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神楽坂2丁目(写真)昭和37~39年 ID 4とID 12914

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 4とID 12914を見ていきましょう。ID 12903からID12914までは雨の日の神楽坂通りの写真で、昭和37~39年(1962-64)頃と思われます。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 4 神楽坂途中から坂下方向

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12914 神楽坂

 撮影の方向は、神楽坂2丁目から坂下に向いています。雨は現在上がっています。街灯は1本につき一つだけで、これは昭和36(1961)年以降にあたります。車道は石敷いしじき、石だたみでした。歩道の表面には文様があります。電柱は向かって右側だけで、その上には大きな柱上変圧器があります。
 パチンコマリーとニューイトウの間に横丁の入口があり、奥のレストラン京屋や神楽坂ビリヤードの看板が出ています。横丁に入る部分には歩道と車道の段差を解消する小さなスロープがあります。スロープの脇に街灯とは別に四角張った柱が立ち、上部に「火災〇〇〇」の表紙が突きだしています。街頭型の火災報知器で、柱の下寄りの丸い部分に消防への通報スイッチがあったと思われます。
 横丁に沿ったパチンコマリーの壁面には佳作座の上映案内があります。読みにくいですが、3段のうち上段は「非情の町」(日本公開1962年1月27日)、中段は「ボーイハント」(同1961年5月2日)か「ガールハント」(同1961年12月26日)ではないでしょうか。左端も「(上)映中!」で、こちらはメトロ映画と思われます。マリー、佳作座、メトロ映画とも熊谷興業の経営でした。
 ニューイトウの前の車道は穴を補修してあります。石敷の補修は手間がかかるので、アスファルトで応急処置をしたような感じです。この穴は同時代のID 17-19では確認できません。また横丁へのスロープはID 17にはありません。ID 12903-12914の方が少し後の写真と思われます。

神楽坂2丁目→坂下(昭和37-39年頃)
  1. 陶柿園
  2. (珈琲 音楽 坂)
  3. この辺りで道路に修復後の穴
  4. 「靴はニューイトウ」「洋食 レストラン 京屋」「ビリヤード 神楽坂
  5. 佳作座「非情の町」「〇・ハント」「男の罠・女〇〇」
  6. 袖看板「パチンコはマリーで」
  7. 街灯。「火災〇〇〇」。掲示「神楽坂」
  8. 志乃多寿し
  9. (メトロ映画)
  10. 床屋のサインポール(理容バンコック)
  1. 街灯
  2. ダイヤモンド毛糸 株式会社 大島糸店
  3. (食品 丸八)
  4. たばこ ☎(果実 田金)
  5. オザキヤ(靴)
  6. 電柱「 大久保
  7. 御料理 蒲焼 うなぎ 志満金

住宅地図。1963年

神楽坂1丁目(写真)昭和50年頃 ID 9781

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9781は、昭和50年頃、神楽坂1~2丁目をねらっています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9781 神楽坂

 車道はアスファルト舗装、そばに側溝、縁石、歩道もアスファルト舗装です。街灯は円盤形の大型蛍光灯で、街灯から地面に行く途中に標識「神楽坂通り」、さらに「神楽坂通り/美観街」の標識が左右に1本ずつ立っています。電柱は道路の左側にしかありません。また電柱には大きな柱上変圧器があります。

神楽坂1~2丁目(昭和50年頃)
  1. 「12-23 (駐車禁止)「レッカー移動 牛込警察署長」
  2. 電柱看板「 大久保
  1. ✚ 診療〇〇 皮膚泌尿科 婦人科 外科 内科(白十字診療所)
  2. (消火栓) 消火栓広告「三菱銀行前 福屋 神楽坂 不(動)産」
  3. 「紙 事務用品 文具 原稿用紙 山田紙店」「」「事務用品」「文具」「原稿用紙」「Canon  NP コピーサービス」「Kodak」「さくら  さくらカラー」
  4. 地下鉄 飯田橋駅
  5. 不二家。不二家洋菓子
  6. 紀の善
  7. 床屋のサインポール
  8. 屋上看板「(ハッピ)ージャック」袖看板「喫茶 軽(い)心 」
  9. (山一)薬品
  10. 袖看板「パチンコはマリーで」
  11. (ニュー)イトウ(靴)
  12. (珈琲 音楽 坂)
  13. 純喫茶 クラウン

1976年。住宅地図。

神楽坂3丁目(写真)昭和28年 ID 9506

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9506は、昭和28年以降、おそらく神楽坂3丁目をねらっています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9506 神楽坂

 車道は凹凸が目立ち始め、将来できるOリングはなく、急峻な坂は石敷でした。歩道の構成は車道の側から縁石、外コンクリート3列、細い石、内コンクリート2列です。縁石はかなり薄く、隣の店舗同士では階段のような差がありました。中央に雨水を流すへこみがあり、側溝はありません。
 竹か笹が各店舗から1本ずつ、車道に向かって斜めに立っています。リボンや紐状の飾り、小さな提灯が下がっています。「全店大賣出し 神楽坂」ののぼり旗もあります。
 人々は半袖で、明るい色の夏服を着ています。おそらく七夕シーズンの7月ごろ、商店街の中元セールの写真でしょう。
 中央には街灯の基礎だけがあります。その向こうはポールも立っています。これは昭和28年頃から昭和36年頃まで続いた、鈴蘭の花をかたどった鈴蘭灯の下部です。しかし上の照明(花の部分)はついていません。一方、道路の反対側には坂下に向けて簡素で背の低い丸い電球1灯の街灯(ID 30ID 4792等)が立っています。
 おそらくこの時に、街灯を交換しました。街灯の基礎やポールが黒いのはさび止めの状態で、まだ塗装していないからと思われます。ID 12125~12127の貴重なカラー写真では鈴蘭灯は白っぽく塗られています。実際にはライトグレーか銀色だったでしょう。

