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神楽坂3, 4, 5丁目(写真)昭和47年秋~48年春 ID13188-97

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」のID 13152からは神楽坂1~5丁目で歩行者天国の様子を連続で撮影したものです。うちID 13188からID 13197までは神楽坂3丁目に立地点を置き、神楽坂4-5丁目方向を撮っています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13188 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13189 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13190 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13191 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13192 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13193 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13194 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13195 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13196 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13197 神楽坂歩行者天国

 車道と歩道はアスファルト舗装。歩道の縁石は一定間隔で色が違い、黄色と無彩色です。また巨大な標識ポール「神楽坂通り/美観街」がありました。
 街灯は円盤形の大型蛍光灯です。街灯の柱はモノクロ写真では薄い色が多いのですが、この一連の写真は黒く写っています。ID 9781など他にも黒く写っているので、時代によって色が違いました。
 電柱は左側だけで、上には大きな柱上変圧器があります。
 歩行者の大半がコートや外套を着ており、寒い季節ですが、年代の詳細はここで話しています。また、歩行者天国(車道に車を禁止して歩行者に開放した地域)は日曜日・祝日の実施なので、営業していない店が目立ちます。

神楽坂3丁目→4丁目( 昭和47年秋~48年春)
  1. ▶防火水そう (丸)岡陶苑 ここ
  2. (ヤマ)ダヤ (洋傘、帽子)
  3. ▶突き出し看板と電柱看板「洋傘 ショール 帽子 ヤマダヤ
  4. ジャウトーヤ フルーツ パーラー喫茶。テントは「パーラー喫茶 フルーツ ジャウトーヤ」手前が果物店、奥がフルーツパーラー
  5. (店舗)
  6. 神楽坂通り/美観街
  7. (車両通行止め)三つ叉通りへの入口
  8. 宮坂金物店
  9. (歩行者横断禁止)
  10. ▶電柱看板「 フクヤ 袋町 12」「川島歯科
  11. ▶街灯は円盤形の大型蛍光灯。「神楽坂通り」。黒の主柱。中央に(横断歩道)
  12. テントは「〇’S SHOP SAMURAIDO」(サムライ堂洋品店)ばぁ侍(2階)DC
  13. 三菱銀行。閉店中のシャッター前に切り花の露天商
  14. 消火栓。広告「カメラのミヨシ」(本多横丁)
  15. ▶電柱看板「中河電気」「 倉庫完備 買入 大久保
  16. (車両進入禁止)毘沙門横丁に。(ここから5丁目)
  17. 善國寺
  18. (駐車禁止)
  19. ▶立て看板「こどもの(飛び出し多し/徐行)」
  20. ▶電柱看板「小野眼科」「鮨 割烹 八千(代鮨)
  21. レストラン (フルー)ツ 田原屋
  22. ▶電柱看板「松ヶ枝
  23. 五十鈴
  24. やきとり殿堂(鮒忠
  25. タイヨウ(時計店)
  26. ヒグチ(薬局)
  27. 遠くに協和銀行
  28. ジャノメミシン
  1. 京都 。看板「 堂々オープン 960円〇〇 浪費させない店 コンパ エアプレイ/新装開店 神楽坂名物日本髪の京都/7時までオール3割引 お気軽にどうぞ/バー京都
  2. 酒豪 ひな鳥 丸むし焼 とりちゅう
  3. たばこ(中西タバコ?)
  4. 看板「家のマーク ショーケース 〇〇」(坂本ガラス店?)
  5. (日)邦工(計や記、試?)(宮坂ビル)
  6. 中国料理 五十(番)
  7. (一方通行入口)。本多横丁
  8. 仐と(はきもの)(近江屋)
  9. スゴ(オ)(洋菓子店)
  10. 大佐和 神楽坂店(現・楽山
  11. ▶電柱看板「宝楽」(旅館)
  12. (毘沙門せ)んべ(い) 福屋本舗
  13. (尾沢)薬(局) カネボウ(化粧品)
  14. 第一勧業信用組合

▶は車道寄りの歩道上に広告がある
▶がない場合は直接店舗に

住宅地図。1973年。出版は1972年2月

神楽坂5丁目(写真)昭和47年秋~48年春 ID 13174、ID 13176、ID 13178、ID 13180

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」のID 13152からは神楽坂1~5丁目で歩行者天国の様子を連続で撮影したものです。うちID 13174、ID 13176、ID 13178、ID 13180はカメラを神楽坂交差点(現・神楽坂上交差点)付近に置き、東向き(神楽坂下方向)に撮っています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13174 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13176 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13178 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13180 神楽坂歩行者天国

