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毘沙門横丁(写真)昭和54年 ID 11832, 11833

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11832とID 11833は、昭和54年1月、毘沙門横丁を撮ったものです。 この2枚とID 76ID 78ID 83は同一の撮影でしょう。季節は冬で、ID 72、73ID 74。75、77もおそらく同じ時期です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11832 神楽坂5-37 善国寺の横の道

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11833 神楽坂5-37 善国寺の横の道

 ここは以前から毘沙門横丁といっていました。道路はアスファルト舗装で、両側に下水溝(側溝)と縁石があり、車道と歩道の区別はなく、街灯はID 9779と同じ水銀灯に見えます。また、電柱の上には柱上変圧器があります。

神楽坂4~5丁目(昭和54年1月)
  1. 三菱銀行の側面と夜間通用口
  2. 菊正宗 すき焼 割烹 牛もん
  3. 寿し処 寿し作
  4. 一條
  5. 黒い塀(松ヶ枝駐車場)
  1. 石焼いも
  2. (消火栓)
  3. 毘沙門天のコンクリートフェンスと石材数枚
  4. 電柱看板「宮城道雄記念館」「十字路右折」「神楽坂5-37」
  5. 取り外した看板「所」「会」。おそらくID 8299のような「福引所/神楽坂通り商店会」が、歳末の売り出し時に毘沙門天境内に設けられていたのでしょう。
  6. 藤間高寿
  7. 看板「藤間高寿/小勝 /はやま
  8. 電柱看板「あまなっと 五十鈴」「麻雀クラブ 三功」
  9. 料亭「松ヶ枝

毘沙門横丁(写真)昭和54年 ID 74~78, 83

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 74、ID 75、ID 76、ID 77、ID 78、ID 83は、毘沙門横丁とその界隈を撮ったものです。ただし、ID 76は別の場所に出ています。ID 75では注連しめ飾りがあり、ID 83ではコートを着ています。おそらくID 74と同じ1979年1月5日に撮影したのでしょう。ID 78と83の街灯はおそらく水銀灯で、下水溝は現在と同じです。

 料亭「一條」には正月のお飾りが何もありません。これはID 11840と類似しています。ただし、ID 78と83では遠くに一條が見えています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 74 料亭「一條」前 1974/1/5

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11840 神楽坂料亭 一條

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 75 袋町37、藤間高寿ドア前

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11838 神楽坂 藤間高寿

 袋町37ではなく、神楽坂5丁目37です。藤間ふじま高寿たかじゅ氏の本名は高村光子で、藤間藤子に師事し、日本舞踊家に。生年は大正8(1919)年11月11日、没年は昭和59(1984)年4月29日、享年は満64歳。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11835 神楽坂 善国寺裏小路

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 77 裏道、麻雀山彦前

 裏道は、下の地図で「毘沙門横丁」の「横」と「丁」との間に右に曲がる道です。路地の名前はありません。やや遠く見えるのは料理の「ゆかり」、右手は麻雀「山彦」とその手前でクーラーがあるのは すき焼「牛もん」、左手のスチールフェンスは三菱銀行。路地は石畳です。

1980年 住宅地図。「大山」は以前の「麻雀 山彦」

 この裏道は以前から毘沙門横丁といっていました。最初の看板は「すき焼 割烹 牛もん」。毘沙門天のコンクリートフェンスがあり、取り外した看板「所」「会」があります。おそらくID 8299のような「福引所/神楽坂通り商店会」が、歳末の売り出し時に毘沙門天境内に設けられていたのでしょう。さらに電柱看板「宮城道雄記念館」、何も書いていない家は藤間高寿邸、看板の「藤間高寿→ 小勝→ はやま→」、電柱看板の「あまなっと 五十鈴」と「麻雀クラブ 三功」、さらに奥の家は料亭「松ヶ枝」。左側に行き「寿し処 寿し作」で、離れて「一條」があり、松ヶ枝駐車場は最後の黒い塀です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 78 裏道、牛もん前

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11833 神楽坂5-37 善国寺の横の道

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11836 神楽坂5-37善国寺の横の道

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 83 袋町37、藤間高寿邸前