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神楽坂5丁目(写真)地理風俗大系 昭和12年

文学と神楽坂

 誠文堂新光社「日本地理風俗大系 大東京」(昭和6年)の改訂版(昭和12年)です。これは新宿歴史博物館「新宿風景II」(平成31年)に出ていました。

日本地理風俗大系 改訂版

神楽坂の繁昌
いかめしい見附の石垣を西すれば緩かな登りの神楽坂となる。この通りには各種飲食店カフェーの間に色々の商家が建ち並び夜間は雑踏発盛を極め附近には筑土八幡・赤城神社があり法政・早稲田学生の往来繁く特に競技に優勝した際は想像の外である。

  現在の神楽坂上交差点(大久保通り)から坂下方向で、神楽坂5丁目(当時は肴町)の夜の写真です。
 電飾看板以外に、3種類の灯りが路上にあります。1は交通信号灯です。2は街灯で、大きなドングリ型の照明と下にも電灯があり、【L】の鈴蘭灯でしょう。3は【L】の下にあるような行灯型の角灯で、切妻の小屋根を備えています。小屋根から光が漏れている点を除くと【K】とよく似ています。しかし、すりガラスも明治時代からあるので、同じものでも構いません。

 店の看板はよく読めませんが、想像を交えると……

  1. セトモノ河合本舗
  2. 菊秀の刃物、ハサミの絵(後の山下漆器店
  3. 菊岡三味線屋
  4. 高島屋(以前の機山閣→山岡商店→昭和7年に開店)
  5. 三角堂メガネ)上下にある目玉のような看板
  6. (松葉屋塩物)

 正面やや右、ひときわ高い電飾は「田原屋」と思われます。

5丁目の商店

新宿区郷土研究会『神楽坂界隈』(平成9年)岡崎公一「神楽坂と縁日市」の「神楽坂の商店変遷と昭和初期の縁日図

5丁目12など

神楽坂アーカイブズチーム編「まちの思い出をたどって」第1集(2007年)

時代←北西南東→
震災前洋服・都築機山閣玩具店松葉塩物神楽坂せんべい
震災後菊岡三味線山岡書店三角堂メガネ
昭和5年頃
(1930)
高島屋十銭ストア
(昭和7年以降)
ナトリ理容室岡沢菓子店
1952(空き)雑貨パチンコ楽器レコード
リード商店
1955明治牛乳関口商店うなぎ大和田
1963(空き)
1980Fance
1999菱屋弁当たぐち(建)
2010五十番キッチンママセイジョー
2018チカリシャス買い取り店
2020全て閉店
2021将来の道路神楽坂5丁目ビル

善國寺(明治時代、昭和初期)

 明治時代の善國寺です。最初は新撰東京名所図会第41編(明治37年)の「善国寺毘沙門堂縁日の図」です。

新撰東京名所図会第41編(明37)善国寺毘沙門堂縁日の図 明治35年

 左から右に見ていきましょう。まず見えるものは縁起のいい餅花もちばなで、ヤナギやミズキなどの木の枝に、紅白の餅や団子を丸めています。鯛や小判、賽、キツネ、「当たり矢」「おたふく」「ひょっとこ」の飾りが下がり、行灯は「商人中」でしょうか。賽銭箱の前で女性2人が拝んでいます。
 その次にのぼりがあり、「奉納 明治三十五年 開運 壬寅 正月」とあり、右側の「開運 毘沙門尊天」と同じものでしよう。
 善国寺は池上本門寺の末寺に当たります。「牛込千部講」というのは法華経8巻を1000回読んで、ご先祖の精霊を供養すること。僧侶100人が2回ずつ読んで200回、これを5日間行って1000回。
 参拝客の中央、メガネの男性がひめ小判守を大事そうに持っています。その奥にはおそらくだてがさがあり、そこで何かを買っている人もいます。右側の屋台はおもちゃ屋でしょう。のぼり鬼などの面、小さな獅子舞や三味線を売っています。その手前の毛氈もうせんの台でも、手ぬぐいをかぶった男性が七福神の人形やおもちゃを柿を持った子供に説明しています。
 これらの露店の奥、本堂前には現在も残る狛虎1匹。右の入母屋の瓦屋根はお守りや縁起物の販売所でしょうか。「神楽坂」の旗、中にも「兼子」「牛込」「名台○○」などの旗があります。
 右上で見切れているのは、たくさんの小さな幟をロープか竹でつなげたものです。「御華◯◯」「牛込芸妓中」「業平吾妻の寿し」「ふくや 業平」「◯し中」「會」「牛込」「◯中形」などです。