「神楽坂」交差点(現「神楽坂上」交差点)があり、その交差点の上に信号機があり、信号機には背面板はないようです。神楽坂通りを横断する横断幕「楽しい情緒豊かな歩行者天国」が、左端の標識ポール「神楽坂」につながっています。この標識ポールは昭和20年代に坂上と坂下につくられたもので、坂下は昭和35年頃までに撤去されましたが、坂上はこの写真の時点でもまだ健在でした。寺内横丁の先には「神楽坂通り/美観街」が見えます。さらに遠くの「神楽坂通り/美観街」も見えます。
 交差点に面して「車両通行止 日曜・祝日の 12ー18 牛込警察署長」というバリケード看板が出ています。これは現在の歩行者天国の実施時間(12:00-19:00)とは異なります。当時は夏季と冬季で実施時間を変えていました。よく見るとバリケード看板の「18」のところに貼り紙の跡がみえます。
 車道と歩道はアスファルト舗装。歩道の縁石は一定間隔で色が違い、黄色と無彩色に塗り分けていました。
 街灯は円盤形の大型蛍光灯で、その柱は他のカラー写真では銀灰色、モノクロ写真では薄い色が多そうです。しかし、この一連の写真は黒く写っています。昭和50年のID 9781など、他にも黒く写っているので、時代によって色が違ったと思います。
 電柱は右側だけで、上には大きな柱上変圧器があります。
 歩行者の大半がコートや外套を着ており、寒い季節ですが、年代の詳細はここで話しています。また、歩行者天国(車道に車を禁止して歩行者に開放した地域)は日曜日・祝日の実施なので、営業していない店が目立ちます。

「神楽坂」交差点・神楽坂5丁目→3丁目(昭和48年)
  1. (車両進入禁止)
  2. ▶道路標識(駐車禁止)0-12 (区間内)
  3. 標識ポール「神楽坂」と横断幕「楽しい情緒豊かな歩行者天国」
  4. (歩行者横断禁止)
  5. 店舗(菊岡三味線店
  6. 店舗(明治牛乳販売所)。店頭に「明治」と書かれた牛乳ビンのコンテナが山積み
  7. 突き出し看板「(大)和田」 壁面看板「大和田」鰻焼(割烹)
  8. 店舗(リード商会)
  9. タカミ(洋品店
  10. 神楽坂通り/美観街
  11. (東洋)飯店
  12. (恵比寿精肉)
    ――寺内横丁
  13. 日本盛 ニホンザカリ 特約店 万長 Bireley’s(酒店)
  14. 遠くに(横断歩道)と「神楽坂通り/美観街」

▶は歩道上で車道寄りに広告がある
▶がない場合は直接店舗に

  1. 「メガネ」の看板 (タイヨウ)
  2. カーブした矢印らしき照明広告 (「木」偏 パチンコ山水林)
  3. 東電(の)サービスステーション  新宿区神楽坂 
  4. 道路標識の反対側
  5. 神楽坂通り/美観街
  6. 中河電気
  7. 丸越(下図)
  8. 日本酒まつり 鮒(忠)
  9. (パチン)コおおとり。花輪
  10. 善國寺
  11. ▶公衆電話ボックス
  12. 三菱銀行

丸越質店。神楽坂6丁目8。1974年

住宅地図。1974年

神楽坂5丁目(写真)昭和47年秋~48年春 ID13161~13164

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」のID 13152からは神楽坂1~5丁目で歩行者天国の様子を連続で撮影したものです。うちID 13161、ID 13162、ID 13163、ID 13164はカメラを神楽坂5丁目に置き、東の方向(3、4丁目)に向けて撮っています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13161 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13162 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13163 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13164 神楽坂歩行者天国

 車道と歩道はアスファルト舗装。歩道の縁石は一定間隔で色が違い、黄色と無彩色に塗り分けていました。写真の左端、テントの脇の太い鉄柱は「神楽坂通り/美観街」の標識です。
 そのすぐ右の「寺内横丁」に横看板が見えますが、読めません。横丁を入ったところに、住宅地図によって異同がありますが「米枡」「割烹椿」「クラブパリジェンヌ」「末っ子」などの店名が見えます。「(米)桝」と「(割)烹 椿」と見れなくもないと思います。こうした店が横丁の入り口に共同看板を出していた可能性が高いでしょう。横丁の共同看板は毘沙門横丁のID 11833にも見られます。なお「寺内」ばかりではなく「地内」という名前もありました。

