文学と神楽坂
新宿区喜久井町の誓閑寺の文化財としては2つあります。
(文化財愛護シンボルマーク)
新宿区指定有形文化財 工芸品
誓閑寺の梵鐘
所 在 地 新宿区喜久井町六十一番地 指定年月日 昭和五十九年十二月七日 天和二年(1682)に近在の住民の寄進により鋳造された区内最古の梵鐘である。 総高一三八センチ、口径七九センチ、周囲二三六センチで、形状は比較的古い様式を残している。 池の間(銘文等を刻む空間)は四つに区画され、全面に銘文が刻まれており、特に銘文中の「武州荏原郡」の記載は、当時すでに豊島郡になっていたこのあたりが、古い郡名で呼ばれていた例を示す史料となっている。 なお、鐘楼は昭和四十九年四月に、千葉県木更津市の選擇寺より移築されたものである。 平成八年三月
東京都新宿区教育委員会
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実際、鐘楼の下には
浄土宗 開宗八百年記念 昭和四十九年四月
と書いてあります。
(文化財愛護シンボルマーク)
新宿区登録有形文化財 彫刻
銅造地蔵菩薩半跏像
所 在 地 新宿区喜久井町六一 指定年月日 平成一三年二月一四日 文政元年(一八一六)誓閑寺第十世住職進誉求道の時に鋳造された像で、神田の鋳物師太田駿河守藤原政義の作である。 総高一三六センチメートル。右手に錫杖、左手に宝珠を持つ半跏像で肉身部には鍍金が施されている。 台座正面には「百万遍議中」と刻まれており、「市ヶ谷大奥中」以下一八〇名あまりの人名が刻まれている。「市ヶ谷大奥中」とは市ヶ谷に上屋敷を構えていた尾張徳川家に関連するものと考えている。江戸時代、この近くには尾張徳川家の下屋敷(戸山山荘)もあり、誓閑寺には同家の奥女中らが葬られるなど関わりが深かった。 平成一三年九月
東京都新宿区教育委員会
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