始めに1918年(大正7年)、ボート場がつくられました。今和次郎編纂の『新版大東京案内』(中央公論社、昭和4年。再版はちくま学芸文庫、平成13年)の「神楽坂」では…
昭和5年、牛込區史(国立国会図書館デジタルコレクション コマ番号32頁)には牛込濠の水が干上がった光景があります。原因は自然のためで、関東大震災ではなさそうです。
昭和8年(1933)、博文館編纂の「大東京写真案内」(博文館部)は……
市ヶ谷見付から飯田橋寄りにあるのが牛込見付、山の手第二の盛り場神樂坂を控へて、ラツシユアワーの混雑はめまぐるしいが、こゝの外濠の貸ボードは、都心に珍らしい快適な娯樂機關である。 |
これから昭和30年代に飛んでいきます。ボート場はできていますが、あくまでも外堀通りと平行ではなく、牛込橋や神楽坂通り(早稲田通り)と平行に並んでいます。
さらに時間が経ち、1996年に喫茶店とレストランが加わり、名前もカナルカフェとして巨大なボート乗り場とレストランになりました。
「牛込区史 関東大震災」の写真は、すごい迫力ですね。水を抜いていますが、石垣の補修か何かかも知れません。
写真から分かるように、この壕はかなり浅くて子どもの腰ほどしかありません。赤坂溜池から水を分流して神田川につなげ、それを広げて壕にしたためだと思います。ボート程度しか利用方法がなかったのでしょう。牛込橋から下流は大規模な浚渫で水運に利用できるようにした。その境界が「どんどん」ですね。