 街灯は円盤形の大型蛍光灯で、その柱は他のカラー写真では銀灰色、モノクロ写真では薄い色が多そうです。しかし、この一連の写真は黒く写っています。ID 9781など他にも黒く写っているので、時代によって色が違ったと思います。
 電柱は右側だけで、上には大きな柱上変圧器があります。
 歩行者天国(車道に車を禁止して歩行者に開放した地域)は日曜日・祝日の実施なので、営業していない店が目立ちます。また、歩行者の大半がコートや外套を着ており、年代の詳細はここで話しています。

神楽坂5丁目→3丁目(昭和47年秋~48年春)
  1. 店舗
  2. (車両通行止め)「〇〇〇」「(日曜日)祝日の(12)ー18」
  3. 横看板(寺内横丁
  4. 「(日本)盛 ニホンザカリ 特約店 万長」「Coca -Cola」「Bireley’s バャリース 万長酒店」「キリンビール」UC
  5. 日本法令のロゴマーク 届け用紙 相馬屋
  6. 第一勧業信(用)組(合)(昭和46年10月、日本勧業信用組合から改称)

▶は歩道上で車道寄りに看板がある
▶がない場合は直接店舗に

  1. 電柱の足元に段ボール箱(家電品か)
  2. ▶電柱看板「内科 小児科 産婦人科 放射線科 阿部医院」「 加藤質店」
  3. 中河電(気) SONY (ト)リニトロン ボタ(ン)でん(わ)
  4. 週刊新潮(芳進堂)
  5. 電柱看板「川島歯科」「加藤産婦人科」
    ――地蔵坂(藁店)
  6. 「やきとり殿堂 鮒忠」「鳥の王様」「鮒忠 宴会場 2F 」「鮒」
  7. ▶「日本酒まつり 鮒忠」
  8. パチンコ おおとり 花輪
  9. 田原屋(果物と洋食屋)
  10. ▶電柱看板「斉藤医院
  11. ▶電柱看板「 丸越質店
  12. ▶公衆電話ボックス
  13. 三菱銀行
  14. 遠くに(横断歩道)と「神楽坂通り/美観街」

住宅地図。1973年

神楽坂3, 4, 5丁目(写真) 昭和47年秋~48年春 ID13152-53,13159-60

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」のID 13152からは神楽坂1~5丁目で歩行者天国の様子を連続で撮影したものです。うちID 13152とID 13153、ID 13159、ID 13160は神楽坂3丁目に立地点を置き、神楽坂4-5丁目方向を撮っています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13152 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13153 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13159 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13160 神楽坂歩行者天国

 車道と歩道はアスファルト舗装。歩道の縁石は一定間隔で色が違い、おそらく黄色と無彩色に塗り分けていたでしょう。道路標示「駐車禁止」が立っています。また巨大な標識ポール「神楽坂通り/美観街」があります。
 街灯は円盤形の大型蛍光灯です。街灯の柱は他のカラー写真では銀灰色、モノクロ写真では薄い色が多いです。しかし、この一連の写真は黒く写っています。ID 9781など他にも黒く写っているので、時代によって色が違ったでしょう。
 電柱は左側だけで、上には大きな柱上変圧器があります。例外としてID 13160では右側にも電柱があり、路地の奥に電線をつなぐためのものでしょう。
 歩行者の大半がコートや外套を着ており、寒い季節と思われます。歩行者天国(車道に車を禁止して歩行者に開放した地域)は日曜日の実施なので、銀行をはじめ営業していない店が目立ちます。
 ID 13152-13153の三菱銀行は昭和47年(1972)ごろ5丁目の仮店舗から建て直した新店舗に移りました。仮店舗の後に「パチンコ山水林」(現在はシュエット神楽坂)が開業しています。ところが昭和47年や昭和48年の住宅地図では「パチンコ山水林」はまだありません。
 一方、ID 13159-13160の「毘沙門せんべい 福屋本舗」は写真では2階屋ですが、昭和48年(1973)9月に5階建ての現ビルに建て替えられました。従ってこの写真の撮影時期は昭和47年の秋から、遅くとも昭和48年の春先と推定されます。

