『吾輩は猫である』
10 元禄で思い出したからついでに喋舌ってしまうが、この子供の言葉ちがいをやる事は夥しいもので、折々人を馬鹿にしたような間違を云ってる。火事で茸が飛んで来たり、御茶の味噌の女学校へ行ったり、恵比寿、台所と並べたり、或る時などは「わたしゃ藁店の子じゃないわ」と云うから、よくよく聞き糺して見ると裏店と藁店を混同していたりする。主人はこんな間違を聞くたびに笑っているが、自分が学校へ出て英語を教える時などは、これよりも滑稽な誤謬を真面目になって、生徒に聞かせるのだろう。 |
茸 正しくは「火の粉」。燃え上がる火から粉のように飛び散る火片のこと
御茶の味噌の女学校 正しくは「お茶の水の女学校」。本郷区湯島三丁目(現、文京区湯島一丁目)の女子高等師範学校附属高等女学校。戦後はお茶の水女子大学の母体。
台所 正しくは「恵比寿、大黒」。恵比寿と大黒は財福の神で、民家で並べてまつることが多かった。
藁店 わらだな。藁を売る店。店を「たな」と呼ぶ場合は「見せ棚」の略で、商品を陳列しておく場所や商店のこと。現在は固有名詞として使う場合も多く、新宿区袋町では「地蔵坂」の商店を指す。
裏店 裏通りにある家。商家の裏側や路地などにある粗末な家。
『それから』
大抵は伝通院前から電車へ乗つて本郷迄買物に出るんだが、人に聞いて見ると、本郷の方は神楽坂に比べて、何うしても一割か二割物が高いと云ふので、此間から一二度此方の方へ出て来て見た。此前も寄る筈であつたが、つい遅くなつたので急いで帰つた。今日は其積で早く宅を出た。が、御息み中だつたので、又通り迄行つて買物を済まして帰り掛けに寄る事にした。所が天気模様が悪くなつて、藁店を上がり掛けるとぽつ/\降り出した。傘を持つて来なかつたので、濡れまいと思つて、つい急ぎ過ぎたものだから、すぐ身体に障つて、息が苦しくなつて困つた。――「けれども、慣れつこに為てるんだから、驚ろきやしません」と云つて、代助を見て淋しい笑ひ方をした。「心臓の方は、まだ悉皆善くないんですか」と代助は気の毒さうな顔で尋ねた。 |
平岡が来たら、すぐ帰るからつて、少し待たして置いて呉れ」と門野に云ひ置いて表へ出た。強い日が正面から射竦める様な勢で、代助の顔を打つた。代助は歩きながら絶えず眼と眉を動かした。牛込見附を這入つて、飯田町を抜けて、九段坂下へ出て、昨日寄つた古本屋迄来て、昨日不要の本を取りに来て呉れと頼んで置いたが、少し都合があつて見合せる事にしたから、其積で」と断つた。帰りには、暑さが余り酷かつたので、電車で飯田橋へ回つて、それから揚場を筋違に毘沙門前へ出た。 家の前には車が一台下りてゐた。玄関には靴が揃へてあつた。代助は門野の注意を待たないで、平岡の来てゐる事を悟つた。汗を拭いて、着物を洗ひ立ての浴衣に改めて、座敷へ出た。 |
毘沙門 毘沙門天。仏法を守護する天部の神。四天王の一人。
『坊っちゃん』
学問は生来どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平ご免だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起った失策だ。 君釣りに行きませんかと赤シャツがおれに聞いた。赤シャツは気味の悪るいように優しい声を出す男である。まるで男だか女だか分りゃしない。男なら男らしい声を出すもんだ。ことに大学卒業生じゃないか。物理学校でさえおれくらいな声が出るのに、文学士がこれじゃ見っともない。 おれはそうですなあと少し進まない返事をしたら、君釣をした事がありますかと失敬な事を聞く。あんまりないが、子供の時、小梅の釣堀で鮒を三匹釣った事がある。それから神楽坂の毘沙門の縁日で八寸ばかりの鯉を針で引っかけて、しめたと思ったら、ぽちゃりと落としてしまったがこれは今考えても惜しいと云ったら、赤シャツは顋を前の方へ突き出してホホホホと笑った。何もそう気取って笑わなくっても、よさそうな者だ。「それじゃ、まだ釣りの味は分らんですな。お望みならちと伝授しましょう」とすこぶる得意である。だれがご伝授をうけるものか。一体釣や猟をする連中はみんな不人情な人間ばかりだ。不人情でなくって、殺生をして喜ぶ訳がない。魚だって、鳥だって殺されるより生きてる方が楽に極まってる。釣や猟をしなくっちゃ活計がたたないなら格別だが、何不足なく暮している上に、生き物を殺さなくっちゃ寝られないなんて贅沢な話だ。 |
『野分』
百円を懐にして室のなかを二度三度廻る。気分も爽かに胸も涼しい。たちまち思い切ったように帽を取って師走の市に飛び出した。黄昏の神楽坂を上ると、もう五時に近い。気の早い店では、はや瓦斯を点じている。 毘沙門の提灯は年内に張りかえぬつもりか、色が褪めて暗いなかで揺れている。門前の屋台で職人が手拭を半襷にとって、しきりに寿司を握っている。露店の三馬は光るほどに色が寒い。黒足袋を往来へ並べて、頬被りに懐手をしたのがある。あれでも足袋は売れるかしらん。今川焼は一銭に三つで婆さんの自製にかかる。六銭五厘の万年筆は安過ぎると思う。 |
『僕の昔』
落語か。落語はすきで、よく牛込の肴町の和良店へ聞きにでかけたもんだ。僕はどちらかといえば子供の時分には講釈がすきで、東京中の講釈の寄席はたいてい聞きに回った。なにぶん兄らがそろって遊び好きだから、自然と僕も落語や講釈なんぞが好きになってしまったのだ。 |