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小品『草あやめ』④|泉鏡花

文学と神楽坂

 茘枝(れいし)(ちひ)さきも活々いき/\して、藤豆(ふぢまめ)(ごと)()(つる)(はし)()むるを、いたづら()おほいにして、()(じつ)(せう)なる、()(かたち)さへさだかならず。二筋(ふたすぢ)三筋(みすぢ)すく/\と()びたるは、()れたる(には)むし()べくも(おぼ)えぬが、彼処かしこ()えて此處(こゝ)(あらは)けむ、其處(そこ)(また)彼處(かしこ)に、シヽデンに()たる雜草(ざつさう)(かぞ)るに()ず、(おとうと)はもとより、はじめはこと(こゝろ)()て、(みづ)などやりたる(あき)さんさへ、いひがひなきに(あき)()てて、罵倒(ばたう)することなゝめならず(くさ)(はびこ)るは、(また)してもキウモンならんと、以來(いらい)もなくたゞ呼聲(よびごゑ)いかめしき渾名あだなとなりて、今日(けふ)御馳走(ごちそう)があるよ、といふ(とき)(おとうと)(あき)さんも、(かげ)(つぶや)いて、シヽデンかとばかりなりけり。
 ()るまゝに何事(なにごと)()はずなりし、不図(ふと)()のシヽデンの(さい)昼食ちうじきのち(には)ながむることありしに、(くも)(ごと)紫雲英(げんげ)(まじ)りて(ちい)さき薄紫(うすむらさき)(はな)(ふた)咲出(さきい)でたり。立寄(たちよ)りて(くさ)()けて()れば、(かたち)すみれよりはおほいならず、六べんにして、(その)薄紫(うすむらさき)花片はなびら()(むらさき)(すぢ)あり、しべ(いろ)()に、(くき)(いと)より(ほそ)く、()水仙(すゐせん)()淺緑(あさみどり)(やはら)かう、()にせば()えなむばかりなり。(なへ)なりし(ころ)より見覺(みおぼ)えつ、(まが)ふべくもあらぬシヽデンなれば、英雄(えいゆう)(ひと)あざけども、苗賣(なへうり)(われ)()になさず、と(みな)打寄(うちよ)りて、(つち)ながら()()りて(はち)()ゑ、(みづ)やりて(えん)差置(さしお)き、とみかう()るうち、(しな)一段(いちだん)打上(うちあが)りて、緣日(えんにち)ものの()にあらず、夜露(よつゆ)()れしが、翌日(よくじつ)(はな)また(ふた)()きぬ、いづれも入相いりあひの頃しぼみて東雲しのゝめ(べつ)なるが(ひら)く、三朝(みあさ)みあさにして四日目(よつかめ)昼頃(ひるごろ)()れば(はな)(たゞ)(ひと)ツのみ、()もしをれ、()(かわ)きて、昨日(きのふ)には()風情ふぜい()くべき(つぼみ)(さが)()てず、()ればこそシヽデンなりけれ、申譯(まをしわけ)だけに()いたわと、すげなく()ひけるよ。
[現代語訳] 小さいゴーヤもいきいきとして、藤豆などではつるの先端も見え始めた。一方、このシシデン、その名前は無駄に大きく、その実体は小さく、葉の形もわからない。二筋三筋がすくすくと延びたが、荒れた庭に引っこ抜いて終わるものなのか、これもわからない。あちらで消え、こちらであらわれるのか、シシデンと似た雑草は無数にある。弟はもとより、はじめは殊に心を込めて水などをあげていた秋さんにとっても、効果はなく、呆れ果てて、甚だしく罵倒するようになった。草がしげる時には、またしてもキウモンかと喋り、以来と違い、呼び声だけはいかめしい渾名になっている。今日は御馳走があるよ、という時には、弟も秋さんも、かげでつぶやき、またシシデンかというようになった。
 しかし、日時が経過すると何もいわないようになった。昼食の後、ふと、そのシシデンの葉を考えながら庭をながめていたが、雲のようなレンゲソウと混ざって、小さな薄紫の花が二輪、咲き出ていたのである。立寄って草を分けて見ると、形はスミレよりは大きくなく、六弁で、その薄紫の花びらには濃い紫の筋がある。おしべの色は黄色で、茎は糸より細く、葉は水仙に似て浅緑で柔らかく、手に持てば消えそうだ。苗だった頃から見覚えがあり、まごうべくもないシシデンである。人の考え及ばないようなはかりごとをするのが英雄だが、こちらは苗売なので私をばかにしない。全員集まって、土から根を掘って、鉢に植え替え、水をあげて、縁台に置いてあげた。あちこちを見ていると、品質も一段上になり、ただの縁日ものではない。夜露に濡れたが、翌日は花をさらに二輪咲いた。夕暮れ時しぼみ、明け方に別の花だが開き、これが三日目の朝まで続いた。四日目の昼頃、見ると花はただ一輪だけ、葉もしおれ、根も乾き、昨日とは似ていない風情。咲くべき蕾も探しあてられず、だからこそシシデンだ、申し訳程度に咲いたのだと、私はそっけなく言ったのである。

