平成10(1998)年『ここは牛込、神楽坂』第13号の特集「神楽坂を歩く」では…
「大仙」とは外堀通りの2階でやっていた「玄来がゆ大仙」のことです(神楽坂青年会「神楽坂まっぷ」1985年)。「大仙」についてはコメント欄にも。
外堀通りのビルから神楽小路に出る道路について、これはまだありますが、鍵かかかっていて通れません(下図の左)。また、ワインバーのル・トランブルー(Le Train Bleu)(2018年4月からは神楽坂唐揚げ製造所)は1階からでも2階からでも通れるようです(下図の左右)。「神楽小路商店街」の説明で、「神楽小路の中にさらに『みちくさ横丁』が分岐して、そこが袋小路になっているところも、とてもおもしろいのです」と書いてあります。
しかし、ここで別のコメントがありました。下のコメントのほうが正しいと思います。下を読んでください。
「みちくさ横丁」という名前も、平成7年(1995年)、ゼンリンの住宅地図にはなく(下図の左)、平成8年(1996年)にはありました。まあ、大家さんが決めて、看板をかければいいだけのことですから、これは簡単。
平成15(2003)年には「神楽坂まちの手帖」第2号の小野塚邦子氏の「神楽小路に今宵も集う」で……
軽子坂へ行く手前、右手にみちくさ横丁がある。両手を伸ばすと本当に届きそうな(幅の)この路には、昔ながらの面影を今に残した店が所狭しと立ち並ぶ。 3坪程の「土筆」や「みっちゃん」等、新聞や雑誌の記者で賑わうお店が多い。 |
なお、最初の「升本さんの倉庫」だった建物というのは下図で。軽子坂を超えた北側にあります。
「ルコビル」については、コメントが複数出てきました。ルコビルは飯田橋升本ビルではなく、軽子坂MNビルを略していうようです。
なお、将来、みちくさ横丁は相当店舗がなくなります。外堀通りの拡幅で、約1/3は外堀通りになります。みちくさ横丁も神楽小路と同様に閉店する店舗がでます(東京都都市整備局)。みちくさ横丁にあった肉寿司は閉店し、居酒屋の鶴肴は移転しました。
「ルコ・ネットワークサービス株式会社」という升本系列の会社が、隣の飯田橋升本ビルに入居していますね。どうも以前はルコビルと呼んでいたようです。
http://sake-masumoto.co.jp/family/
http://ruko.co.jp/
「ルコビル」は「飯田橋升本ビル」ではなく「軽子坂MNビル」を指しています。
現在も「インテリジェントロビー・ルコ」という貸し会議室兼ラウンジを運営していて
「RUKO」の大きな看板を掲げているので、そう呼んだのでしょう。
神楽小路の池
https://kagurazaka.yamamogura.com/pond/
の「神楽坂30年代地図」に出てくる「広場」の場所が升本さんの倉庫です。
付近の子ども達の遊び場でした。
『ここは牛込、神楽坂』の記事で
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「大仙」の入っている建物の階段を上って神楽小路に出る、あれはおもしろいですね。
あれは道というか、ひとの建物の中を通り抜けたわけですよ。
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とあるのは「みちくさ横丁」に出る道路ではなく、
外堀通りと神楽小路の両方に面した建物の中を通り抜けるルートを指します。
「みちくさ横丁」の片側の建物には複数の飲食店が入居しています。
外堀通り側と神楽小路側それぞれに階段があり、その階段を2階に上がると
店舗共用の内廊下がつながっているのです。廊下は店ではないので通行自由です。
ブログ主さんが「鍵かかかっていて通れません」と書かれたのは
1階の特定の店の裏口ではないかと。
この「2階の通り抜け」は今も可能と思われますが
建物自体が古くて取り壊しの話があるらしいので、いつまで通れるか分かりません。
その時は「みちくさ横丁」も姿を変えるでしょう。
トウホウビル通り抜け裏口
記事に出てくる中華粥の「大仙」は知る人ぞ知る名店でした。店主いわく
「ひと口食べて『おいしい』ではなく、食べ終えて『ああ、おいしかった』と
言わせるのが本当においしい中華粥」
なんだそうです。そんな優しい味でした。
鄧小平だったか、中国要人の来日時に好物である「油条」を提供して新聞に掲載され、
話題になりました。
「油条」は中華風の揚げパンで、刻んでお粥に浮かすと、きつねそばのお揚げみたいな
役割を果たすのですが、他に作れる店がなかったとか。
ソースなしで、うろ覚えですみません。