都市製図社『火災保険特殊地図』昭和27年

神楽坂3→2丁目(昭和28年以降)
  1. パーマネント。マーサ美容室。二階建て
  2. 神楽坂仲通り
  3. 電柱看板「旅館 碧運」「 大久保質店」
  4. さわや。二階建て
  5. 亀井鮨。平屋
  6. 壁面一杯に「ニューイトウ」
  1. 岡田印房(地図では岡田印章)。「表札 看板 名刺」「星名刺」
  2. 助六 二階建て
  3. 龍公亭 平屋
  4. (建築中)
  5. 看板「新しいカット コールド〇 パーマネント」(ビデパーマ)
  6. (山本薬局)
  7. 神楽坂仲坂
  8. 自立看板「みい〇」
  9. 電柱看板「 大久保質店」
  10. 電柱看板。床屋のサインポール(管理髪館)

横寺町と神楽坂6丁目(写真)昭和48年 ID 8812

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8812は、昭和48年(1973年)2月、横寺町から見た朝日坂神楽坂6丁目を扱ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8812 横寺町

 歩道はなく、車道にオーリングで施工したこともなく、下水は道路の側溝を流れ、街灯は長い蛍光灯で、柱上変圧器もあります。左側の自動車はID 8807からID 8811まで遠くにある自動車と同じでしょう。

横寺町と神楽坂6丁目(昭和48年)
  1. 木に隠れて「内野医院」
  2. 突き出し看板「( 澤)之鶴 飯塚 酒店」Cokeの自動販売機
  3. 多分「寺島巧芸社」。「 ▽ 寺島巧芸社 」(看板・標識製作の会社)。前に自動車。段ボールか書類の山
  4. 電柱看板「セルフサービス アライ  ココ
  1. 街灯(蛍光灯)。電柱看板「 右門の和菓子 ここ➡」「 買入 丸越」。
  2. 看板「ヤマハ エレクトーン スクール」
  3. 「曹洞宗 龍門禅寺」
  4. 道路反射鏡
  5. 街灯(蛍光灯)。電柱看板「歯科 川畑」「〇〇堂」
  6. 突き出し看板「歯科 川畑」
  7. (パーマ)スミレ
  8. 突き出し看板「白鷹 寿司清」
  9. 床屋のサインポール
  10. 「フラワー 一紀」
  11. 「ドライクリーニング」

1976年。住宅地図。

神楽坂6丁目(写真)朝日坂 昭和48年 ID 8813-8819, ID 466

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8813~8819は、昭和48年(1973年)2月、神楽坂6丁目から横寺町までの朝日坂を撮ったものです。またID 466はID 8817と同じ写真です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8813 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8814 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8815 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8816 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8817 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 466 横寺町入口附近

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8818 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8819 神楽坂六丁目

 左にある自動車はバックドアを開き、はるか遠くにある自動車はID 8807からID 8820以上まで同じように停車し、さらにID 8815から見える自動車は、おそらく数十分後になると、なくなり、かわって八百政が店を開くはずです。
 さらに、この撮影は昭和44年(ID 8273~8276)や、昭和45年(ID 8316)と同じ場所ですが、昭和47年12月、荒井精肉店は荒井ビルに変わり、昭和48年にはスーパーアライになっています。
 歩道はなく、車道にオーリングで施工したこともなく、立木の葉は枯れ、下水は道路の側溝を流れ、街灯は長い蛍光灯で、柱上変圧器はかなり立派でした。

神楽坂6丁目と横寺町(昭和48年)
  1. 看板「(フラワー 一)紀」
  2. 突き出し看板「理容サトウ」床屋のサインポール
  3. 街灯(蛍光灯)。電柱看板「 買入 丸越 神楽坂通り 協和銀行前入る この手前」。その下に張り紙
  4. 突き出し看板「日本第一清酒 白鷹 ハクタカ 〇総本舗 寿司清」
  5. パーマ スミレ
  6. 電柱看板「歯科 川畑」「土地家屋 野口商会」
  7. 突き出し看板「川畑」
  8. 道路反射鏡
  1. 盆栽と盆栽鉢。キャベツ、国光(リンゴ)、愛媛ミカン(八百政)
  2. 「天台宗 薬龍山 光圓寺 正蔵院/伝教大師/草刈薬師如来/閻魔大王尊/安置」「宗顕流 古流 いけ花」「坂」
  3. 未開店(八百政)
  4. 「Super ARAI」
  5. 電柱看板「セルフサービス アライ  ココ
  6. 「(寺島巧芸)社」(看板・標識製作の会社)
  7. 突き出し看板「清酒 ※ 澤之鶴 飯塚」
  8. 内野医院
  9. (消火栓)

