10月26日(金)クレタ島のイラクリオン市に。
545、起床。630、15階のホライズンにCoffee Cornerに行ったが、まだ暗くて、誰も来ないし、コーヒーもない。700、12階のテラスカフェで朝食。
毎日、船内新聞「CURRENTS(海流)」が届く。今日、どんなことを行うといいのかを説明したもので、1頁目はイラクリオンの案内、2頁以降はその他の情報。港湾局が無料シャトルバスを出すという情報もあった。ここで、イラクリオンの情報をGoogleの手を借りて最初のページを翻訳してみました。で、日本人が好きな情報はまずないか、とっても少ない。
820、5階のシアターステージがエクスカーションの出発点に。(このエクスカーションという言葉は寄港地ツアーや小旅行と訳すのが良さそうです)
バスは、クノッソスに行く。私たちの寄港地ツアーは「クノッソス遺跡を3Dで」である。ガイドは女性でした。
クノッソスへの寄港地ツアーは写真で。昔は半身麻痺では歩くのは難しいところもあったけど、現在は慎重に動ける限り、まず大丈夫。(写真は全部で10枚。順番に出てきます)
この遺跡としてははっきり分かる嘘も多く、だから世界遺産に入らない。インターネットの「旅人 legend ej の世界紀行・心に刻む遥かなる『時』」では「コンクリートを初め、自然界からの顔料などではなく、石油化学で製造された塗料を使った過剰な『こうであろう復元・複製』は、かなり『やり過ぎ』と批評され、純粋な意味での考古学研究の精度を狂わせている、という手痛い意見もある」と書いてあります。
また説明板があるものの一部ですが、訳すことに。ところが、英語にはあっても日本語にはないものもあり、欧米だけでしか知られていない情報も。
1215、考古学博物館に。入場料は一人€10。これも写真で。€10は高く、普通は行かない。でも、これだけのものがあるなんて。絶対行くべきでした。
1250、バスに戻り、1325、船の部屋に戻る。
帰ってみると、右足の装具についていた金具が外れていた。困った。困ったときのバトラー頼り。しかし、バトラーは1700にならないと出てこないという。
妻は1355~1420に洗濯室に行く。米ドルだけが使用可能で、1台が2ドル。洗濯と乾燥で1台ずつ使うので4ドルかかる。
1600、15階のホライズンで、弦楽四重奏団の演奏を聞きながら、昔ながらのアフタヌーンティー。私はすべてのお菓子を食べる。1645、終了。
1730、右足の装具についてバトラーがまだ来ない。そこで電話をかけ、来てもらう。1740、バトラーがやってくる。直せそうだという。
1830、装具の救急処理は終って、直ってきた。足には6角ボルトが止めてあった。これが直るのもクルーズのおかげで、大感謝。
1845、テラスカフェで夕食。ロブスターとエビのグリル、パパイヤサラダ、豚ロースト、ギリシャとベトナムの春巻き、前菜のサーモンなど。お寿司は食べにくく、うまいとはいえない。1930、終了。
2000、風呂。