停留場と停車場、簡単には駅。でもこの2つ、どう違うの。
停留場は路面電車、市電、都電
現在も都電が停車し、客が乗降する場所は停留場と呼びます。バスではバスの停留所になります。
停車場は鉄道(省鉄、国鉄、JR線など)
こちらは停車場。簡単に言えば、駅。しかし、昔は停留所と停車場、この2つを正確に言わないと分からなかったのです。
ちなみに見附は
なお、見附とは江戸城の外郭に構築された城門のこと。牛込見附も江戸城の城門の1つで、この名称は城門に番所を置き、門を出入りする者を見張ったことに由来します。外郭は全て土塁(土を盛りあげ堤防や土手状にする)で造られており、城門の付近だけが石垣造りでした。
しかし、この牛込見附という言葉は、市電(都電)外濠線の「牛込見附」停留所ができるとその駅(停留所)も指し、さらにこの一帯も牛込見附と呼びました。大正時代や昭和初期には「牛込見附」は飯田駅に近い所にあった「城門」ではなく、神楽坂通りと外堀通りの4つ角で、市電(都電)の「牛込見附」停留所の周辺辺りを「牛込見附」と呼んだほうが多かったと思います。
「線路が変に曲がっていますが、駅があったため」というのは確かにそうです。
牛込駅は相対式ホーム(水道橋駅のようなタイプ)だったため、線路はほぼまっすぐで上下線の両外側にホームがありました。
牛込駅廃止後にホームは撤去され、ホームのあったスペースは快速線と緩行線上り線路の敷地になったようです。そして、緩行線上下線の間、牛込駅時代の上り線のスペースに折り返し線が設置されました。今はなき飯田橋駅行/発の電車用ですね。上り線路が「変に曲がって」る経緯はこんなところだと思います。
牛込駅の線路はほぼまっすぐでした。これはそうですね。
「折り返し線が設置」されて(何年に)線路が三本になり、それから中央の一本はなくなって(理由は?)、二本になったのでしょうか?
増発・延伸で飯田橋行/始発がなくなってしまい、使わなくなったからのようです。
ポイント(分岐器)があるとそのメンテに手間やコストがかかるうえに、信号システム上も複雑になる(こちらもコスト増)ため、最近はなるべくシンプルにするようになってます。なので、撤去したのでしょう。
設置年はちょっとわかりませんでした。飯田橋駅開業の頃であれば、1928年かそのあとくらいでしょうか。
撤去年も定かではないですが、1990年代半ばには使われなくなっていたようです。
ありがとうございました。