神楽坂3丁目→4丁目( 昭和47年秋~48年春)
  1. 電柱看板「洋傘 ショール 帽子 ヤマダヤ
  2. ジャウトーヤ (喫)茶 フルーツ。手前が果物店、奥がフルーツパーラーでした。
  3. (店舗)
  4. 神楽坂通り/美観街
  5. (車両通行止め)三つ叉通りへの入口
  6. 宮坂金物店
  7. (歩行者横断禁止)
  8. フクヤ。電柱看板「川島歯科
  9. 街灯は円盤形の大型蛍光灯。「神楽坂通り」。黒の主柱。中央に(横断歩道)
  10. DC JCB。サムライ堂洋品店 ばぁ侍(2階)
  11. 三菱銀行。閉店中のシャッター前に切り花の露天商
  12. FIRE HY(DRANT) 消火栓。広告「カメラのミヨシ」本多横丁にあった。角から4軒目くらい(下の右図)
  13. 電柱看板「中河電気」「 倉庫完備 買入 大久保
  14. 毘沙門横丁に。(ここから5丁目)
  15. 善國寺。子どもが石囲いに登っている。本堂再建時に石囲いは一新したので滑り台はなく、この写真はただのワンパク坊主。
  16. (駐車禁止)
  17. 立て看板「こどもの飛び出し多し/徐行」
  18. レストラン (フルー)ツ 田原屋
  19. 電柱看板「小野眼科」「鮨 割烹 八千(代鮨)
  20. おおとり(パチンコ)
  21. やきとり殿堂 鮒忠
  22. 中河電気
  23. パチンコ(山水林)。現在はシュエット神楽坂、築年月は2007年6月
  24. タイヨウ(時計・メガネ)
  25. 神楽坂通り/美観街
  26. 薬ヒグチ
  27. 遠くに協和銀行
  1. 京都。看板「オープン 浪費させない店 コンパ 〇〇プレイ/新装開店 神楽坂名物日本髪の京都/7時までオール3割引 お気軽にどうぞ/バー京都
  2. (一方通行入口)。本多横丁へ(ここから4丁目)
    (数店おいて)
  3. (大佐和)神楽坂店(現・楽山
  4. (バー)鼓 この先突き当たり右 (「紅小路」へ)(下図)
  5. 電柱看板「 フクヤ」「旅館 宝楽」
  6. (店舗としもた屋)
  7. 毘沙門せんべい 福屋本舗 福屋不動産
  8. (店舗)
  9. オシャレ洋品 アワヤ
    ―――「ごくぼそ」へ
  10. 紳士服 テーラー 島田
  11. 尾沢薬局 (くす)り尾崎 カネボウ化(粧品)
  12. (店舗) (ここから5丁目)
  13. 第一勧業信用組合(駐車場)
  14. (店舗)
  15. かやの木(玩具店)
  16. (消火栓)
  17. 第一勧業信用(組合)。昭和46年(1971年)10月に改称

住宅地図。1980年。つづみとミヨシ

住宅地図。1976年。

神楽坂6丁目(写真)昭和45年3月 加藤嶺夫氏

文学と神楽坂

 加藤嶺夫氏の「東京消えた街角」(河出書房新社、1999年)で「神楽坂通り 新宿区神楽坂6-4先から東方」は昭和45年3月15日、神楽坂6丁目から神楽坂交差点(現、神楽坂上交差点)を通り、神楽坂5丁目などを撮ったものです。左右に走るのは都電13系統で、この年の3月27日に廃止されました。その12日前の撮影です。

 車道はアスファルト舗装で、次に側溝、縁石、歩造があります。ゆるやかな坂が大久保通り。信号の向こうは神楽坂通り(神楽坂5丁目)で、こちら向きの一方通行になっています。
 中央やや左の上面は巨大な「車両進入禁止」の回転標識がありますが、これは午前だけで、午後は「一方通行入り口」一方通行入口に変わります。この奥に黒の標識があり、不明ですが、新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 7430を見ると、表裏に2枚張り合われた「神楽坂」だったと分かります。さらに奥には「神楽坂通り/美観街」があります。
 では信号の手前の神楽坂通りはどうでしょうか。センターラインがあるので一見、対面通行に見えます。しかし左側にある「駐車禁止」の標識には0-12(午前中)の時間表示があります。午前中の車の向きに対する標識と考えられ、逆側には12-24(午後)の標識があったはずです。これはID 9909と同じです。つまり手前の神楽坂通りも一方通行だったのです。

