新丸ノ内ビルヂング(写真) 昭和27年 ID 4743

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 4743は、昭和27年9月、東京逓信病院を撮影したといっています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 4743 飯田橋 東京逓信病院

三井住友トラスト不動産」によれば

1929(昭和4)年まで「陸軍軍医学校」があった富士見町の土地には、1938(昭和13)年に「東京逓信病院」が開院した。病院の建物は、山田守の設計によるモダニズム建築で、「太平洋戦争」中の空襲で被災するも、改修の上、1972(昭和47)年まで使用された。」 【画像は1938(昭和13)年】

 設計した山田守氏の写真も2葉残っています。

 したがって、昭和13年の病院は4~5階建てで、ID 4743と全く違っています。では病院・病棟が昭和27年までに変化したのでしょうか。
 以下は「病院の沿革・歴史」によれば

年月歴史
昭和12年10月建物竣工(本館、第一病棟、第二病棟)
昭和13年2月診療開始(内科、小児科、外科、整形外科、耳鼻咽喉科、眼科、歯科、産婦人科、皮膚泌尿器科、物療科)
昭和13年4月看護婦養成業務開始
昭和20年5月戦災により本館外来の一部及び院内郵便局焼失
昭和20年12月東京逓信病院看護婦養成所の承認受ける
昭和22年9月結核科設置
昭和22年12月皮膚泌尿器科を皮膚科と泌尿器科に分科
昭和23年4月東京逓信病院高等看護学院を開設
昭和24年6月逓信省が郵政省に改正
昭和24年6月副院長、健康管理科、臨床検査科設置
昭和27年7月中央手術室、中央材料室設置

 大きな病棟の変更はなさそうです。つまりID 4743はおそらく当時の東京逓信病院ではないといえます。
 これ以上は私は何もできません。しかし、地元の人はその先に行きました。以下はその考えです。

 違う角度で分析してみます。ID 4743の左のビルは7-8階建てで、かなり大きなものです。右手の鉄道の奥にも4ー5階建て以上のビルが多数あります。終戦間もない時代ということを考えると、場所は東京都心でしょう。
 昭和27年に竣工した都心のビルを調べると『新丸ノ内ビルヂング』が出てきます。当時の写真は、ID 4743に非常によく似ています。

 新丸ビルを鉄道を背景に写真に収めるには、通りの向かいの丸ビルからの撮影が好適です。この角度の写真は、鉄道の向こうが日本橋になります。写真中央の華やかなビルは、塔屋の形状からしても日本橋の三越百貨店のようです。

日本橋の三越百貨店

1961年(昭和36)東京駅付近(今昔マップ)

 なぜID 4743が誤認されたのかは分かりません。建築家の山田守の代表作のひとつである新宿区津久戸町の東京厚生年金病院は昭和27年10月の開設で、新丸ビルと同時期です。何かの取り違えがあったことも考えられます。
 なお、ID 4743では建物の右手を列車が走っていますが、堀端の国鉄中央線は土手のやや下にあります。仮に列車が東京逓信病院のそばを走る場合、この角度では列車は全く見えません。


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