あの日この日|尾崎一雄

文学と神楽坂

あの日この日

尾崎一雄 尾崎一雄は明治32(1899)年12月25日に生まれ、早稲田大学文学部国文科を卒業。志賀直哉の親戚の同級生に紹介を頼み、志賀に師事。昭和12(1937)年、37歳で、短篇集『暢気眼鏡』で第5回芥川賞を受賞。これで作家的地位を確立しました。貧乏ユーモア小説、心境小説などで有名。1983年3月31日、83歳、自宅にて死亡。

 これは『あの日この日』下巻で昭和6年の話です。ほかに『學生物語』の「神樂坂矢來の邊り」という短編があります。

六年一月の、ひどい寒い曰の午後、勤めを終へて市電肴町停留場辺を見附の方へ歩いてゐると、うしろから声をかけられた。振り返ると、尾崎士郎精悍な顔があつた。
「やア」
「久しぶりだったな。奈良に居ると聞いたが……
「半年ほど前、舞戻つたんです」
「さうか。で、今、どうしてる?」
牛込区役所につとめてます」
「つとめてる? 区役所に?」
「それも税務課ですよ、面白いでせう」
「そ、そいつは――」と尾崎士郎が吃って、「ここぢや話ができない。ちよつといいだらう」連れ込まれたのは紅屋の二階だった。
 士郎氏は、コーヒーを注文すると、私の顔を正面から見て、突如といつたふうに、囗を切った。
「尾崎一雄が不遇なのは――」
「いや」
 ピシャリと音を立てる感じでそれをさへぎつて、
「僕は、何も書いてゐないのだから、遇も不遇もありませんよ」
 士郎氏は、うッと咽喉がつまつたやうな顔をしてから、うろたへ気味に、
「そ、それはさうだ」と言った。
 謂はば毒気を抜かれたかたちと見えた。あと彼は文学談めいたものには全く触れず、自分の近況を簡単に話すと、私の勤め工合など面白さうに聞いたのち、そのうちゆつくり飲まうと言つて別れ去つた。新潮社へ何かの用で行つた帰りだと言つてゐた。

肴町停留場 (さかな)(まち)の市電・都電の停留場。現在の大久保通りで、神楽坂5丁目にありました。
牛込見附 江戸城の外郭に構築された城門を「見附」といいます。見附という名称は、城門に番所を置き、門を出入りする者を見張った事に由来します。外郭は全て土塁で造られており、城門の付近だけが石垣造りでした。牛込見附は千代田区富士見2丁目の地点にあり、江戸城の「江戸城三十六見附」のひとつです。寛永16年(1639年)に建設開始。ただし、見附にはこの江戸城の城門の意味以外に、市電(都電)外濠線の「牛込見附」停留所を「見附」と呼ぶ場合や、この一帯を牛込見附といっている場合もあります。
精悍 動作や顔つきが鋭く力強いこと
牛込区役所 牛込区役所は箪笥町15番地にあり、現在は牛込箪笥地域センターがあります。
毒気を抜かれる 相手をやり込めようと勢い込んでいた人が予想外の出方をされたために気勢をそがれ、おとなしくなる。

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