挘る つかんだりつまんだりして引き抜く。
果つ 果てる。続いていた物事が終わりになる。終わる。
顕れる よくないことが公になる。発覚する。
数ぶ かぞふ。数える。数量や順番を調べる。勘定する。一つ一つ挙げる。列挙する。
尽きる 最後までその状態のままである。…に終始する。
籠める 物の中にいれる。詰める。形に表れない物を十分に含ませる。
言い甲斐 いひがひ。言葉に出して言うだけの価値。言っただけの効果。
斜めならず ひととおりでない。はなはだしい。
然もない そうではない。そうでもない。たいしたことはない。
いかめしい 近よりにくい感じを与えるほど立派で威厳がある。
とばかり ではないかと思うほど。
 酒や飯に添えて食べるもの。おかず。副食物
 しべ。花の雄しべと雌しべ。ずい。
英雄人を欺く 英雄は知恵・才能にすぐれているから、往々にして人の考え及ばないようなはかりごとや行いをするものだ。李攀竜(りはんりょう)の「選唐詞序」から。
 ぐ。おろか。ばか。ばかにする。
と見かう見 あっちを見たり、こっちを見たり。あっち見、こっち見。
入相 いりあい。日の沈むころ。日暮れ時。夕暮れ
東雲 しののめ。夜が明けようとして東の空が明るくなってきたころ。あけがた。あけぼの
すげない 素気無い。愛想がない。思いやりがない。そっけない。