 昭和時代になると、次の写真も残っています。

(A)毘沙門天(B)善国寺
善国寺は池上本門寺で同宗宗録所であった。毘沙門天はその本尊で殊に賽者が多い。「牛込区史」昭和5年

中村武志氏『神楽坂の今昔』(毎日新聞社刊「大学シリーズ法政大学」、昭和46年)

目白通り(写真)飯田橋駅 昭和54年 ID 12023 25 27-29 31-36

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12023、25、27-29、31−36の11件は昭和54年2月、目白通り沿いで、飯田橋駅付辺を撮影したものです。撮影は全て千代田区です。

住宅地図 昭和55年

(1)Pot coffeeは第五田中ビルに入っていました。営業時間は午前8時から午後8時まで。COFFEE SHOP POTと書いてあります。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12023 目白通り沿い飯田橋駅付近 ポットコーヒー

(2)「神田事務」店があり、次の「喫茶店『プリバ』スナック」ではAM8:00~11:00の間モーニングサービスとしてコーヒーか紅茶にトーストとサラダがついて280円。さらに看板を左から並べると「灘清酒  多聞 大衆割烹 うす井」「カレンダー」「◯ング」「(潮)出版社」「アンもん」「さくら」「(麻)雀」「キムラヤベーカリー」。道路に近い歩道の看板は「ゼブラ」「アイユニオン」「アイカー◯/さしあ◯」、名前の不明の幟、道路標識(指定方向外進行禁止)8〜20、電柱「◯山グタンド  バス」、電柱看板「グランドパレス」

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12025 目白通り沿い飯田橋駅付近

(3)道路の反対側で、道路標識を除けば、信濃ビル、しゃぶしゃぶ、そば処 長寿庵です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12027 目白通り沿い飯田橋駅付近

(4)酒処うす井は佐藤ビルにありました。左では「只今 準備中 です」「本日◯◯(◯◯◯)刺身 麻婆豆腐 湯どうふ ムツ照焼/肉じゃか アジフライ コロッケ サバミソ」

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12028 目白通り沿い飯田橋駅付近 酒処うす井

(5)キムラヤビルのキムラヤベーカリー神楽坂3丁目にあった木村屋とは別系統で、銀座木村屋から別れた店です。その右側にはたばこ、雪印アイスクリームの冷凍庫、赤電話。さらにその右は「専門の TEL 六七九四」「クリ(ーニング)」

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12029 目白通り沿い飯田橋駅付近 キムラヤベーカリー

(6)読めない看板、電柱看板「◯久川」、看板「だんご駒形」、看板3枚「(不明)」「サン◯行◯◯」「麻雀」、飯田町◯、コカコーラ

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12031目白通り沿い飯田橋駅付近か

(7)二輪車「タンロップ」。「いやな足のニオイと汚◯/ニオイ暗い」「カネボウの医薬品 漢方相(談)」、看板「大卸」、電柱広告「産関有料駐車場」と「アザミ美容室」、「百草胃腸薬 大洋薬品工業」「毛 若禿 円形禿 フケ、カユミ、抜毛で/お困りの方は/当店でご相談下さい ハツモール」。おそらくヤルマツ薬品でしょう。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12032 目白通り沿い飯田橋駅付近

(8)反対側で「元祖 中華つけ麺 大王/特製大王餃子・ソース焼そば」。2階は「麻雀 奈美」。隣の家は「GSバッテリ(ー)/島田自動車電機一般修(理)/(有)島田電気工業所」

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12033 目白通り沿い飯田橋駅付近

(9)「ハタイ」と鏡映反転の「有」、「限會」。「飯田町二丁目」「9ー4」。隣の家で「森永ヨーグルト/ピンを抜いてお返し下さい」。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12034 目白通り沿い飯田橋駅付近

(10)酒井書店です。「麹町法人会々員」も出ています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12035 目白通り沿い飯田橋駅付近

(11)さらに1ブロックほど南東方向に動いていきます。道路上には「一丁目歩道橋」、右側に「神田信用金庫」と「ナショナル」、中央に電柱広告「咽喉科 千代田医◯ ◯ ノ八 三井銀行そば ☎︎ 二六」パンフ「ゴミ容器集積所 月水金」、左側に「焼 家」「ア ◯◯◯◯◯◯ ◯◯◯」「年金 ◯◯ 貯金 為替〒電話 電信 郵便」「おそば 増田屋」「喫茶 エリカ」「明治生命」「竹書房」「千代田ビル」が見えます。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12036 目白通り沿い飯田橋付近