1976年。住宅地図。

神楽坂6丁目(写真)朝日坂 昭和45年 ID 8316, ID 463

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」のID 8316とID 463を見ましょう。ID 8316の撮影時期は1970年(昭和45年)頃、ID 463は1970年3月です。撮影は神楽坂6丁目から朝日坂横寺町までです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8316 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 463 横寺町入口附近

 立木の葉は枯れ落ち、歩道はなく、車道にオーリングで施工したこともなく、下水は道路の側溝を流れ、街灯は長い蛍光灯で、柱上変圧器はかなり立派でした。女子高校生は長袖か半袖。和装の女性はショールを羽織り、右手前の男性はYシャツに薄手のカーディガン。左側にはコンクリート製の\電柱が並んでいます。右側にも電柱があり、最初の1本は神楽坂6丁目でコンクリート製ですが、2本目からは横寺町で木製になります。

神楽坂6丁目と横寺町(昭和45年)
  1. 看板「(一)紀」「のし 中〇」花輪。開店祝い?
  2. 突き出し看板「理容サトウ」床屋のサインポール
  3. 電柱看板「 買入 丸越 神楽坂通り 協和銀行前入る」。街灯(蛍光灯)
  4. 突き出し看板「日本第一清酒 白鷹 ハクタカ 〇総本舗 寿司清」
  5. 電柱看板「歯科 川畑」「土地家屋 野口商会」
  6. 突き出し看板「 (川)畑」
  1. 右下隅、男性の足元の野菜が「青果丸大商事」
  2. 男性が直方体の箱を持っている。葬式?
  3. 「天台宗 光圓寺/伝教大師(御真)作/草刈薬師如来/閻魔大王尊/安置」「古流 松村崇〇 於 当寺内」
  4. 正面の平屋の八百屋が「広瀬」。「Bonita Banana」「サニー」「西浦みかん」。道路でキュウリの箱。「いちご一山200エン」「「最高品 一山200エン」(みかん)。バナナ。甘夏、玉ネギ、長ネギ、葉物野菜など。出荷時期はたぶん春先の3月と地元の方
  5. 「肉のアライ」「お砂糖はカップ印」「セルフサービスの店 アライ」
  6. 「第一パン」「SELF-SERVICE」「雪印バター」。電柱看板「セルフサービス アライ  ココ 
  7. 「寺島巧芸社」(看板・標識製作の会社)脚立か鉄枠みたいなものがいくつも立てかけてある。
  8. 突き出し看板「清酒 ※ 澤之鶴 飯塚」
  9. 内野医院
  10. (消火栓)

1970年。住宅地図。

神楽坂6丁目(写真)朝日坂 昭和48年 ID 8807-8811

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8807-8811は、昭和48年(1973年)2月、神楽坂6丁目から横寺町までの朝日坂を撮ったものです。なお、ID 467も同じく昭和48年2月、朝日坂を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8807 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8808 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8809 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8810 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8811 神楽坂六丁目

 歩道はなく、車道にオーリングで施工したこともなく、立木の葉はなく、下水は道路の側溝を流れ、街灯は長い蛍光灯でした。立派な柱上変圧器もありました。

神楽坂6丁目と横寺町(昭和48年)
  1. 看板「フラワー 一紀」
  2. 突き出し看板「理容サトウ」床屋のサインポール
  3. 街灯(蛍光灯)。電柱看板「 買入 丸越 神楽坂通り 協和銀行前入る この手前」。その下に張り紙
  4. 突き出し看板「日本第一清酒 白鷹 ハクタカ 〇総本舗 寿司清」
  5. パーマ スミレ
  6. 電柱看板「歯科 川畑」「土地家屋 野口商会」
  7. 突き出し看板「川畑」
  8. 道路反射鏡
  1. ビル
  2. 電柱看板「(川)畑 入口 すぐそこ」
  3. キャベツ 国光(リンゴ)愛媛ミカン(八百政)
  4. 「天台宗 薬龍山 光圓寺 正蔵院/伝教大師(御真)作 草(刈)薬師如来 閻魔大王尊 安置」「宗顕流 古流 いけ花 松村崇〇 於 当寺内」
  5. 未開店か閉店(八百政)
  6. 「Super ARAI」
  7. 電柱看板「セルフサービス アライ  ココ
  8. 「寺島巧芸社」(看板・標識製作の会社)
  9. 突き出し看板「清酒 ※ 澤之鶴 飯塚」
  10. 内野医院
  11. (消火栓)

1976年。住宅地図。

神楽坂一丁目(写真)昭和44年 ID 8284

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 8284を見ましょう。撮影は1969年(昭和44年)頃で、神楽坂一丁目から坂上です。車道は靴店のオザキヤのところで色調が違っています。急勾配のコンクリート坂では、一時的に道路表面に円形のオーリングを埋め込み、滑り止め策をしています。当然、道路の色調は変わります。歩道はややサイズの大きい平らな正方形のブロックで、街灯は丸い巨大な蛍光灯です。また「神楽坂通り/美観街」の標識が左右に1本ずつできています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8284 神楽坂

