文学と神楽坂
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 74、ID 75、ID 76、ID 77、ID 78、ID 83は、毘沙門横丁とその界隈を撮ったものです。ただし、ID 76は別の場所に出ています。ID 75では注連飾りがあり、ID 83ではコートを着ています。おそらくID 74と同じ1979年1月5日に撮影したのでしょう。ID 78と83の街灯はおそらく水銀灯で、下水溝は現在と同じです。
料亭「一條」には正月のお飾りが何もありません。これはID 11840と類似しています。ただし、ID 78と83では遠くに一條が見えています。
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 74 料亭「一條」前 1974/1/5
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11840 神楽坂料亭 一條
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新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 75 袋町37、藤間高寿ドア前
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11838 神楽坂 藤間高寿
袋町37ではなく、神楽坂5丁目37です。藤間高寿氏の本名は高村光子で、藤間藤子に師事し、日本舞踊家に。生年は大正8(1919)年11月11日、没年は昭和59(1984)年4月29日、享年は満64歳。 |
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11835 神楽坂 善国寺裏小路
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 77 裏道、麻雀山彦前
裏道は、下の地図で「毘沙門横丁」の「横」と「丁」との間に右に曲がる道です。路地の名前はありません。やや遠く見えるのは料理の「ゆかり」、右手は麻雀「山彦」とその手前でクーラーがあるのは すき焼「牛もん」、左手のスチールフェンスは三菱銀行。路地は石畳です。 |
1980年 住宅地図。「大山」は以前の「麻雀 山彦」
この裏道は以前から毘沙門横丁といっていました。最初の看板は「すき焼 割烹 牛もん」。毘沙門天のコンクリートフェンスがあり、取り外した看板「所」「会」があります。おそらくID 8299のような「福引所/神楽坂通り商店会」が、歳末の売り出し時に毘沙門天境内に設けられていたのでしょう。さらに電柱看板「宮城道雄記念館」、何も書いていない家は藤間高寿邸、看板の「藤間高寿→ 小勝→ はやま→」、電柱看板の「あまなっと 五十鈴」と「麻雀クラブ 三功」、さらに奥の家は料亭「松ヶ枝」。左側に行き「寿し処 寿し作」で、離れて「一條」があり、松ヶ枝駐車場は最後の黒い塀です。
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 78 裏道、牛もん前
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11833 神楽坂5-37 善国寺の横の道
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11836 神楽坂5-37善国寺の横の道
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 83 袋町37、藤間高寿邸前
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