文学と神楽坂
新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」で ID 6-7, 12903-05を見ていきましょう。ともに今は雨は降り、撮影の方向は神楽坂の中途から坂下に向いています。街灯は鈴蘭灯とは違い、円盤形の大型1個だけで、これは昭和36(1961)年以降にあたります。円盤形の下には標識「神楽坂」もあります。車道では横断歩道を越えて、菱屋の前まで、Oリングのくぼみがあり、歩道は色つき歩道 で、滑り止めのついた四角いブロックで舗装しています。
新宿歴史博物館 ID 6
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12905 神楽坂
新宿歴史博物館 ID 7
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12903 神楽坂
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12904 神楽坂
神楽坂3丁目(昭和42年)坂下→坂上
亀井鮨
(資)生堂化粧品 さわや
神楽坂仲通りに入る。これから3丁目に。数軒はいり…
歩道に電気製品?(竹谷電気)
横断歩道。
柳の木が見える(万平 )
ブリヂストン エバーソフト(菱屋 )。エバーソフトは商標名で、ゴムや合成樹脂を加工し、柔らかく弾力性のあるようにしたもの。マットレス、クッション、座布団などに使う。
✚クスリ(神楽坂薬局)
(洋装生地)林屋
電柱看板「質 大久保 」
(ID 9によれば)プラ(チナ万年筆)(大川時計店)
牛豚鶏 増田屋
(太陽堂 )
神楽坂仲坂に。これから3丁目に
パンビタン 山本薬店。看板「抗生物質製剤 クロロマイセチン」
ヒデ美容室
工事中
電柱看板「 東京電力サービス(ステーション)」
廣東料理 龍公亭
右手の工事中については、1967年(昭和42年)までは「きらく会館」で、70年(昭和45年)になると「コーヒー5番」になります。また「ブリヂストン エバーソフト」は「菱屋」です。 また、菱屋の写真がわずかに出ていますが、これは古い店舗です。新しいビルにかわるのは昭和42年以降でした。
昭和38年/42年 vs 45年
一方、昭和42年2月8日の田口重久氏の写真があり「2月8日までに『Club 軽い心』の向こうで、菱屋のビルが完成しています。つまり新しいビルに変わるのは昭和42年(または前年末)でした」と地元の人。
田口重久氏「歩いて見ました東京の街」05-14-37-1 牛込見附から神楽坂下を 1967-02-08(昭和42年)
これから地元の人はこう考えます。
右手の龍公亭とヒデ美容室の間に空地があります。ID 4794 (昭和27年)は、ここに建物が建築中(または改装中)でした。かなり見づらいですが、ID 9504-9505 (昭和28年以降)では、少し奥まった店らしきものが見えます。ID 4943 (昭和32年)でも右端のヒデ美容室の隣に店があることが確認できます。 しかし、この店はその後、短期間で取り壊されたと見られます。1962年-63年(昭和37-38年)の住宅地図では下図のように空地になっています。隣家の壁面が煤けているので火事だったかも知れません。ID 14-15 (昭和37年以降)でも、このID 6-7などと同様に空地です。 空地は1964年(昭和39年)の地図以降は「きらく会館」、1970年(昭和45年)になると「コーヒー5番」になります。 これらを総合すると、撮影時期は「きらく会館」が建つ前の1963年(昭和38年)ごろと思われます。
1962年 龍公亭付近
2丁目
3丁目