神楽坂1丁目(昭和44年)
  1. (フルーツパーラー 田原屋)
  2. 元祖 貸衣装 清水本店
  3. 生そば(おきな庵
  4. 中華料理 信華園
  5. (田口屋生花店、2階建て)
  6. パール。ビリヤード。小栗横丁に。
  7. 小栗横丁に行く通り
  8. (田口屋生花店、2階建て)
  9. 志満金
  10. オザキヤ靴店
  1. 山田紙店
  2. FUJIYA 不二家洋菓子 2階 コーヒーショップ
  3. 突き出し看板「おしるこ 紀の善
  4. 神楽小路に
  5. 床屋のサインポール
  6. ビル「喫茶 軽い心
    3.4F 麻雀 桜
    2F 喫茶室 軽い心
    1F パブ ハ(ッピージャ)ック
    (ハッ) ピージャック
  7. パチンコ(はマリーに)
  8. ニューイトウ

キミが一生に一度も行かない所 牛込神楽坂

文学と神楽坂

「キミが一生に一度も行かない所 牛込神楽坂」という雑誌「Mr. Dandy」(中央出版、昭和49年)での写真です。中扉、いろいろな場所、さらに数枚の神社仏閣ですが、ここでは中扉を扱います。
 有楽町線「飯田橋」はまだ未開通です。しかし道路は開削し、上に鉄板を並べるところまで来ています。ただし、埋め戻しは開通後です。標識「神楽坂通り/美観街」も出ています。街灯は円形の蛍光灯一つだけで、これは昭和36年(1961年)以降です。その下に看板「神楽坂通り」。柱上変圧器もあります。

キミが一生に一度も行かない所 神楽坂S47

神楽坂1丁目(昭和49年)
  1. 田原屋。Tawarayaのyaが見える。
  2. 元祖 貸衣装 清水本店。
  3. 生そば。は「楚」のくずしかな、は漢文で主語を表す助詞「は」の「者」をくずし、濁点をつけたもの。ここに「翁庵」がある。
  4. 信華園(中華)
  5. 志満金」(うなぎ)
  1. 山田紙店。シャッターで閉鎖中。下に三角フェンス(バリケード)と土嚢。土嚢は雨水流入防止の常備品。地下鉄有楽町線「飯田橋駅」の出口で、利用開始寸前。ファサード看板は「山田紙」店。袖看板は「紙 事務用品 文具 原稿用紙 山田紙店」。さくらカラーの看板。地下鉄の出口に店を半分、譲渡。現在は「のレン」(お土産店)
  2. 不二家洋菓子。FUJIYA コーヒーショップ。不二家洋菓子
  3. 紀の善
  4. 床屋のサインポール
  5. 屋上広告看板の「3F 麻雀 桜。2F 喫茶室 軽い心。1F パブ ハッピージャック」。袖看板は「軽い心
  6. 建築中の陶柿園

朝日坂(写真)昭和49年 田口重久氏

文学と神楽坂

 田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」で、昭和49年(1974年)12月25日、横寺町から神楽坂6丁目までの朝日坂の写真を取り上げます(地図は下にあります)。歩道はなく、これでも対面通行で、下水は道路の側溝を流れ、電柱の上には柱上変圧器があり、専用の街灯はなく、電柱から電気をもらい蛍光灯があります。

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」05-10-60-1朝日坂上から 1974-12-25

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」05-10-60-2朝日坂上から 1974-12-25

 坂が登りになると表面は他と比較して白色になりますが、オーリングは使わずに施工しと思われます。

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」05-10-60-3朝日坂下から 1974-12-25

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」05-10-61-1 坂下の正蔵院 1974-12-25

朝日坂(横寺町神楽坂6丁目)昭和49年
  1. (消火栓)と広告「梅山閣」
  2. (澤之)鶴 飯塚 本店
  3. 寺島巧芸
  4. Super Arai。 広告「セルフサービス アライ」。特売店
  5. 正蔵院(地図で「王蔵院」は間違い)
  1. (大)久保洋服店
  2. 飯塚工業〇。地図には「飯塚工業社」
  3. 歯科 北(浦)Dental Off(ice)
  4. 電柱看板「飯塚質店」
  5. 電柱看板「歯科 北浦」「質 買入 丸越」
  6. 床屋のサインポール
  7. 寿司
  8. 看板「…買入…」

1976年。住宅地図。

神楽坂6丁目(写真)朝日坂、昭和44年、ID 8273~8276

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」のID 8273~ID 8276を見ましょう。撮影時期は1969年(昭和44年)。撮影は神楽坂6丁目から朝日坂横寺町まで。歩道はなく、車道にオーリングで施工したこともなく、下水は道路の側溝を流れ、街灯は長い蛍光灯でした。人々は長袖で、中にはコートも着ている人もいます。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8273 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8274 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8275 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8276 神楽坂六丁目

神楽坂6丁目、朝日坂(昭和44年)
  1. 理容サトウ。床屋のサインポール
  2. 電柱看板「 買入 丸越 神楽坂通り 協和銀行前入る この手前 神楽坂6丁目」
  3. 白鷹 寿司清
  4. スミレ(美容室)
  5. 歯科 川畑
  6. 電柱看板「歯科 川畑」「土地家屋 野口商会」
  1. セルフサ(ービス)
  2. 第一パン SELF-SERVICE 雪印バター
  3. セルフサービス アライ
  4. (功芸社)
  5. 看板「清酒 澤之鶴 飯塚」 飯塚酒店 インスタン(ト)

 右側のセルフサービスから、第一パン SELF-SERVICE 雪印バター、セルフサービス アライまでは、地図では、全て荒井精肉店です。このセルフサービスの店は、3年後の1972年(昭和47年)12月、後ろにビル(アライビル)がつき、スーパーマーケットSuper ARAIとなります。

