五十鈴。和菓子。昭和21年(1946年)から。場所はここです。
牛込倶楽部の『ここは牛込、神楽坂』第4号で金田理恵氏の「おいしいもの大好きおばさんの神楽坂ガイド」では
ちょっと塩気の効いた『五十鈴』の豆大福もいいし…(いけない、糖尿のこと忘れてた) |
また、岸朝子氏は「神楽坂饅頭」を「東京五つ星の手みやげ」として絶賛し
現在の主人は「自分の感性で新しい菓子をつくりたい…」と、伝統の小豆餡を西洋菓子のパイ生地で包んだ「神楽坂饅頭」を生み出した。餡に使う小豆は、皮が柔らかく調理が難しい北海道十勝産の「雅」を使用。丁寧に煮上げた小豆餡を独学で習得したパイ生地で包みオーブンで焼く。しっとりと香ばしい和と洋の美味しい二重奏。 |
神楽坂アーカイブズチーム編「まちの想い出をたどって」第3集「肴町よもやま話③」では
以前はここは太田屋という半衿店さんでした。半衿とは襦袢などの襟の上に縫いつけた替え襟です。
鏑木清方氏が書いた『続こしかたの記』の「夜蕾亭雑記(1)」では
前記田原屋に並んで太田屋といふ半襟店があつた。銀座には襟善、ゑり圓の專門店もあるが、この土地には太田屋が繁昌して、山川はそこの主人と心安く、圖案の相談にも乘つてゐたやうである。半襟に數奇を凝こらしたのは明治、大正を盛りとしてその後、だんだん影を消した。 |
河合慶子氏は『ここ牛込、神楽坂』第3号の『懐かしの神楽坂』で「肴町界隈のこと」を書き、
ワラ店の角の「太田半衿店」。箱にきれいに並んだ半衿の、赤・黄・緑と色とりどりの鮮やかさ。 |
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