小品『草あやめ』③|泉鏡花

文学と神楽坂

 朝顔(あさがほ)(なへ)覆盆子いちご(なへ)(はな)()もある(なか)に、呼声(よびごゑ)仰々(ぎやう/\)しき(ふた)ツありけり、(いは)牡丹咲(ほたんざき)(じや)()(ぎく)(いは)シヽデンキウモンなり愚弟(ぐてい)たゞち()て、賢兄にいさんひな/\と()ふ、こゝに牡丹咲(ぼたんざき)(じや)目菊(めぎく)なるものは所謂いはゆる蝦夷(えぞ)ぎく(なり)。これは……九代(くだい)後胤こういん(たひら)の、……と平家(へいけ)豪傑(がうけつ)名乗(なの)れる如く、のの()(ふた)()けたるは、賣物(うりもの)(はな)(ほか)ならず。シヽデンキウモンに(いた)りては、何等なんら(もの)なるやを()るべからず、苗売(なへうり)()けば(たぐひ)なきしをらしき(はな)ぞといふ、蝦夷(えぞ)(ぎく)おもしろし()(はな)しをらしといふに()ず、いかめしくシヽデンキウモンと()ぶを(あざ)けるにあらねど、の二(しゆ)()(ほか)(べつ)に五(せん)なるを如何いかんせん。
 しかれども甚六(じんろく)なるもの、豈夫あにそれ白銅(はくどう)一片(いつぺん)辟易(へきえき)して()ならんや。すなは()()なく(さと)(いは)く、なんぢ若輩(じやくはい)、シヽデンキウモンに私淑(ししゆく)したりや、金毛(きんまう)九尾(きうび)ぢやあるまいしと、二階(にかい)(あが)らんとする(たもと)(とら)へて、()いぢやないかお()ひよ、(ひと)()いたつて(はな)ぢやないか。旦那(だんな)だまされたと(おぼ)()してと苗賣(なへうり)(すゝ)めて()まず、(ぼく)()ゑるからと女形(をんながた)(しきり)口説(くど)く、(みな)キウモンの()(まよ)へる(なり)長歎(ちやうたん)して(べつ)五百(ごひやく)(おご)
 (かき)朝顏(あさがほ)藤豆(ふぢまめ)()ゑ、(たで)海棠かいだうもとに、蝦夷菊(えぞぎく)唐黍(たうもろこし)茶畑(ちやばたけ)(まへ)に、五本いつもと三本みもとつちかひつ()にしおふシヽデンは(には)一段(いちだん)(たか)(ところ)飛石(とびいし)かたへ()ゑたり。此處(こゝ)あらかじ遊蝶花(いうてひくわ長命菊ちやうめいぎく金盞花きんせんくわ縁日えんにち名代(なだい)(がう)のもの、しろべにしぼり濃紫こむらさきいまさかり咲競さききそふ、なかにもしろはな紫雲英げんげ一株ひとかぶはうごしやくはびこり、だいなることたなそこごとく、くきながきこと五すんうてな(いたゞ)()に二十を(くだ)らず、けだ(はる)(さむ)(あさ)、めづらしき早起(はやおき)(をり)から、女形(をんながた)とともに道芝みちしば(しも)()けておほり土手(どて)より()たるもの、()()らんとして、(たもと)火箸(ひばし)(しの)せしを、羽織(はおり)(そで)破目やぶれめより、(おもひ)がけず(みち)に落して、おほい臺所(だいどころ)道具(だうぐ)事缺ことかし、經營(けいえい)慘憺(さんたん)あだならず(こゝろ)なき(くさ)も、あはれとや(しげ)けん。シヽデンキウモンの(なへ)なるもの、二日(ふつか)三日(みつか)うちに、()紫雲英(げんげ)()がくれ()えずなりぬ。
〔現代語訳〕 朝顔の苗、いちごの苗、花も売っているし、実も売っている。大げさな売り声はふたつあって、牡丹咲きの蛇の目菊がひとつ、シシデンキウモンが別のひとつだという。弟はただちに聞きほれて、にいさん買おうよ、買おうよという。ここで牡丹咲きの蛇の目菊は、いわゆる蝦夷菊で……九代の後胤、(たいら)の、……と平家の豪傑も名乗ったようだが、ここで「の」の字を二個つけているのは、「売り物には花を飾れ」という言い回しそのままである。シシデンキウモンは、どんなものなのかわからない。苗売に聞くと、比類なく しおらしい花ですという。蝦夷菊には心をひかれるが、この花については、しおらしいというのは似合わない。シシデンキウモンと厳しく呼んでいるが、かといって悪く言おうというものではない。この二種、一分(25銭)に加えて、別に五銭を払えという。どうしようかね。
 でも、甚六という者は、どうして白銅貨一枚でためらうのかという。そこで、私はシシデンキウモンを師として尊敬するのか、金毛九尾の狐が出た場合じゃないのにと、二階に向かって逃げ出したくなったが、その袂をつかまえて、いいじゃないか、買おうよ、ひとつ花が咲いてもたかが花じゃないかという。苗売りも旦那だまされたと思って買いましょうと、その勧誘は止まらない。女形も僕が植えるからと盛んに口説く。全員キウモンという名前に間違えているのだ。長いため息をだして、別に500銭ほど大盤振舞をした。
 垣根に朝顔と藤豆を植え、蓼はハナカイドウの花の下に、蝦夷菊とトウモロコシは茶畑の前で五本と三本で栽培した。名前も有名なシシデンは庭の一段高い場所で、飛石の傍に植えた。ここにはあらかじめパンジー、ヒナギク、キンセンカという縁日では超有名な花が植えてあり、色は白、赤、まだら、濃紫などで、今を盛りに咲き競い、中でも白い花のレンゲソウは、一株だけでも150cm四方になり、葉は巨大で掌のよう、茎も長くて15センチ、開花の期間は20日以上。思えば春の寒い朝だが、めずらしく目が覚めて、女形と一緒に、お濠の土手の路傍の草についていた霜を分けて、根っこを掘ろうと思って、火箸をたもとに入れておいた。が、羽織のそでの裂け目から、思わず道路に落とし、そのため、台所道具は大いに事欠き、あらゆる事も惨憺になっだ。心なき草も、あわれと思ったのか密集して生えてきたが、しかし、シシデンキウモンの苗は、二、三日間で、このレンゲソウの葉にかくれ、見えなくなった。