1970年。住宅地図。

地蔵坂(写真)藁店 昭和28年 ID 7899

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 7899を見ましょう。撮影は1953年(昭和28年)で、地蔵坂 (藁店)をねらっています。同年のID 5189では、すぐ近くの神楽坂通りに街灯が整備されています。しかし脇道である藁店には全くなく、日が沈むと家の灯りが頼りだったでしょう。舗装はかなり荒れていて、建物や塀が道にはみ出しているようにも見えます。手前には下水(側溝)があるようですが、坂の部分は分かりません。写真に写っている女性や子供は薄着です。軒にはお祭りの飾りが出ているので、秋と思われます。

 右手の最初は「富永 写真館」、続いてサンシェードがついた「配給所」(のちの八百 美喜)、ベニアで囲んだ家(のちのチャーリーブラウン)が見え、これ以上の数軒は見えず、最後に民家が見えます。
 右側の電柱1本に縞模様と看板があり、その看板は「割烹 山ぐち」と読めます。地図では坂の突き当たりを曲がった右側にあります。左側には理容室のサインポールも見られ、地図で「床ヤ モリワキ」(森脇)と書いてあります。森脇の後面は小林石工店(現在のWARADANA神楽坂)、前面の1階建てが「倉庫」(のちの安達ビル)で、さらに前の建物は「西沢菓子S」(のちの鮒忠、現在は駐車場)でしょう。

都市製図社『火災保険特殊地図』 昭和27年

 ちなみに「床ヤ」は明治39年の「風俗画報」でも理髪師として見られます。ただ、これが現在の森脇ビルにつがるものかどうかは分かりません。

藁店

明治39年の地蔵坂。風俗画報。右手は寄席、その向こうは牛込館

神楽坂1丁目(写真)景色 昭和41年 ID 7658

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 7658を見ていきましょう。時代は1966年(昭和41年)で、全員長袖で、コートを着ている人もいます。撮影の方向は、神楽坂1丁目から坂上に。街灯は蛍光灯一つだけで、これは昭和36(1961)年以降です。車道は平坦で、凸凹もありません。道路にたまった雨水などを排水する側溝があります。歩道は昭和37年夏や、昭和41年の「坂のある街」では表面に滑り止め文様がありましたが、昭和41年の後半にややサイズの大きい平らな正方形のブロックに代わり、きれいに並んでいます。この歩道は改修後でしょう。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 7658 神楽坂 紀の善付近 1966年

神楽坂1~2丁目(昭和41年)
  1. 1階建て。田口屋生花店だが、ID 54の大きな看板はなくなった。
  2. 街灯看板の「パール ビリヤード」と「神楽坂」
  3. 電柱看板の「川島歯科
  4. 小栗横丁に行く小道
  5. 壁面看板とファサード看板の「花 田口屋生花店」。不明のネオンだが、ID 5081では「花 田口屋」。ここから2丁目
  6. 街灯と「神楽坂」
  7. 「御料理 蒲焼 志満金」と「うなぎ丼」
  8. 電柱看板の「 大久保
  9. 「靴 オザキヤ
  10. たばこ ☎(田金果実店)
  11. (食品 丸八)
  12. 「特約店 大島糸店」 4階建て
  13. サンコール(松本商店)
  14. 夏目写真館
  15. ✚クスリ(神楽坂薬局)
  16. 「洋装生地 林屋」
  17. ヒ(デ美容室)
  18. 五条ビル。5階建て。翌1967年完成だが突き出し看板も出ており完成間近
  19. 遠くに「(三菱)銀行
  1. 街灯
  2. 山田紙店
  3. ヤマザキパン(明治アイスクリーム)コカコーラ。公衆電話。でんわ☎でんぽう。公衆電話の台に第一相互銀行の広告
  4. おしるこ 紀の善
  5. 神楽小路。歩道からは1段下がる。おそらく歩道の改修で段差がついた。
  6. 床屋のサインポール(理容バンコック)
  7. (Frère WADA)YA(メンズウェアー)ID 86に詳しい
  8. 消(火栓)レストラ(ン)この先〇
  9. 軽い心
  10. ニューイトウ(靴)
  11. 遠くに「資生堂化粧品」(さわや
  12. 遠くに「神楽坂通り/美観街」。「坂のある街」にはないので、歩道改修と同時設置か。

横寺町(写真)朝日坂 昭和48年 ID 467-468

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 467とID 468は、昭和48年(1973年)、神楽坂通りから少し入った場所から横寺町方向を撮影したものです。この2枚は全く差がなさそうです。さらに同じ写真がID 8823としても記録されています。新宿歴史博物館のID 467は「横寺町入口附近。神楽坂通りから朝日坂に入った付近。 昭和48年2月」と説明しています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 467 横寺町入口附近

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 468 横寺町入口附近

 スーパーARAIと、その次の建物までが神楽坂6丁目。飯塚酒店から先が横寺町になります。左側にはコンクリート製の高い電柱が並んでいます。右側にも電柱があり、最初の1本は神楽坂6丁目でコンクリート製ですが、2本目からは横寺町で木製になります。

全国地価マップ 朝日坂。一部を改変

 写真の坂は朝日坂といい、前後の時代に何度か撮影されています。
 商店街ではないので専用の街灯はなく、電柱からバンドで固定した蛍光灯が出ていて街灯の役割をしています。蛍光灯があるのは片側だけです。
 柱上変圧器もあります。下水は道路の側溝を流れ、子供2人がローラースケートを遊んでいます。

