神楽坂|太陽堂 ブリキは仮の姿かな

文学と神楽坂

神楽坂2丁目の「太陽堂」も本来は陶器店ですが、ブリキなどレトロなものを置いています。これは中国産のものが大半です。場所は左端のここ

taiyodo

これも50年は古そうですが、よくはわかりません。1952年の「火災保険特殊地図」(昭和27年)は加藤陶磁店と出ています。1960年頃の「神楽坂三十年代地図」(『まちの手帖』第12号)では「瀬戸物 太陽堂」です。加藤陶磁店と太陽堂とは同じ経営陣ではないかと思います。違う場合もありますが。

さらに昔に行き、1937年(昭和12年)の「火災保険特殊地図」は名前は書いていません。

昭和5年(1930年)は「甲斐屋布団」になっています(新宿区郷土研究会『神楽坂界隈』(平成9年)の岡崎公一氏の「神楽坂と縁日市」の「神楽坂の商店変遷と昭和初期の縁日図」)。おそらく太陽堂は終戦後にできたものではないでしょうか。



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