仰々しい 大げさだ。
牡丹咲 花びらが重なって咲く花の咲き方で、花びらが大きく膨らんで、派手になったもの。例は http://www.nagominoniwa.net/camellia/botan-fukurin.html
蛇の目菊 「蛇の目」とは大小二つの同心円の文様。「蛇の目菊」は舌状花の基部に蛇の目模様があるもの。右図を。
シシデンキウモン なんでしょうか。この単語、文章の最後になってわかります。
 こつ。ほれる。心がぼうっとする。ぼんやりする。
蝦夷菊 えぞぎく。キク科の一年草。園芸品種名はアスター。右図を。
後胤 こういん。子孫。後裔。
名乗る なのる。自分の名や身分を他人に向かって言う。
売り物に花 売り物には花を飾れとの故事・ことわざ。売り物がよく売れるためには、内容もよくなければならないが、見てくれはなおよくなければならない。売り物は体裁よく飾り立てて売るのが上手な商売である。
しおらしい 控えめでいじらしい。遠慮深くて奥ゆかしい。
おもしろい ここでは、心をひかれる。趣が深い。風流だ。
嘲る  あざける。ばかにして悪く言ったり笑ったりする。
一歩 いちぶ。一分。一分金。4分で一両(明治時代では一円)になります。明治初年で一円は約二万円。一歩は約5000円。
白銅 白銅貨。ここでは五銭白銅貨でしょう。
辟易 へきえき。閉口する。うんざりする
然り気なく 考えや気持ちを表面に表さない。何事もないように振る舞う。
諭す 目下の者に物事の道理をよくわかるように話し聞かせる。納得するように教え導く。
私淑 直接教えを受けたわけではないが、著作などを通じて傾倒して師と仰ぐこと。
金毛九尾 こんもうきゅうび。体毛が金色の老狐。金毛九尾の狐。妖狐。
長歎 長いため息をもらす。
奢る  程度を超えたぜいたくをする。自分の金で人にごちそうする。物などを人に振る舞う。
海棠 カイドウ。ハナカイドウ。バラ科の落葉低木。中国原産。花木として古く日本に渡来。
培う つちかう。草木の根元や種に土をかけて草木を育てる。栽培する。
名にしおう 名高い。評判である。
飛石 日本庭園などで、伝い歩くために少しずつ離して据えた表面の平らな石。
遊蝶花 ゆうちょうか。パンジーのこと。江戸時代末に,オランダの船で渡来した。
長命菊 ちょうめいぎく。ヒナギク(デイジー)のこと。
金盞花 キンセンカ。キク科の越年草。南ヨーロッパ原産。
名代 なだい。名前を知られていること。評判の高いこと。
 しぼり。花びらなどで、絞り染めのように色がまだらに入りまじっているもの。
紫雲英 げんげ。レンゲソウの別名。
 ほう。正方形の各辺。
 1尺=10/33m≒30.303cm。
 一尺の10分の1。約3.03cm。
 うてな。花の最も外側に生じる器官。花被。
蓋し かなりの確信をもって推量するさま。思うに。確かに。
道芝 みちしば。路傍の草。
忍ぶ 他人に知られないようにこっそりとする。
事欠く 必要なものがないために不自由する。
経営 行事の準備・人の接待などのために奔走する。事をなしとげるために考え、実行する。
仇ならず 期待したとおりにならずに終わる。無駄になる。
繁る 草木の枝や葉が勢いよく伸びて、重なり合う。草木が密に生え出る。
葉がくれ 葉隠れ。草木の葉のかげになること