神楽坂6丁目→5丁目(昭和45年)
  1. 喫茶室 2階 COFFEE 白砂(田中屋)
  2. 大久保通り
  3. 山下漆器店
  4. 割烹 うなぎ (大和田
  1. 街灯標識「神楽坂通り」 この場所は神楽坂5丁目なので、信号の向こうと同じ円盤形の街灯でした。左側の街灯にはありません。
  2. 電柱看板「歯科 川畑
  3. SEIKO(タイヨウ時計店)
  4. 大久保通り。背面板(ゼブラ柄)がある信号機
  5. 「宅地建物取引 有限会社 つくば商事」 「営業案内/土地・建物・売買・管理/賃貸借・周旋/電話買取及販売/不動産一般代理」 突き出し看板「たばこ/DPE つくば」(つくば商事)
  6. COFFEE&SNACK カレッセ サントリーバー(つくば商事の2階)
  7. 電柱看板「 東電のサービスステーション」
  8. 薬ヒグチ
  9. 季川
  10. 三菱銀行(仮店舗)
  11. 麻雀
  12. 大きな建物(中河電気) 現・八潮ビル 昭和43年(1968年)9月竣工
  13. 遠くに煙突(改築予定の三菱銀行旧店舗)

住宅地図。1973年

神楽坂青年会「神楽坂まっぷ」(神楽坂青年会、1985年)

神楽坂5丁目(写真)昭和54年 鮒忠 五十鈴 ID 11864

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11864は、昭和54年(1979年)1月、神楽坂5丁目で鮒忠や五十鈴などを撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11864 神楽坂 鮒忠、五十鈴前

 車道はアスファルト舗装。街灯は円盤形の時代ですが画角から外れていて、下部の「神楽坂通り」の標識しか写っていません。斜めに出ている造花は常設の飾りで、立っている竹は正月用と思われます。逆転式一方通行の向きから午後1時以降に撮ったのでしょう。
 大きく「初荷」と書いたトラックが走っています。初荷とは「年が明けて、最初に工場や倉庫など物流拠点から販売店へ向けて商品や製品が出荷されること。元々は、初売と同じく1月2日に行われていたが、今日では官公庁や多くの企業で業務が開始される1月4日に、新年の初出荷が行われることが多い。その際、昔は『初荷』と書かれた旗やのぼりをつけたトラックが走っていたが、高速道路などでの安全性の点から、現在ではほとんどなくなっている」(ウィキペディア)

神楽坂5丁目(昭和54年)(右→左)
  1. 近江屋(乾物店)
  2. ライトバン。GOLF GOODS WESTERN。自家用。この「WESTERN」のマークはスポーツバッグなどでよくありました。
  3. 中河電気(電気店)(テ)レビ/(神楽)坂店、ボタンでんわ特約店 ナショナル、Lo-D(日立製作所のオーディオブランド)
  4. トラック 「初荷」 フロントグリルに正月飾り
  5. 「文藝春秋 ロゴマーク 文春文(庫)」 芳進堂 TEL(28〇)2978、(週刊)新潮 芳進堂、宣伝用のぼり(おそらく「日立ソリッドステート キドカラー」とCMキャラクターの巨人軍・王貞治選手 少年誌の付録か)
  6. 街灯標識「神楽坂通り」。造花の飾りと竹の飾り
  7. 電柱看板「川島歯科
  8. 地蔵坂(藁店)
  9. 鮒忠、神楽坂店。「やきとり殿堂 鮒忠 神楽坂店 TEL 280-」「忘年会・新年会ご予約承ります。280-6223」「肉まん あんまん」
  10. トラック。
  11. (甘なっ)と。御菓子司。五十鈴。
  12. (パ)チンコ おおとり

神楽坂4丁目、5丁目(写真)昭和51年 ID 11482

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11482は、昭和51年、神楽坂4丁目から当時の神楽坂交差点(現、神楽坂上交差点)方向を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11482 神楽坂

 車道はアスファルト舗装で、次に側溝、縁石があり、車の渋滞はかなり長くなっています。歩道もアスファルト舗装で、看板「まず徐行 あそこに子どもとお年より 牛込警察署」が見えます。街灯は大きな円盤形で、下に「神楽坂通り」、さらにその下に数本の木と人工的な葉があり、また電柱の上には柱上変圧器があります。半袖の人が多いので夏、逆転式一方通行の向きから午後1時以降でしょう。

神楽坂4~5丁目(昭和51年)
  1. 善国寺。4角柱?などが見える部分は児童遊園
  2. レストラン フル(ーツ) 田原屋
  3. パチンコ おおとり
  4. 甘なっと 五十鈴
  5. やきとり(殿)堂 鮒忠
  6. 藁店に入る道のカーブミラー
  7. (中)河電(気)
    ここまで5丁目。ここから6丁目
  8. 遠くに協和銀(行)
  1. 福屋不動産
  2. (毘沙門)せんべい(福屋
  3. 神占 思召し/(福屋ビルテナント「神楽大国」)
  4. (事務用)品(福田屋文具店)
  5. 紳士服(テーラー島田)
  6. 尾)沢薬(品)(ク)ス(リ)尾沢
    ここまで4丁目。ここから5丁目
  7. 工事中(神楽坂コアビル 1978年4月竣工)
  8. 路上に積み荷(魚金鮮魚店)
  9. (か)やの木
  10. (第一勧業信用)組合
  11. (消火栓)

