馬力が不十分で、石敷でした。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 57 神楽坂入口付近から坂上方向

神楽坂三十年代地図」(『神楽坂まちの手帖』第12号、2006年)を参照
神楽坂2丁目(昭和33年)
  1. 建築中。「タイヤモンド毛糸 大島糸店」になる
  2. 電柱看板。「 倉庫完備 大久保」「石川歯科
  3. (マルヨシ美術店)
  4. 夏目写真(館)
  5. 「+クスリ」。精神安定剤「ハーモニン 神楽坂薬局」
  6. 洋装生地 林屋
  7. (十奈美)
  1. パチンコマリー。Pachinco Mary。右端に佳作座の広告「野ばら」(日本公開は昭和33年8月23日)も。
  2. 壁面看板「ジュ 靴」「ヤマヤタ ⇒」
  3. 看板「洋食 喫茶京屋⇒」(奥にあった)
  4. 「靴はニューイトウ」
  5. 通りに接し「イトウふと(ん)」。「コーヒー 坂」ではない
  6. (陶磁器 陶柿園
  7. 「旅館 かぐら苑」の半分だけが見える
  8. クラウン(喫茶)
  9. ルナ美容室
  10. ポーラ化粧品
  11. 亀井鮨
  12. ひときわ高い看板「資生堂化粧」(さわや
  13. 遠くに看板「テレビ 竹谷電気」。
  14. さらに「万平のみや」の特徴的な吊り看板

神楽坂3丁目(写真)昭和30年頃 ID 46

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 46を見ましょう。撮影は神楽坂3丁目付近で、神楽坂の中途から坂上に向いています。街灯は鈴蘭の花をかたどった鈴蘭灯があり、車道には平坦で、Οリングはまだありません。なお、ID 99のほうがこれよりも情報が多く、必ずID 99を見ておいて下さい。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 46 神楽坂3丁目付近。

 新宿歴史博物館「新宿区の民俗」(5)(平成13年)p.57では「昭和30年前後の神楽坂3丁目付近」と書かれています。
 また神楽坂三十年代地図の昭和35年頃では、丸富呉服は東京電力に、神楽魚は食品ストアに変わっています。同様な変化は住宅地図(人文社、昭和35年)でも見られます。つまり、ID 46は昭和35年以前だといいます。
 一方、昭和27年(都市製図社「火災保険特殊地図」)と比べると、同時代になるといいます。

火災保険特殊地図 都市製図社 昭和27年

神楽坂三十年代地図」(『神楽坂まちの手帖』第12号、2006年)を参照
神楽坂3丁目(坂下→坂上)
  1. 万平のみや。「鮨」が見られる。
  2. 菱屋糸店。看板の「菱屋総本店」。のぼり旗の「 ー毛糸」
  3. 丸富呉服。
  4. 神楽坂の魚屋「青 」。写真の看板に「仕出し」と書いてあります。周辺の割烹、料亭がお得意様だったのでしょう。
  5. 木村泰造。「あんぱん」の「木村屋」。銀座・木村屋の支店で、立派な店構え。テントの上の文字は、おそらく「木村屋(小さく)神楽坂店」です。その上には木の字をベースにしたキムラヤの商標とローマ字が書かれているようです。この店舗の創業は明治39年、閉店は平成17年(「神楽坂まちの手帖」第8号、平成17年)
  6. 不明。寿司「二葉」は一歩奥に入った場所でした。
  7. 「青日書院」

 かぐらむらの「記憶の中の神楽坂」では

万平(すき焼き)
 ちょっと陰気な柳が目印だった「万平」。名物のおばあちゃんは、四角いカウンターの中で、若かった文学青年たちを相手に、男女の粋な話をいろいろとしてくれた。確か早稲田の坪内逍遥先生の最後の講義を、着物をぱりっと着て、講堂の最前列で聞いたと自慢していた。20代で学生でもなかったけどね、粋だったね。元気で楽しいおばあちゃんだった。ビルになった時は、早稲田通り側に、檜の風呂を作ったのは有名な話だけど…。

キムラヤ(パン・菓子)
 明治時代からつづく老舗中の老舗。銀座本店と縁戚関係にあって、名物の酒種あんパンをはじめ、クリームパン、マロン、チーズクリームなどとてもおいしかった。お店のおばさんや若夫婦もとても品があって気持ちがよかった。新作メニューのナッツの入ったのや煮タマゴの入ったのも好きでした。残念の一語です。