小品『草あやめ』②|泉鏡花

文学と神楽坂

 泉鏡花氏の「草あやめ」(明治36年)で、その2です。

 物干(ものほし)(たけ)二日月(ふつかづき)(ひか)りて、蝙蝠かうもりのちらと()えたる(なつ)もはじめつ(かた)一夕あるゆふべ出窓(でまど)(そと)(うつく)しき(こゑ)して()()くものあり、(なへ)玉苗(たまなへ)胡瓜(きうり)(なへ)茄子(なす)(なへ)と、()(こゑ)あたか大川(おほかは)(おぼろ)(なが)るゝ今戸(いまど)あたりの二上にあが調子(てうし)()たり。一寸ちよつと苗屋(なへや)さんと、(まど)から()べば引返ひつかへすを、(ちひ)さき木戸(きど)()けて(には)(とほ)せば、くゞ(とき)(かさ)()ぎ、(わか)(をとこ)()つき(するど)からず、(ほゝ)まろきが莞爾莞爾にこにこして、へい/\()ましと()()ろし、穎割葉かひわりばの、(あを)鶏冠とさかの、いづれも(いきほひ)よきを、()()けたる()して(ひと)(ひと)取出(とりいだ)すを、としより、(おとうと)、またお神樂座かぐらざ一座(いちざ)太夫(たいふ)(せい)原口(はらぐち)()(あき)さん、()んで女形をんながたといふ容子ようすいのと、(みな)緣側(えんがは)()でて、()るもの(ひと)ツとして()しからざるは()きを、初鰹(はつがつを)()はざれども、(ひる)のお(さかな)なにがし、(ばん)のお豆府(とうふ)いくらと、帳合ちやうあひめて小遣(こづかひ)(なか)より、大枚(たいまい)一歩(いちぶ)ところ(なへ)七八(しゆ)をずばりと()ふ、もつと五坪いつつぼには()ぎざる(には)なり。
 隱元いんげん藤豆ふぢまめたで茘枝れいし唐辛たうがらし所帶(しよたい)たしのゝしたまひそ、苗賣(なへうり)若衆(わかいしゆ)一々(いち/\)()(はな)()へていふにこそ、北海道(ほくかいだう)花茘枝(はなれいし)(たか)(つめ)唐辛(たうがらし)千成せんな酸漿ほうづき(つる)なし隱元(いんげん)よしあし大蓼(おほたで)手前(でまへ)(あきな)ひまするものは、(みな)玉揃(たまぞろ)唐黍たうもろこし云々うんぬん
 〔現代語訳〕物干の竹が8月2日の月に光っている。コウモリも出てくる初夏のある夕方、出窓の外に美しい声を出した行商人がやってきた。苗、稲の苗、キュウリの苗、ナスの苗はいらんかね…と、その声は隅田川が流れる今戸地区あたりで聞こえてくる三味線のリズムに似ている。ちょっと苗屋さんと、窓から呼ぶと、へいへい、どれにしましょうかと荷を下ろし、穎割や、緑のヒトツバなど、どれも勢いはよい。日に焼けた手で、1つ、1つと取り出してきた。年寄りも、弟も、お神楽座の太夫も…これは姓は原口、名は秋さんで、女形という様子のいい奴だが…みんな縁側にでて、見ている。どれもこれもほしい。私は初鰹などは買わないが、昼のお魚がこれだけで、晩のお豆腐はこれだけでと、まず帳簿を確かめて、小遣の中で、大枚を一分使って、苗の七、八種をずばりと買う。もっとも五坪もない庭なのだが。
 インゲン豆、藤豆、蓼、ゴーヤ、唐辛子は、くらし向きのプラスになりましょうといって、苗売りの若衆はいちいち名前に花の言葉をそえている。手前どもが商いをするのは、北海道産の花ゴーヤ、鷹の爪の唐辛子、沢山生えるほうづき、インゲンにはツルがなく、良い悪いはわからないけど大蓼、種のそろったトウモロコシなどですという。