神楽坂まっぷ。1985年

住宅地図。1976年

神楽坂3丁目(写真)縁日 昭和41年 ID 12272-12273

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 12272とID 12273を見ましょう。撮影は1966年(昭和41年)。街灯には巨大な蛍光灯があります。「縁日」は神社仏閣と縁のある日で、普段以上に御利益があるとされました。毘沙門天の縁日は、戦前は寅(寅毘沙)と午の日の10日に2度でしたが、戦後は「五の日」の月3度になり、屋台の夜店で賑わいました。なお、ID 12280と12282も同じ縁日の風景です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12272 神楽坂毘沙門天の縁日

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12273 神楽坂毘沙門天の縁日

 ID 12273のすぐ隣にID 12272の屋台があったと考えます。ID 12272はピンクや赤い色の弁当箱ややかんが売られていて、おそらく、ままごと用でしょう。ID 12273ではたこやきを売っています。「関西名物」「岡村屋」の文字が見えます。
 人間は多く外套を着ています。またID 12273では「たこやき」の「た」の上、ID 12272でも少し離れた街灯にクリスマスの飾りがあります。12月なのでしょう。
 ID 12272には質店の電柱看板「質 倉庫完備 取扱丁寧 大久(保)」、細かく「神楽坂中程マーサ美容室横入」があり、最後に住所「神楽坂3-7」があります。神楽坂3-7とは三菱UFJ銀行の神楽坂支店と完全に一致しています。なお、2007年に無電柱化を行い、電柱は一切なくなりました。明るさを修正すると、向こう側の4丁目の商店の看板が見えます。右から順に「福屋不動産部」、隣は判読できませんが、形状からして日本法令の「届け用紙」の看板で、福田屋文具店でしょう。その次は「尾(澤薬局)」です。他に電柱看板「小野眼科」も見えます。

 ID 12273には電柱看板「中河電気 神楽坂」があり、消火栓看板「カメ(ラ)」もあります。右上に「(COF)FEE + CAKE」と書かれています。これは住宅地図のスゴオ菓子店で、三菱銀行の反対側にあったようです。なお、これらの看板は、やや後の時代のID 101(昭和44年)と照合すると確認できます。おそらく街灯を挟むような形で、図示した位置に屋台が出ていたと思われます。

101’ 三丁目

神楽坂1丁目(写真)昭和36年 牛込橋 ID 12125~12127

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 12125、ID 12126,ID 12127を見ましょう。レンズは外堀通りと神楽坂の坂上に向いています。街灯は鈴蘭の花をかたどった鈴蘭すずらん灯があり、車道は平坦でデコボコはありません。信号機はゼブラ柄の背面板があります。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12125 神楽坂下

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12126 神楽坂下

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12127 神楽坂下

 牛込橋から神楽坂下までの車道にセンターラインがあり、この部分が逆転式一方通行になるのはずっと後ですが、早い段階でセンターラインは描かれなくなっていたと地元の方。
 牛込橋の桜の木はよく見ると若葉がついているようです。
 写真の右上で、メトロ映画(上の看板は「yヽロ映画」)では東映作品「鳴門なると秘帖ひちょう」(公開日は昭和36年1月26日)、松竹作品「はったり青年紳士」(公開日は昭和36年3月15日)をやっていました。下に行き「さくら」は「さくらや靴店」です。森本不動産は小栗横丁に行く横丁にありました。
 右中央に「赤井商店」が見えますが、その前のID 12126に女性が描かれた看板が見えます。よく見ると『ナポリ』らしき字があり、ソフィア・ローレン出演の映画『ナポリ湾』(日本公開は昭和35年12月)を佳作座でやっていたのではないか、と地元の人。佳作座は2番館なので、昭和36年に出もいいと思います。
 撮影は牛込橋周辺で、新宿歴史博物館の発表では昭和37年になっています。でも、同じ撮影でID 52とID 53では昭和36年4月になっています。よく見ましょう。「yヽロ映画」はどちらも同じ壊れ方。映画作品もまったく同じで、外堀通りから牛込橋に渡る立て看板や、通り沿いにみえる造花の飾りも同じです。造花はカラー写真だとサクラを模したピンクだと確認できます。ID 12125~12127は、ID 52~53の左端の駐車車両は見えませんが、ほぼ同時期に撮影したと推定できます。
 では昭和37年と昭和36年、どちらでしょうか? 昭和37年2月以前に撮ったID 55と56を比べてみましょう。「メトロ映画」はさらに「 ヽ凵映画」とぼろぼろで、鈴蘭灯ではなく大型の蛍光灯になっています。ID 52~53とID 12125~27はID 55と56よりは昔なのです。つまり、昭和36年に撮影したのです。
 では色を含めて書いておきます。

