茘枝の小さきも活々して、藤豆の如き早や蔓の端も見え初むるを、徒に名の大にして、其の實の小なる、葉の形さへ定ならず。二筋三筋すく/\と延びたるは、荒れたる庭に挘り果つべくも覺えぬが、彼処に消えて此處に顯れけむ、其處に又彼處に、シヽデンに似たる雜草數ふるに盡きず、弟はもとより、はじめは殊に心を籠めて、水などやりたる秋さんさへ、いひ効なきに呆れ果てて、罵倒すること斜ならず。草が蔓るは、又してもキウモンならんと、以來然もなくて唯呼聲のいかめしき渾名となりて、今日は御馳走があるよ、といふ時、弟も秋さんも、蔭で呟いて、シヽデンかとばかりなりけり。 日を經るまゝに何事も言はずなりし、不図其のシヽデンの菜に昼食の後、庭を視むることありしに、雲の如き紫雲英に交りて小さき薄紫の花二ツ咲出でたり。立寄りて草を分けて見れば、形菫よりは大ならず、六瓣にして、其薄紫の花片に濃き紫の筋あり、蕋の色黄に、莖は絲より細く、葉は水仙に似て淺緑柔かう、手にせば消えなむばかりなり。苗なりし頃より見覺えつ、紛ふべくもあらぬシヽデンなれば、英雄人を欺むけども、苗賣我を愚になさず、と皆打寄りて、土ながら根を掘りて鉢に植ゑ、水やりて緣に差置き、とみかう見るうち、品も一段打上りて、緣日ものの比にあらず、夜露に濡れしが、翌日は花また二ツ咲きぬ、いづれも入相の頃しぼみて東雲に別なるが開く、三朝みあさにして四日目の昼頃見れば花唯一ツのみ、葉もしをれ、根も乾きて、昨日には似ぬ風情、咲くべき蕾も探し當てず、然ればこそシヽデンなりけれ、申譯だけに咲いたわと、すげなくも謂ひけるよ。 |
[現代語訳] 小さいゴーヤもいきいきとして、藤豆などではつるの先端も見え始めた。一方、このシシデン、その名前は無駄に大きく、その実体は小さく、葉の形もわからない。二筋三筋がすくすくと延びたが、荒れた庭に引っこ抜いて終わるものなのか、これもわからない。あちらで消え、こちらであらわれるのか、シシデンと似た雑草は無数にある。弟はもとより、はじめは殊に心を込めて水などをあげていた秋さんにとっても、効果はなく、呆れ果てて、甚だしく罵倒するようになった。草がしげる時には、またしてもキウモンかと喋り、以来と違い、呼び声だけはいかめしい渾名になっている。今日は御馳走があるよ、という時には、弟も秋さんも、かげでつぶやき、またシシデンかというようになった。 しかし、日時が経過すると何もいわないようになった。昼食の後、ふと、そのシシデンの葉を考えながら庭をながめていたが、雲のようなレンゲソウと混ざって、小さな薄紫の花が二輪、咲き出ていたのである。立寄って草を分けて見ると、形はスミレよりは大きくなく、六弁で、その薄紫の花びらには濃い紫の筋がある。おしべの色は黄色で、茎は糸より細く、葉は水仙に似て浅緑で柔らかく、手に持てば消えそうだ。苗だった頃から見覚えがあり、まごうべくもないシシデンである。人の考え及ばないようなはかりごとをするのが英雄だが、こちらは苗売なので私をばかにしない。全員集まって、土から根を掘って、鉢に植え替え、水をあげて、縁台に置いてあげた。あちこちを見ていると、品質も一段上になり、ただの縁日ものではない。夜露に濡れたが、翌日は花をさらに二輪咲いた。夕暮れ時しぼみ、明け方に別の花だが開き、これが三日目の朝まで続いた。四日目の昼頃、見ると花はただ一輪だけ、葉もしおれ、根も乾き、昨日とは似ていない風情。咲くべき蕾も探しあてられず、だからこそシシデンだ、申し訳程度に咲いたのだと、私はそっけなく言ったのである。 |
挘る つかんだりつまんだりして引き抜く。
果つ 果てる。続いていた物事が終わりになる。終わる。
顕れる よくないことが公になる。発覚する。
数ぶ かぞふ。数える。数量や順番を調べる。勘定する。一つ一つ挙げる。列挙する。
尽きる 最後までその状態のままである。…に終始する。
籠める 物の中にいれる。詰める。形に表れない物を十分に含ませる。
言い甲斐 いひがひ。言葉に出して言うだけの価値。言っただけの効果。
斜めならず ひととおりでない。はなはだしい。
然もない そうではない。そうでもない。たいしたことはない。
いかめしい 近よりにくい感じを与えるほど立派で威厳がある。
とばかり ではないかと思うほど。
菜 酒や飯に添えて食べるもの。おかず。副食物
蕋 しべ。花の雄しべと雌しべ。ずい。
英雄人を欺く 英雄は知恵・才能にすぐれているから、往々にして人の考え及ばないようなはかりごとや行いをするものだ。李攀竜の「選唐詞序」から。
愚 ぐ。おろか。ばか。ばかにする。
と見かう見 あっちを見たり、こっちを見たり。あっち見、こっち見。
入相 いりあい。日の沈むころ。日暮れ時。夕暮れ
東雲 しののめ。夜が明けようとして東の空が明るくなってきたころ。あけがた。あけぼの
すげない 素気無い。愛想がない。思いやりがない。そっけない。