二日月 ふつかづき。陰暦2日の月。8月2日の月
玉苗 たまなえ。苗代から田へ移し植えるころの稲の苗。早苗(さなえ)と同じ。
大川 吾妻橋付近から隅田川の下流の通称。
 ぼうっと薄くかすんでいるさま。
今戸 台東区北東部の地名。隅田川西岸の船着き場として栄えました。
二上り にあがり。三味線の調弦法。第2弦を1全音(長2度)高くしたもの。派手、陽気、田舎風の気分をあらわす。
木戸 庭などの出入り口に設けた簡単な開き戸。
 日光・雨・雪などが当たらないように頭にかぶるもの。「傘」と区別する。
召す 「買う」という意味の尊敬語
穎割葉 かいわりば。芽を出した植物が最初に出す葉
鶏冠 ヒトツバ。葉が鶏のトサカのように切れ込む常緑のシダ。右図を。
神楽座 芝居のはやしの一種。
太夫 能、歌舞伎、浄瑠璃等で上級の芸人。
帳合 現金や在庫商品と帳簿を照らし合わせ、計算を確かめること。
 締め。しめ。金銭などの合計を出すこと。
大枚 多額のお金。大金。
一歩 一文(一歩)銭の寛永通宝は昭和28年まで法的には通用し、4文で一両(一円)に替えられました。明治初めの一円は二万円ぐらいなので、1歩は約5000円でしょうか。
隠元 インゲン豆。マメ科の蔓性(つるせい)の一年草。ツルナシインゲンは蔓のない栽培品種。
藤豆 ふじまめ。マメ科のつる性一年草。熱帯原産。食用とするため広く栽培。
 たで。タデ科タデ属の植物の総称。特にヤナギタデは辛みがあり、食用として刺身のつまなどに。
茘枝 ここでは(つる)茘枝(れいし)のこと。別名はニガウリ、ゴーヤ。ウリ科の蔓性の一年草。黄色い花を開き、実が熟すと黄赤色になり、若い実は食用に。
所帯 一家を構えて独立した生計を営むこと。そのくらし向き。
罵る ののしる。ここでは「盛んにうわさされる。評判になる」
鷹の爪 トウガラシの栽培品種。果実は小形の円錐形で上向きにつき、赤く熟す。
千成り 数多く群がって実がなること。
酸漿 ナス科の多年草。初秋、果実が熟して赤く色づく。
よしあし よいとも悪いともすぐには判断できかねる状態。
玉揃い キャベツなどの結球野菜で、結球の発育が似たようになること。

文壇昔ばなし②|谷崎潤一郎

文学と神楽坂


             ○
紅葉の死んだ明治卅六年には、春に五代目菊五郎が死に、秋に九代目團十郎が死んでゐる。文壇で「紅露」が併稱された如く、梨園では「團菊」と云はれてゐたが.この方は舞臺の人であるから、幸ひにして私はこの二巨人の顏や聲音(こわね)を覺えてゐる。が、文壇の方では、僅かな年代の相違のために、會ひ損つてゐる人が随分多い。硯友社花やかなりし頃の作家では、巖谷小波山人にたつた一囘、大正時代に有樂座自由劇場の第何囘目かの試演の時に、小山内薰に紹介してもらつて、廊下で立ち話をしたことがあつた。山人は初對面の挨拶の後で、「君はもつと背の高い人かと思つた」と云つたが、並んでみると私よりは山人の方がずつと高かつた。「少年世界」の愛讀者であつた私は、小波山人と共に江見水蔭が好きであつたが、この人には遂に會ふ機會を逸した。小波山人が死ぬ時、「江見、己は先に行くよ」と云つたと云ふ話を聞いてゐるから、當時水蔭はまだ生きてゐた筈なので、會つて置けばよかつたと未だにさう思ふ。小栗風葉にもたつた一遍、中央公論社がまだ本郷西片町麻田氏のの二階にあつた時分、瀧田樗陰(ちよいん)に引き合はされてほんの二三十分談話を交した。露伴藤村鏡花秋聲等、昭和時代まで生存してゐた諸作家は別として、僅かに一二囘の面識があつた人々は、この外に鷗外魯庵天外泡鳴靑果武郎くらゐなものである。漱石一高の英語を敎へてゐた時分、英法科に籍を置いてゐた私は廊下や校庭で行き逢ふたびにお時儀をした覺えがあるが、漱石は私の級を受け持つてくれなかつたので、残念ながら聲咳に接する折がなかつた。私が帝大生であつた時分、電車は本鄕三丁目の角、「かねやす」の所までしか行かなかつたので、漱石はあすこからいつも人力車に乗つてゐたが、リュウとした(つゐ)大嶋の和服で、靑木堂の前で俥を止めて葉巻などを買つてゐた姿が、今も私の眼底にある。まだ漱石が朝日新聞に入社する前のことで、大學の先生にしては贅澤なものだと、よくさう思ひ/\した。