神楽坂三十年代地図」(『神楽坂まちの手帖』第12号、2006年)を参照
神楽坂1~2丁目(昭和36年)
  1.  中河電気 「旅館 野乃木」
  2. 天下の銘酒 富士錦  三富酒 。壁にネオン「三富」
  3. 交通標識
  4. 外堀通り
  5. 赤色ネオン「パチンコ」「(ニュ)ーパリー」。部分的に赤と黒の壁
  6.  田原屋 
  7. 貸衣裳 清水衣裳店
  1. ポスター「森本不動産」「産婦人科 加藤」
  2. 外堀通り
  3.  赤井商店  ポスター「ナポリ(湾)」 さくらや靴店
  4.  印章  ゴム印 (津田印店)
  5. 美容室(ニューマヤ
  6. ヤマザキパン(神楽堂)
  7. 神楽小路に行く(見えない)
  8.  コ〇ン〇ン (山一薬品)
  9. メトロ映画「鳴門秘帖」「はったり青年紳士」
  10. キャバレー (ムーンライト)

神楽坂1丁目(写真)牛込橋 昭和37年 ID 5993~5995

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 5993~5995は、昭和37年(1962年)、神楽坂1丁目を牛込橋方向から撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 5993 神楽坂入口をのぞむ

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 5994 神楽坂入口をのぞむ

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 5995 神楽坂入口をのぞむ

 昭和36年4月のID 52-53と比べると、牛込橋の車道のセンターラインや歩道の柵、左右の桜の木は同じです。しかし今回の街灯はそれまでの鈴蘭灯から、大型円盤形の蛍光灯に代わっています。左側の電柱広告は「旅館かぐら苑 野乃木」から「大久保質店」に、右側のファサード看板も「森本不動産」から「伊達」に代わりました。
 右上の「メトロ映画」の看板は「ヽロ映画」(ID 52-53)から「 ヽ凵映画」(ID 5993~5995)へと老朽化が進んでいます。遠くにキャバレー「ムーンライト」が見えています。
 街の様子は、寒いのか外套を着る人もいて、桜も裸木です。ただ歳末セールや正月の飾りのようなものは見えません。
 ID 55と56ともよく似ています。左下の手すりが雑巾かシャツで覆われ、すぐ前に同じバイク、右側にも同じ「日軽サッシ」の車も停まっています。ID 55-56、5993~5995は同じ時に撮影したことが分かります。
 新宿区『新宿区15年のあゆみ』(新宿区役所内務部総務課、1962年)ではID 5994を使っています。この本は昭和37年3月に出版していますので、この写真は、それ以前に撮影したはずです。
 ID 5995の右側の桜の木に、映画のポスターらしきものが見えます。昭和37年(1962)2月11日公開の『天使と野郎ども』ではないでしょうか。とすると撮影は昭和37年2月でしょうか。

日軽サッシ サッシ(window sash)は窓枠全体のこと。日軽は日本軽金属から現在はLIXIL(リクシル)になり、これは建築材料・住宅設備機器業界最大手の企業。
映画のポスター 拡大します。

人文社「日本分県地図地名総覧 東京都」1960年

神楽坂1~2丁目(昭和37年頃)
  1. ラーメン 中華そば
  2. とん(かつ森川)「も や」
  3. 電柱看板「気軽に習えて三日で踊れる 小柳ダンス教室
  4. 地名標識「神楽坂」
  5. 喫茶室 コルヌ(Corne)
  6. 電柱看板「 大久保」「中河電気
  7. 袖看板「天下の銘酒 三富酒蔵」壁面看板「富士錦三富酒蔵」「大衆」
  8. 外堀通り
  9. パチンコニューパリー。エッフェル塔に似たネオン
  10. 神楽坂通りは省略)
  1. 桜の木にポスター
  2. 神楽坂警察署
  3. 旅館 保〇
  4. 停車中の自動車「日軽サッシ」
  5. 桜の木に看板 映画
  6. ファサード看板「入院応責 産婦人科加藤医院」「品の良いデザインカットを誇るドレスはD伊達」
  7. 外堀通り
  8. 赤井商店
  9. 右に移って「さくらや靴店」
  10. (神楽坂通りは省略)
  11. 屋上広告「メトロ映画
  12. 屋上広告「キャバレー ムーンライト」

