夜の神樂阪 西村醉夢
田舎小説家が筆を取つて、地を東京に借りる時に、何時も擔ぎ出されるのは神樂阪だ。か程に有名な神樂阪は、全體何丈の範圍と、何う云う組織と、何な狀況とを有つて居るだらう乎。これは研究す可き價値が有ると思はれる。で、前後三囘觀察に出懸けて、辛うじて、探り得た所と、平生目にも見耳にも聞いた所とを混ぜて、此處に『夜の神樂阪』を綴る事にしたのだ。何故時到を夜にしたかと云ふに、神樂阪の神樂阪たる所以は、全く夜に在つて、晝間は唯徃来繁き普通の市街たるに止まればである。 |
落寞 一人だけで寂しい。寂れてひっそりとする。落漠。落莫。
自動電話 上の地図で右の赤丸。
牛込郵便電信局 上の地図で左の赤丸。
必要な説明は一切ありません。明治35年だともう現代文なのです。
▲觀察の事柄 は何うである乎と云ふに、詳しく爲ればする程材料があつて、多方面に渡るから、到底も一朝一夕に目的を果たすことが出來ない。で、唯その市街の狀況と、家々の職業、通行人、行はるゝ事情などを調べる事にした。けれども是れすら却々多方面であるから、詳しい觀察も出來なかった。而して其の内面に秘んでゐる隱微な事柄は、容易に探り得可きものは無い、努めてそれを觀察しやうとは思つたものゝ、何も表面許りになつて、例の『皮相の觀』に終つたのは殘念だ。 |
様々な商店の説明が中に入り、いよいよ花柳界です。
▲神樂阪の達磨 と云へば『それしや』の間には有名なもので、而も正眞正銘な粹者には極力排斥さられて居る。扨その怪しかる振舞が何處で何う云ふ工合に演ぜられるか、餘り立入つて研究すべきでもないから、爰處では詳しく述べないけれども、さる牛肉屋の樓上、或るハイカラ的の業務を營んてゐる家では、秘かに怪しい事が行はれてゐるとの事、蕎麥屋と雖ども決して油斷が出來ないとは、呆れても餘り有る事だ。尤とも是れは例のしやを別にして云つたもので、此の方は格段の觀察を要する。 |
達磨 売春婦。商売女。寝ては起き寝ては起きするところから。ここでは芸者ではないので、私設の商売女をさすのでしょう。
それしゃ その道に通じている人。専門家。くろうと。芸者。遊女。商売女。くろうとたる芸者なのでしょう。
粹者 花柳界の事情に通じた人。粋人。通人
楼上 高い建物の上。楼閣の上
餘り有る あまりある。十分である。十分に余裕がある。ここでは「呆れてもその通り」
しゃ それしゃのこと
なんとなくわかります。「転び芸者」「転び」という言葉もあって、芸ではなくて、体を売ること。名句を1つ。「転びすぎましたと女 医者に言い」。場所は牛肉屋や蕎麦屋などもはいっていたのですね。
▲神樂芸者 は神樂阪の名産の一つである、が其の數は時に依つて違ふけれど七十人乃至九十人位だ。 ▲藝者の藝 は何だがと云ふに、二上り 三下り位が解れば三味線はそれで可く、踊も雨しよほ、かつぽれ位やれゝば、座敷へ出て濟して居るとが出來るのだ、其の新柳二橋などに及びもないのは、土地柄何樣も詮方の無い事だらう。 |
二上り 三味線の調弦名。一の糸と二の糸が完全5度,二と三の糸が完全4度の調弦
三下り 三味線の調弦名。本調子の第3弦を長2度下げたもの
雨しょほ 小雨が降り続くようす。しとしと。まばらに降る。
かっぽれ 俗謡、俗曲にあわせておどる滑稽な踊り
新柳二橋 しんりゅうにきょう。新橋(中央区銀座、明治維新後)と柳橋(台東区南東部、江戸末期から存在)、この2つが人気の花街となりました。新橋が明治政府の高官たちに、柳橋は生粋の江戸っ子、問屋街の大旦那たちに贔屓にされました。
三味線や踊りができなくても神楽坂は一流どころじゃない。仕方はないねと考えているようです。
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