菊五郎 尾上(おのえ)菊五郎。明治時代の歌舞伎役者。市村座の座元。生年は1844年7月18日(天保15年6月4日)。没年は1903年(明治36年)2月18日。享年は満58歳。
團十郎 市川団十郞(だんじゅうろう)。明治時代の歌舞伎役者。屋号は成田屋。生年は1838年11月29日(天保9年10月13日)。没年は1903年(明治36年)9月13日。享年は満64歳。
紅露 コウロ。紅露時代。明治20年代の近代文学史上の一時期で、尾崎紅葉と幸田露伴が主導的立場にあった。
梨園 俳優、特に、歌舞伎役者の世界。唐の玄宗皇帝が梨の木のある庭園で、みずから音楽・舞踊を教えたという「唐書」礼楽志の故事から。
團菊 普通は三人で、団菊左。だんぎくさ。明治を代表する歌舞伎俳優、九世市川団十郎・五世尾上菊五郎・初世市川左団次のこと
声音 声の調子。こわいろ。
有楽座 日本最初の全席椅子席の西洋式劇場。現在は有楽町のイトシアプラザ(ITOCiA)が建つ。1908年(明治41年)12月1日に開場。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で焼亡。
自由劇場 小山内薫と市川左團次(2代目)が明治時代に起こした新劇運動。「無形劇場」で劇場や専属の俳優を持たない。
試演 試験的に上演や演奏すること。
少年世界 少年読者を対象とした雑誌。博文館発行。1895年1月創刊、1933年10月終刊。
中央公論社 雑誌『中央公論』を中心とする総合出版社。1886年に創立された西本願寺の修養団体「反省会」がその前身。1912年西本願寺から離れ、14年中央公論社と改称。坪内逍遙訳「新修シェークスピヤ全集」 (1933) 、谷崎潤一郎訳『源氏物語』 (39~41) などを出版。
西片(にしかた) 東京都文京区の町名。右上図は現在の西片町。このほぼ90%が昔の駒込西片町。これに駒込東片町・田町・丸山福山町・森川町・柳町の1部が合併し、成立したもの。
 旧麻田駒之助邸は残っています。図を。
一高  昭和10(1935)年までは本郷向ヶ岡弥生町(現・東京大学農学部敷地)にありました。
聲咳に接する 正しいのは謦咳(けいがい)。尊敬する人に直接話を聞く。お目にかかる。
かねやす 東京都文京区本郷三丁目にある雑貨店。「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」の川柳で有名。
 つい。素材や模様・形などを同じに作って、そろえること。
大島 大島紬。おおしまつむぎ。鹿児島県奄美大島特産の伝統工芸品、紬織物の一種。高級着物地。
青木堂 文京区本郷5丁目24にありました。1階が小売店で洋酒、煙草、食料品を販売、2階は喫茶店。青木堂はここが本店。なお、牛込区通寺町(現、神楽坂六丁目)の青木堂とは関係はないといいます。