上村一夫と神楽坂

文学と神楽坂

「上村一夫が『寺内』から描いたもの」について、地元の人からの情報提供です。

「神楽坂」の画3点の場所は特定できます。
 最初の絵は「十奈美」さんの前。ローマ字で分かります。1985年『神楽坂まっぷ』でもタイル張り風の外観(橙色)が確認できます。
十奈美 となみ。化粧品を売っていましたが、閉店。現在はポルタ神楽坂の一部になりました。

 次は、前とほぼ同じですが画角がやや右向き。「でんでんむし」は神楽坂ビルの地下の店でした。ダイニングバーだったと思います。「でんでんむし」は中村武志『神楽坂の今昔』(毎日新聞社刊「大学シリーズ法政大学」、昭和46年)でもでています。http://kagurazaka.yamamogura.com/kagu-nowthen1/

神楽坂ビル 正しくは神楽坂ビルディング。上の青色のビル。築年月は1969年2月

 三番目は、見たとおり大島さんの前です。ポルタ神楽坂のすぐ手前。大島さんは昔は糸屋さん。土地オーナーなので、ポルタに買収されず、今も「大島ビル」です。
 看板の「中河電気」は5丁目の鮒忠の2軒先。3点とも街灯が新しい。少なくとも1976年以降のものです。さすがに83年発表の作品ですね。
大島さん 大島ビル。築年月は1959年5月。
ポルタ神楽坂 東京理科大学の新しい施設で、主に飲食店の複合ビル。築年月は1993年8月。2011年に高級分譲賃貸マンションも販売。
中河電気 中河ビル。築年月は1968年9月。現在は八潮ビル。1階に焼肉、炭火焼き、ステーキの「新泉」
鮒忠 現在は閉店。
YAHOO! Japan 地図では…

中河電気は現在、八潮ビル。1階に焼肉「新泉」。鮒忠は閉店し、駐車場に。

 以下の2図は1966-67年の街灯。最初は1966(昭和41)年、メトロアーカイブの「坂のある街」では https://metroarchive.jp/pic_year/year1960/坂のある街.html
新修新宿区史編集委員会『新修新宿区史』(新宿区役所、昭和42年)では…
 ただ毘沙門天の画だけは、なぜか古い街灯が描かれています。
 逆に毘沙門天の写真(詩学社)の「昭和56年頃」は、やや疑問です。もう街灯は更新していたんじゃないかな。ギリギリかな?
毘沙門天の写真(詩学社) 本には「毘沙門天」と書いてあるだけででした。本の『神楽坂と大〆と私』のあとがきは昭和55年に、出版は昭和56年に行っています。

 最後に「神楽坂2丁目にある袋小路」。三番⽬の⼤島さん前については正しいと思います。別の写真でも同じ歩道の縁石の様子が確認できます。ただ最初と2番⽬は違います。これにはカラクリがあります。
 ご記憶でしょうか。神楽坂の急坂を削って「「さわや」さんの前あたりで坂が緩くなってる。で、またキュッと上がってる」ことを。坂を削った結果、さわやさんの前は歩道と車道の段差が大きい。
 近年の改修工事でかなり直りましたが、まだ名残りがある。ストリートビューでも、さわや前の段差が坂下に行くと小さくなるのが分かります。上村氏がスケッチした当時は、描かれたような形だったのでしょう。
 上村氏が神楽坂に仕事場を置いたのは、『同棲時代』を掲載した『漫画アクション』の双葉社が神楽坂下にあったからじゃないのかな。古賀八千香氏は、そのあたりを突っ込んで欲しかったな。
別の写真 メトロアーカイブの写真には、3枚目のマンガと同じ歩道の「へこみ」が写っています
「さわや」さんの前あたりで 「神楽坂2丁目」で引用しています。
ストリートビュー 陶柿園とたんす屋の前にある縁石を比べます。
神楽坂下 双葉社は昭和43年4月に神楽坂1-8に社屋を新築移転し、昭和59年3月に新宿区東五軒町3-28に移転しました。これは住宅地図(昭和58年)から。