神楽坂|泉鏡花・北原白秋旧居跡

文学と神楽坂

ここでで「千年こうじや」のすこし先をみてみます。場所はここ

泉鏡花・北原白秋旧居跡

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この背後も東京理科大学の施設ですが、先の方を少しあるくと、「泉鏡花北原白秋旧居跡」が出てきます。みえますか?

現在の言葉は…

       新宿区指定史跡

いずみ鏡花きょうか旧居きゅうきょあと  所在地 神楽坂2丁目22番地
 このあたりは、明治から昭和初期にかけて、日本文学に大きな業績を残した小説家泉鏡花の旧居跡である。
 明治32年、硯友社の新年会で神楽坂の芸妓桃太郎(本名伊藤すず)と親しくなり友人から借金をして明治36年3月、ここの借家に彼女と同棲するようになった。しかし師である尾崎紅葉に同棲が知られると厳しく叱責を受け、すずは一時鏡花のもとを去る。
 この体験は「婦系図」に大きく生かされ、このすずがお蔦のモデルでもある。同年10月紅葉が没すると、すずを正式に妻として迎え明治39年7月までこの地に住んだ。

 硯友社(けんゆうしゃ)は文学結社で、明治18年(1885年)2月、大学予備門 (のちの第一高等学校)の学生尾崎紅葉山田美妙石橋思案、高等商業学校の丸岡九華の4人で創立。同年5月機関誌『我楽多がらくた文庫』を発行し、たちまち明治文壇の一大結社になりました。

 なお『てくてく牛込神楽坂』には、泉鏡花氏の略歴南榎町にいた話ヌエットと泉鏡花の話があり、大正14年に結構、難しい『神楽坂の唄』(補注もあります)、うを徳の開店披露の話(補注付き)、『神楽坂七不思議』(補注付き)、小品『草あやめ』(補注付き)、『春着』(補注付き)、『龍膽と撫子』(補注付き)をだしています。泉鏡花氏と絡んだ他の作者の作品として、『てくてく牛込神楽坂』では、柳田国男氏の故郷七十年、谷崎潤一郎氏の文壇昔ばなし、里見弴氏の私の一日二人の作家もあります。

北原きたはら白秋はくしゅう旧居(きゅうきょ)(あと)  所在地 神楽坂2丁目22番地
 泉鏡花の旧居地であるこの場所は、北原白秋の旧居地でもある。
 白秋は鏡花より遅れて明治41年10月から翌年10月に本郷動坂に転居するまでの約1年間をここで過ごしたが、その間の活動も素晴らしいものがあった。
 当地に在学中の同42年5月に短歌「もののあはれ」63首を発表しており、このころから歌作にも力をそぞぐようになった。なおこの辺りは物理学校(現・東京理科大学)の裏手にあたることから、「物理学校裏」(大正2年7月刊「東京景物詩及其他」)という詩も残している。

北原白秋の詩として「物理学校裏」という詩も有名です。

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