神楽坂6丁目と横寺町(昭和48年)
  1. 看板「〇紀」
  2. 理容サトウ。床屋のサインポール ※地図はかすれていますが読めます。
  3. 電柱看板「 買入 丸越 神楽坂通り 協和銀行前入る この手前」。
  4. その下に読めない貼り紙。最後が「町会長」なので、おそらくゴミ出しの注意。
  5. 「日本第一清酒 白鷹 ハクタカ 〇総本舗」
  1. 八百政
  2. 大台宗 薬龍山 光圓寺 正藏院
  3. 八百政(ピーマン、みかん)
  4. Super ARAI
  5. 電柱看板「セルフサービス アライ ココ」(街灯はなく、細い電柱)
  6. 清酒 澤之鶴 飯塚
  7. 内野医院

 田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」で05-10-60-03 朝日坂下から 1974-12-25ではよく似た写真がでています。

05-10-60-03 朝日坂下から 1974-12-25

1976年。住宅地図。

本多横丁(写真)昭和7年 ID 96

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 96は、本多横丁の入り口を撮ったものです。資料は「若宮八幡祭礼神輿、本田横町角」で備考は「1932年」、つまり昭和7年の貴重な写真です。「角」は近くに四つ角や三つ角があるという意味です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 96 若宮八幡祭礼神輿、本田横町角

 道路は何もなく、歩道と車道もわかりません。
 さて、以降は上半分の解説ですが、地元の方の考えを100%いれています。神輿は神楽坂通りを走っています。

 1はナナメ渦巻きの床屋のマーク(サインポール)で、理容所を示します。2の看板は右横書きで「理島豊」と読めます。豊島理髪店は「大東京繁昌記|早稲田神楽坂01」に出てきます。3もサインポールと同じデザインで、おそらく豊島理髪店の突き出し看板でしょう。
 4はお祭りの御神酒所と思われます。輿こしは神様が氏子の地域を回う乗り物で、神輿が地域で休憩する場所を神酒みきしょと言います。よしずのようなもので囲われていて、しめ飾りや提灯らしきものも見えます。
 この場所は神楽坂(戦前は神楽町)3丁目で、若宮八幡の氏子地域です。本多横丁を挟んで、この写真の奥側の4丁目(戦前は上宮比町)は筑土八幡の氏子になります。ふたつの神社は現在、1週間程度の間をおいて秋祭りをします。戦前も同じように日を違えていたでしょう。

本多横丁 戦前

 5は神楽坂通りの街灯です。神楽坂通り 街灯の研究(戦前編)に出てくる【K】【L】と同じものの下側だけ写っているようです。まだ歩道が十分に整備されておらず、街灯は店の近くに立っていました。神輿の金鵄が柱を隠しているようです。
 6も街灯ですが、5の街灯とは形状も、また街灯の向き違います。これは本多横丁の入り口の両側の街灯だからでしょう。特筆すべきは、この戦前の街灯の形状が、終戦から間もないすずらん通り=本多横丁の写真の街灯と酷似していることです。鋳物製と思われるので、焼け残って再利用されたかも知れません。
 7は「天〇 㐂作」と読めます。牛込倶楽部「ここは牛込、神楽坂」第5号の「戦前の本多横丁」によれば「天ぷら・喜作」という高級店があったそうです。その案内広告ではないでしょうか。また、この広告が貼ってある板壁の家は神楽坂3,4丁目(写真)大正~昭和初期に写っている竹川靴店と思われます。
 8は仮名の「し」に見えますが、神輿の屋根の角にある巴字型の飾りと思います。
 9は「本〇所」のように読めます。「本多横丁」や「神楽坂」と面白いけれど、さすがに違うようです。
 最後に、地元の方に提供して頂いた写真を添えておきます。5~6歳と思われる子供が「上宮比」のお祭りのはっぴを着て、頭には「神」の手ぬぐいをはちまきにしています。撮影は昭和8-9年ごろということで、ID 96とほぼ同時期です。

上宮比はっぴ

神楽坂1丁目(写真)美観街 平成2年 ID 95

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 95は、平成2年(1990年)10月19日位に神楽坂1丁目を撮ったものです。電柱はまだあり、無電柱化はまだです。

 街灯は1970年代のものから更新されています。左右にバーが突き出し、道路側はバーの上、歩道側はバーの下に6角形のランタン型の灯りがついています。
 その下にも左右にアーム(この用語は日本照明工業会規格によっています。訳すと横木でしょうか)があります。これは催事の時に告知や飾りを下げるものです。以前の街灯では、ススキや笹のような形状の飾り(神楽坂3丁目(写真)昭和54年 ID 87)を斜めに差し込むパイプがあり、季節ごとに街を彩っていましたが、これはなくなりました。
 この写真では左右のアームに「毘沙門天 おえしき」「十月十四日」と書いた提灯がぶら下がっています。おえしきは御会式と書き、日蓮宗の各寺で、日蓮の忌日(10月13日)に営まれる、宗祖報恩の法会です。さらに下のアームの「神楽坂」は常設の金属製のものでした。
 商店街の名前を示す大きな標識ポールも一新されています。向かって右が「神楽坂」左が「かぐら坂」とあり、「美観街」はなくなりました。

