古くは昭和45(1970)年の新宿区教育委員会編『神楽坂界隈の変遷』の「古老の記憶による関東大震災前の形」では「震災直後 飯田橋病院の敷地に、三越マーケットができた。(日本橋の本店は改修中であった)」としています。
『神楽坂まちの手帖 第3号』(2003年)の「新宿・神楽坂暮らし80年②」で水野正雄氏は関東大震災直後の「三越」を現在の大久保通りにあるとしています。図は…
さらに『まちの想い出をたどって 第1集』(NPO法人 粋なまちづくり倶楽部、神楽坂アーカイブズチーム、2007年)の水野正雄氏の「神楽坂を語る」によれば、「場所は現消防署のあたり、当時はガス会社の出張所だった。日本橋の復興後すぐに引き払ったようだ」と書いています。
また新宿歴史博物館編の「新宿風景―明治・大正・昭和の記憶」(2009年)では写真が出ています。
現在の牛込消防署を右から見ると…。ここに三越牛込マーケットがはいっていたのですね。