遠くの看板(写真)

文学と神楽坂

 地元の方から情報です。

古い写真の街の風景には、撮影者が意図した被写体とは別の思い出が残ることがあります。新宿歴史博物館の「写真で見る新宿」から、そんなものをいくつか拾ってみました。

写真ID:6998(昭和30年代後半)は「東京厚生年金病院前 進む地下鉄工事」のキャプションのように、大久保通り筑土八幡町交差点から飯田橋交差点にかけての下り坂、地下鉄東西線の建設風景です。

6998 東京厚生年金病院前 進む地下鉄工事

開削工法の路面が木材でフタをされ、中央を都電の軌道が走っています。道路の上には都電の架線が張り巡らされていて、かなりうるさく感じます。

年金病院(現・東京新宿メディカルセンター)は建て替え前のもので、上空から見るとY字になった美しい曲線を持つ特徴的なデザインでした。日本武道館なども手がけた著名な建築家の作品だったそうです。Y字マークは病院のシンボルだったようで、薬の袋などに印刷されていた記憶があります。

病院の前を走るタクシーは、日産買収前のプリンス自動車の初代グロリアでしょうか。写真の右の「川島ガラス」「東衣装店」は今も同じ場所で営業中です。

写真の中央、病院の並びに「第一銀行」が見えます。戦後に進出した支店で、その後は「第一勧業銀行」、「みずほ銀行」と合併を繰り返し、神楽坂通りの「三菱UFJ銀行」のライバルとして今もこの場所に店を構えています。

東京厚生年金病院 昔の新宿区津久戸町の総合病院の名前。現在はJCHO(Japan Community Healthcare Organization、ジェイコー)東京新宿メディカルセンターに。

JCHO東京新宿メディカルセンター

開削工法 地表面から掘り下げてトンネルをつくる垂直掘削方式のひとつ
Y字になった美しい曲線を持つ特徴的なデザイン 石田竜次郎・和歌森太郎共書の「県別・写真・観光日本案内 東京都」(修道社、昭和36年)で、東京厚生年金病院が書かれています。

モダンな厚生年金病院  飯田橋の筑土八幡近くにあるこの厚生年金病院は四階建て総ガラス張り、Y字型のみるからに明るいモダンな病院であり、昭和28年に完成した。

東京厚生年金病院

このデザインについては他でもでています。

2014年4月、東京新宿メディカルセンターに変更しました。
著名な建築家 山田守氏の設計。1917年、東京帝国大学建築学科を卒業、逓信省営繕課に入り、電信局・電話局の設計を行う。1945年、逓信省を退官し、1951年、東海大学工学部建設工学科教授。建築物は東京中央電信局、東京厚生年金病院、日本武道館、京都タワーなど。生年は1894年4月19日、没年は1966年6月13日。享年は満72歳。
初代グロリア 昭和34年(1959年)の4ドアセダン。写真と比べて私にはちょっと違う気がする。

川島ガラス 新宿区揚場町2-17。ガラス工事を行う。
東衣裳店 新宿区揚場町2−21。洋服や和服を貸す。

店を構えて 最終的には「みずほ銀行 飯田橋支店」です。上図を参照。

写真ID:68(昭和48年5月22日)は、飯田橋西口前から神楽坂を見た写真です。

68

68 飯田橋駅付近より坂上方向

右側は神楽坂警察の古い建物で、この頃は使われず、飯田濠再開発の取り壊しを待っていたのではないでしょうか。道の左側は神楽坂1丁目の一部で、いくつかの店は商店会にも加盟していました。店のある左側だけ、神楽坂と同じ街灯が設置されているのが分かります。その向こうの双葉社のビルには、大ヒットした上村一夫の『同棲時代』の大きな広告が見えます。

写真中央、パチンコ店の上のヨコ看板「イーグルボウル」は下宮比町にありました。今はマンションになっています。また神楽坂通りのひときわ高い場所に見えているのは三菱銀行の看板です。

もうひとつ、パチンコ店の左上に見える大きな「B」は、大久保通り沿いの岩戸町にある教育出版の文英堂です。今も同じ場所に新しいビルがあります。写真の当時、旧ビルの地下に郵便局がありました。もともと4丁目にあった「神楽坂郵便局」(現在は楽山)が昭和40年頃に移転したのです。諸事便利な神楽坂の商店街ですが郵便は岩戸町まで行く必要があり、ちょっと不便でした。「神楽坂郵便局」が4丁目に新築したオザワビル(旧尾沢薬局)に戻ってきたのは1988年(昭和63年)でした。

文英堂とイーグルボウル

イーグルボウル 下宮比町2-27の一部にありました。

1973年。住宅地図。

写真ID:94(昭和54年1月17日)は牛込見附(神楽坂下)交差点から揚場町の方を写したものです。

94

94 神楽坂入口近く外堀通り

写真左から赤井商店のテント、さくらや靴店、市原燃料店、ヤマザキパン、名画の佳作座とミッシェルズコーヒーショップ、すべて閉店しました。神楽坂飯店は営業中です。

懐かしいのは、正面の街路樹の枝の隙間から「東海銀行」が見えること。下宮比町の交差点角に支店がありました。今はスーツカンパニーです。その左のヨコ看板は残念ながら判読できません。

下宮比町の交差点 「飯田橋交差点」です。
写真ID:486(昭和56年頃)でも、はるか遠くに下宮比町の交差点が見えます。

486 江戸城外堀跡

中央のこんもりした森は、東京日仏学院(現、アンスティチュ・フランセ東京)やその近隣のお屋敷の庭木でしょう。その向こうに熊谷組の本社が見えます。

外堀通り沿いには出版大手の「家の光」や「研究社」、その向こうには理科大の複数の校舎が並んでいます。遠く横に走っている首都高速が左側に隠れるあたりの黒っぼい建物が東海銀行の支店。さらに左、一段高い大きなハートのマークの看板が、東京厚生年金病院の並びにある第一勧業銀行(現みずほ銀行)の支店です。

①熊谷組
②家の光
③研究社
④⑤⑥理科大
⑦第一勧業銀行
⑧東海銀行


こうして見ると銀行業は、看板に大きな投資をしていますね。

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