志満金は昔は島金でした。鰻屋で、創業は明治2年(1869)で牛鍋「開化鍋」の店として始まりました。その後、鰻の店舗に転身しました。場所はここ。
さらに鰻の焼き上がりを待つ間に割烹料理をも味わえるし、店内には茶室もあります。
実は初めは神楽坂通りではなく、小栗横丁(鏡花横丁)にでていた時もあったのです。
新宿区教育委員会の『神楽坂界隈の変遷』「古老の記憶による関東大震災前の形」(昭和45年)では…
泉鏡花の『神樂坂七不思議』にこの話が出ていますが、仕立屋と書いてあるのは「洋服 ハ木下」に間違えて入っていったのでしょう。
島金の辻行燈。
家は小路へ引込んで通りの角に「蒲燒」と書いた行燈ばかりあり。氣の疾い奴がむやみと飛込むと仕立屋なりしぞ不思議なる。
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実際にはこの頃は島金(志満金)は小栗横丁(鏡花横丁)のほうに顔を出していたのです。