矢来公園です。昭和44年に開園しました。
はいるとすぐに、リスの親子の像があり、その隣りに「小浜藩邸跡」と「杉田玄白生誕地」の記念碑があります。この碑は平成16年(2004年)、建立し、式典では酒井家19代目、玄白の6代目の子孫も出席しました。
標柱には
小浜藩邸跡
杉田玄白生誕地 寄付者 小浜市 中島辰男
設置社 福井県 小浜市 |
中島辰男氏は前福井県県立若狭歴史民俗資料館長です。
小浜藩邸跡 若狭国(福井県)小浜藩主の酒井忠勝が、寛永5年(1628)徳川家光からこの地を拝領して下屋敷としたもので、屋敷の周囲に竹矢来をめぐらせたことから、矢来町の名が付けられました。 もと屋敷内には、小堀遠州作になる庭園があり、蘭学者として著名な杉田玄白先生もこの屋敷内で生まれました。 |
公園には子供の遊ぶ「砂遊び」の場所も決まっています。犬や鶏の糞が入らないよう(これはいいのですが)小さな小さな小さな小さな砂場です。
また、「雨水貯留・浸透施設」もあります。
和田啓爾(現北海道医療大学副学長)と申します。父は国文学者和田謹吾(北大名誉教授)、祖父は和田信二郎(国学?)で、若狭小浜藩士和田家の子孫です。和田轉甫の子、義比の第三子が祖父信二郎です。父(謹吾)が著した数冊の記録を基にネット検索をしていたところ、当サイトを発見し、興味深く読ませていただいております。父の記録によると、「私は、大正11年に東京市牛込区天神町75番地に生まれた。正宗白鳥が居住していた住所と同番地」とあり、周囲の街並みの様子が描写されています。「酒井家は矢来の坂の上にあり、牛込見付から神楽坂を上がってきた道の頂点の角に、高い塀を回し北向きにいつも閉じられた大きな門があった。道はそこで西へ榎木町の方に行く道と、北へ江戸川橋の方に通じる道とに分かれる。南ヘは、細い横町を隔てて西の角に北向きに交番があった。・・以下、当時の商店名等が記載されていました。参考まで。