1990年 住宅地図。

「軽い心」の跡には複合商業施設の「カグラヒルズ」が建ちました。カグラヒルズの竣工は1982年です。看板が出ている丸和証券は1970年代には通りの向かい側にあったので(神楽坂1丁目(写真)昭和54年 ID 85、ID 86)こちらに移転したのでしょう。

神楽坂1丁目(平成2年)
  1. 電柱看板「 大久保
  2. 清水衣裳店
  1. 薬ヒグチ。ヘアケア。
  2. 紙 事務用品 文具 原稿用紙 山田紙店。CABIN たばこ。
  3. 地下鉄 飯田町駅
  4. 不二家。ペコちゃん。
  5. あんみつ 紀の善
  6. 床屋のサインポール
  7. 丸和証券。英会話(カグラヒルズ)

神楽坂1丁目(写真)昭和48年 ID 65、66

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 65と66は、昭和48年(1973年)2月、牛込見附(現、神楽坂下)交差点から神楽坂1丁目などを撮ったものです。大きな左向きの矢印は坂下から坂上までの一方通行を示し、街灯は円盤形の大型蛍光灯で、途中に「神楽坂通り」の標識があります。電柱の上には柱上変圧器があり、「神楽坂通り/美観街」の標識が左右に1本ずつできています(カラー写真)。また、休日の歩行者天国が始まり、バリケード看板「歩行者道路 日曜祝日の12~18 牛込警察署」が出ています。なお、ID 65は「神楽坂入口から坂上方向」でも細かく見ています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 65

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 65 神楽坂入口から坂上方向。昭和48年2月。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 66 神楽坂入口付近から坂上方向

神楽坂1丁目(昭和48年)
  1. 有楽町線。将来の「飯田橋駅」。道路を開削、上に鉄板。埋め戻しは開業後。
  2. 看板「歩行者道路 日曜祝日の12~18 牛込警察署」
  1.  牛込見附  (車両通行止め)。歩行者専用道路 自転車を除く 12-13。
  2. 電柱看板の斉藤医院
  3. パチンコ ニューバリー。
  4. 電柱看板の(質)大久保質屋
  5. 「神楽坂通り/美観街」の標識
  6. 中華料理 信華園
  1. (一方通行入口)。(車両通行止め)。歩行者専用道路 自転車を除く 12-13。
  2. 足袋・Yシャツ「赤井商店
  3. 「カレーショップ ボナ」
  4. (白十字医院)
  5. 地下鉄入口の建築中のためこの時点では山田紙店はなくなっている。
  6. FUJIYA 不二家洋菓子。不二家 コーヒーショップ。ウロコ張りの洋館風。店の横が見えている
  7. あんみつ。紀の善。切妻の屋根
  8. 「神楽坂通り/美観街」の標識
  9. 白く光るのは理容バンコックのサインポール
  10. (右折以外進行禁止)(区間内)
  11. 上でビル「軽い心
    3,4F 麻雀 桜
    2F 喫茶室 軽い心
    1F パブ ハッピージャック
  12. 山一薬品
  13. パチンコマリー
  14. ニューイトウ(靴)
  15. 坂(喫茶)
  16. 陶柿園がビルに。1年前の昭和47年(1972年)3月に完成した。
  17. 喫茶  クラウン
  18. ルナ美容室」は「神楽坂ビル」に。1969年2月完成。
  19. 「菱屋」も高層ビルに。竣工は昭和42年か前年末。

昭和10年代の神楽坂通り(写真)

文学と神楽坂

 昭和12年(1937年)、牛込三業会は「牛込華街読本」に「現在の神楽坂」という写真を提示しました。172頁です。新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」では、ID 1です。しかし、この写っている店の看板の多くは、聞き慣れないものです。

現在の神楽坂

 神楽坂1丁目があった昭和5年(「神楽坂と縁日市」新宿区郷土研究会『神楽坂界隈』平成9年)では交差点「牛込見附」(現在の「神楽坂下」)から西に向かって「赤井足袋店、田中謄写堂、萩原傘店、山田屋文具、斉藤洋品店、みどりや、紀の善寿司」があったといいますが、この写真にはどこにもありません。大正11年ごろの「古老の記憶による関東大震災前の形」(神楽坂界隈の変遷、昭和45年新宿区教育委員会)でも「足袋・赤井、甘栗・堀内、提灯・萩原、山田屋文具、岩瀬糸店、甘味・紀の善」となり、「甘味・紀の善」を除くと、今ではありません。
 あとは昭和12年の都市製図社『火災保険特殊地図』だけです。

昭和12年。都市製図社『火災保険特殊地図』

 これでようやくわかりました。

  1. 「床ヤ」です。くるくる回る「サインポール」もあります。
  2. 「桃園」で、その上に「中華廣東料理」だと思える言葉があり、図の2も「支那料理」です。
  3. 松竹梅之酒蔵」。手軽な一杯飲み屋風でしょうか。ちなみに「紀の善」はここでは神楽小路にあって、この2つの関係は不明です。
  4.  現在の「神楽小路」です。
  5.  キッサ(喫茶)で、写真には「ローレ」という名前が見えます。
  6. 「和(不明)」。ある人によれば「和●淑女特価●」。図は多分「カスリヤ」か「カネリヤ」と読めます。
  7. 「タバコ」で、写真も同じで、震災前は棚橋たばこ店。
  8. 「瀧歯科医院」
  9.  写真では「寫眞撮」。「古老」では夏目写真館でした。
  10. 「浜野式」か「浅野式家」。店舗の何番目がそう見えるかは、わかりません
  11.  反対側に行き「須田町食堂」です。

