最初は昭和3年(1928)に立てられた一代目の猫塚です。まず夏目漱石氏が詠んだ句は
此の下に稲妻起る宵あらん(句番号2085。猫塚の裏に書いた句) ちらちらと陽炎立ちぬ猫の塚(句番号2380) 吾猫も虎にやならん秋の風(句番号2518) |
猫塚「吾猫も…」の猫は「吾輩は猫である」の猫と同じ猫かはわかりません。
夏目伸六氏の『父・夏目漱石』で「猫の墓」についてこう書いています。
確かに、この石塔は、私の母が、初代の猫を弔うために建てたのだけれど、実際を云うと、この猫だけを供養する積りで建てた訳ではないのである。というのも、今でこそ、戦火に焼かれて、その石面は、見分けのつかぬほどに焼けただれてはいるけれども、以前は、台石の表面に、猫をはさんで、犬と文鳥の3つの像が、仲良く刻み込まれていたのである。 |
一番目の塔は3つの像はあったといいますが、下のほうが何かがあったのでしょうか、何も見えないように見えます。ただし、いまあるものよりも立派な9重の塔で、屋根のむくりもあります。より荘重で、より墓らしい場所なのでしょうか。
母が、猫と犬と文鳥の遺骨を、1つにまとめて、すでに朽ちかけた墓標の代りに、九重の石塔を建てたのは、丁度、初代名無しの十三回忌にあたる年で、その台石の正面には、津田青楓さんの筆で、猫と犬と文鳥の像が、三尊式に、並んで彫りつけられていたのである。 |
ところが第2次世界戦争で大空襲になり、どこを見ても塵や灰だという状態になります。このとき、猫の塔は
(第2次世界大戦の跡で)その眼に、空襲当夜のすさまじい火焔と熱気を、まざまざと石面に刻んで、すっかりぼろぼろに、周囲の欠け落ちた猫の塔だけが、未だに倒れもせず、夕日を浴びて、隅の方に立っているのが眺められた。 |
現在の猫塚は二代目です。25年後の昭和28年、再度建立しています。
これで、荘重さはどこにもなく、墓らしくない場所になりました。新宿区の職員がつくったものでしょうか。
では1代目の猫塚の重要性といえば…1代目の猫の13回忌で夏目鏡子氏がつくったもの。不要性は…「吾輩は猫である」で有名な猫の死体がないこと。
本来の猫塚では困る点は…まあそうだよね、どうせ嘘だからと、しらけた気分になる。本来の猫塚で困らない点は…まあそうだよね、どうせ嘘だし、それもいいんじゃないの。
これまではほかを見るといっても他に見る物はなかったのが問題でした。2017年には張りぼての書斎と客間ができてきます。でも心の奥深くに猫塚は嘘だという叫びも実際ありますね。
まあ、「今回は」嘘の猫塚でもいいんじゃないの。「将来は」変更の可能性を探る。と、これはいかにも大人で、まあこれも嘘だな。
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