 インターネットの「西村和夫の神楽坂」(東京理科大学理窓会埼玉支部)では

 戦後は消えてしまったが、坂下の「ブラジル・コーヒー」と「松竹梅酒蔵」の2軒はこれから神楽坂を漫遊しようという人がまず寄るところだった。席が空いていることは少なく、物理学校の生徒がノート整理に使っていた。「松竹梅酒蔵」は坂上の「官許どぶろく飯塚」と共に戦争中国民酒場として最後まで酒が飲めたところだ。戦後間もなくメトロ映画劇場ができたが、客の入りが芳しくなく廃めた。

 また「紀の善」はまだ神楽坂通りに顔を出ていなかったんだと思います。つまり、震災前の「古老の記憶」や昭和5年とは食い違いが目立ちます。ある人は「花街の人から聞き取ったんでしょうね。上宮比町も若宮町も、実に詳細です。それに比べて、坂下の(健全な)商店街が、やや物足りなくても仕方ないと思います」と言っています。一方、夏目写真館はもう通りに顔を出ています。
 あっと驚くことでは「キッサ」が多いこと。現在の「キッサ」は、茶を飲むことや 「喫茶店」しか載っておらず、ほかの定義は出ません。しかし関東大震災後から流行した風俗営業の「カフェ」も少なくなかったと思います。
 なぜか「日の丸」も多い。祝日だったのでしょうか。
 下水の暗渠もなぜか横に広い。これが普通なんですね。

↑ 東(下)大正11年頃昭和5年昭和12年
1山田紙店斉藤洋品店床ヤ
2岩瀬糸店みどりや支那料理
3甘味・紀の善紀の善寿司料理
4 神楽小路
5大畑パン店大畑菓子店キッサ
6吹野食料品富貴野食品カスリヤ
7棚橋タバコ屋隼人屋煙草タバコ
8瀧歯科医濫長軒瀧歯科医院
9 夏目写真館夏目写真館16
↓ 西(上)

 さらに別の写真もありました。東京商工会議所の「東京市内商店街ニ関スル調査」(昭和11年)に載った昭和10年12月19日の写真です。「須田町食堂」が左上に高く見えます。また、この写真は、前の写真に比べて、わずかにバックして撮っています。

  1. 「ぼんぼり」か「灯籠とうろう」では? 六角筒があり、光をともす場所になっている? 神楽坂五丁目でも同じようなランタン(図では3)が出ています。
  2.  紅白の飾り。飾りテープ。お祭り用品?

 お正月のお祝いではと思います。


昭和40年代の神楽坂(写真)

文学と神楽坂

神楽坂 加藤倉吉氏作の銅版画『神楽坂』(昭和47年)(植村峻氏『日本紙幣肖像の凹版彫刻者たち』、2010年)

  1. 看板「神楽坂通り」
  2. 街灯の途中から斜めに筒が出ていて、季節ごとに飾りや旗を差し込む。この時期は餅花みたいなものを飾っている。そこからぶら下がった提灯が割れてしまったように見える。
  3. 「山田」紙店
  4. 街灯
  5. FUJIYA 不二家洋菓子
  6. FUJIYA コーヒーショップ
  7. 不二家洋菓子
  8. おしるこ 紀の善
  9. 床屋のサインポール。2階が理容バンコック
  10. 1階がテーラー和田屋。
  11. 軽い心
  12. 神楽坂通り
  13. 美観街
  14. 文字のない飾り
  15. 街路灯に看板の「神楽坂通り」
  16. 軽い心
  17. 山一薬品
  18. 街路灯に看板の「神楽坂通り」
  19. 陶柿園
  20. パチンコマリー
  21. 菱屋
  22. MAXFACTOR(さわや)
  23. ニューイトウ(靴)
  24. 柱上変圧器
  25. (カネ)ボウ毛糸(ダイヤ)モンド毛糸 特約(店)。大島糸店
  26. うなぎ/割烹 志満金

神楽坂入口から坂上方向 新宿歴史博物館 ID 65

昭和48年2月。神楽坂入口から坂上方向。新宿歴史博物館 ID 65 から

  1. 赤井商店
  2. カレーショップ ボナ
  3. ここと4の間に山田紙店があるはずだが、この時は地下鉄出口の建設中。
  4. 不二家洋菓子。ウロコ張りの洋館風。店の横が見えている
  5. 紀の善。切妻の屋根
  6. 理容バンコックのサインポール
  7. 3F 麻雀 桜。2F 喫茶室 軽い心。1F パブ ハッピージャック
  8. 神楽坂通り。美観街。文字のない飾り。
  9. 牛込見附
  10. 昔は段差が見えた
  11. 質。大久保質屋。神楽坂仲通りにあった質屋
  12. 斉藤医院。小栗横丁と見番横丁、神楽坂通りで囲んだ医院(下図)。なお、神楽坂4丁目8番地の斉藤医院は戦前にはありましたが、戦後はなくなっています。

    1970年 住宅地図

  13. パチンコ ニューパリー
  14. 将来の有楽町線「飯田橋」。道路を開削し、上に鉄板。埋め戻しは開業後。